嵐の櫻井翔くんがきっかけで26%アップ(前編)

 9年前にはじめて櫻井くんに会った。
30歳すぎたサッカーばかなぼくははずかしながらジャニーズはほとんど知らなかった。
ジャニーズは

バレーボールの大会でデビューするくらいの知識。
嵐の情報もバレーボールの大会で歌ってたなくらい。
そう、スポーツ中継はサッカー以外もよく見る。
競技はちがってもアスリートからは学ぶことがたくさんあるから。

 話はもどってはじめて会ったのは2011年の9月。
日テレのニュースZEROで現場取材にきてくれた。
当時ブラインドサッカーは少しずつ世の中に知られていたが、まだまだマイナースポーツ。
日本代表ですら合宿や海外遠征は実費。
そんな中ロンドンパラリンピック出場をかけた大会が2011年仙台で開催されることになった。
東日本大震災があり、たくさんの人がなくなられた東北で開催される。
メディアとしてはとりあげやすかったのかもしれない。
 うちら選手には当日櫻井くんがくることは知らされてなかった。
いつも取材の局だけ知らされるので情報はZEROがくることだけ。
さらにうちら選手は視覚障害。
櫻井くんが会場にきても直接しゃべらなかったら

気づかない。

 合宿はいつもどおりピッチの中をスタッフの声をたよりにダッシュ系のウォーミングアップ、ドリブル練習、シュート練習などこなしていった。
櫻井くんはすでにZEROのクルーと見学していたらしい。
9月だがまだまだ気温は高い。数分でも汗がでてくる。
紅白戦も終わり、休憩時間になったときに監督から
「ZEROの取材でシュート練習とるからちょっと協力してくれ。」
そう声がかかった。
ブラインドサッカーの魅力が地上波で

伝えてもらえる。
もちろん喜んで協力した。
代表選手の中でも攻撃力がある選手数人がシュート練習につきあった。
最初にエースの黒田がドリブルシュートを決めた。
「普通にシュートしてもインパクトないよなー。なんかないかなー?」
とっさにぼくは回転シュートをすることを思いついた。
ドリブルしながら回転するのはマルセイユルーレットといって
フランス代表だったジダン選手が得意にしているフェイントをまねしていつも練習していたからイメージはできている。
しかし、回転しながらのシュートはやったことない。
「まぁ、生放送じゃないし、失敗してもトモ(黒田のニックネーム)の映像が使われるだけだからいいか。」
気楽にドリブルを開始した。
ピッチのサイドからコーナーのほうへたてにドリブルして90度曲がってゴール中央までいき、マルセイユルーレットのようにボールを足うらでとめながら体を回転させてシュートした。
これがまぐれでジャストミート!
しかもゴールの枠にとんだ!
決まれば最高だったがキーパーの佐藤もテレビに映るから気合をいれてたそうだ。
ファインセーブではじかれてしまった。
その瞬間
「落合さん、今のシュートなんて名前ですか?」
フェンスの外から声がした。
はずかしい話、嵐が何人で誰がいるかもわからなかった当時のぼくはもちろん櫻井くんの声も知らない。
なのでディレクターが話かけてきたんだろうなと思って
「おっちーシュート」と普通にこたえてしまった。
あのとき櫻井くんが聞いたと知っていれば
嵐シュート」とか「トルネードシュート」とかちょっと嵐にかけて気のきいたことが言えたかもしれない。
その後、櫻井くんがピッチに入って体験することに。
当時のニュースZEROをみていた人はわかるだろう。
一生懸命がんばっている櫻井くんとはウラハラにおちゃめでかわいかったことを。

櫻井くんのすばらしさに気づいた最初のシーンがピッチでのできごとだった。
 櫻井くんがサッカー経験者ということで目隠ししない状態で見えていないうちら選手3人をぬけるか対決した。
もちろんブラインドサッカーでよく使う左右の足の内側でタッチして進ドリブルはしなくてよいルール。
今までの櫻井くんがつちかってきたスキルを発揮してもらえばいい。
センターサークルから対決開始。
最初の1本目がテレビに使われた場面だ。
櫻井くんはうちらがどれくらいの力量かはかるためにゆっくりまっすぐ進んできた。
ぼくがディフェンスで櫻井くんとの間合いをゆっくりつめて足がのばせるタイミングでボールをつついた。
1本目はうちらの勝利だ。
それで櫻井くんは必死になった。
数本やって3人目までたどりつけないため、うちらの人数を2人にした。
トータルで対決は30分近くやっていたんじゃないかな。
「ごめんなさい。まいりましたー!」
櫻井くんの体力が限界にたっしたため対決は終了となった。
「この人ジャニーズなのにこんな長い時間必死にやるなんていい人じゃん!」
それまでいろんな局の取材をうけていてタレントや女子アナとかがきても数分プレイしただけで終わるパターンがほとんどだった。

場所を室内に移してインタビュー取りでもいい人をたくさん感じられた。
話も数人の選手から聞いていた。
あのときはまだ誰をZEROでとりあげるか製作側でも決まってなかったらしい。
櫻井くんと話していると聞きだし方が上手でベラベラとしゃべった。
そのおかげでぼくがZEROに採用されたのかもしれない。。
櫻井くんありがとう。
 櫻井くんに心うばわれたできごとがある。詳しいことは言えないが、マネージャー的にはちょっとということがあったのだ。しかし、櫻井くんがオッケーしてくれたので意見が通った。その瞬間からぼくは櫻井翔のファンになった。

 取材にこれたのは忙しくそれだけだったが、毎回ZEROの放送では映像をみてすばらしいコメントをくれて感謝感激雨嵐だった。

 仙台でのロンドンパラリンピックアジア予選は最後のイランに引き分け以上で出場権が手にはいるとこで、
後半2失点して予選敗退となった。
 実は出場権とれたら次の月曜に選手と監督で生出演の話になってたのだ。。

残念ながらそれはかなわず・・・。
しばらくたってディレクターから
「毎日櫻井さんが予選の結果聞いてきてたんですよ。」
忙しい中気にかけてくれたこと、心から応援してくれてたことほんとうれしかった。


 タイトルの26%アップだが、おそらくぼくの記憶では櫻井くんがジャニーズで最初にブラインドサッカーを体験した人のはず。
そこからスマップ、V6、キスマイ、キンプリなどたくさんのジャニーズが体験してくれている。
おかげでどんどんブラインドサッカーの認知があがった。
26%というのは人口の中の嵐と上記グループのファンの率だ。

 今のブラインドサッカーがあるのは櫻井くんをはじめジャニーズのおかげだと心から思っている。
実際にジャニーズからブラインドサッカーを知って地域のクラブチームに参加している人もたくさんいる。



2015年に櫻井くんと再会をはたす。そこでさらに櫻井翔ファンになるできごとがあるのだが、その話は後編で。


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