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名古屋旅中覚書

 私は今、名古屋にいる。
 新宿から夜行バスに乗車し、揺られることおよそ6時間。名古屋駅周辺の某喫茶店にて名古屋名物モーニングをいただいている。ドリンクを頼んだら軽食が勝手についてくるだなんて、誰が最初に考えたのだろうか。惜しげもなくバターが塗られた厚切りトーストと、ゆで卵。卓上塩の容器には湿気防止のためか、乾燥した小豆が入っている。これが名古屋の洗礼か。

 徹夜に近い睡眠時間に悲鳴をあげる身体を、アールグレイを燃料に叩き起こし、次の予定までの時間調整中にこの記事を書いているのだが、既に一時間弱このお店で粘っているうちに気づいたことがある。
 名古屋の喫茶店はなんだか、回転率がよいのだ。

 現在は土曜日の早朝である。これから用事のあるひともいるのだろうが、ゆっくりモーニングを食べに来たひともいるだろう。しかし、私のここ一時間の観察に基づけば、名古屋の皆様はスピーティーにトーストと飲み物を召し上がり、二、三十分足らずでお帰りになってしまう。長ッ尻の私は最早、何人のひとの入店と退店を見守ったかわからない。

 私もあまり頻繁には、早朝の喫茶店を利用するわけではないので、これが全国的に見られるものなのか、名古屋のひとびとの特徴なのか、判断に迷うところではある。しかし、東日本の辺縁部に生息する私としては、やはり名古屋人の特性であるように感じられるのだ。

 沖縄県民の「うちなータイム」は有名な表現だが、名古屋にも時は金なりの精神に下支えされた「ナゴヤータイム」が流れているのだろうか。異邦人の私からすると、愛知近辺のひとびとは商売上手で合理的で、ちょっとせっかちなイメージがある。そのような先入観が私にあるために、休日出勤に忙しい勤め人の皆様の朝食速度が、気になってならないのかもしれないが。

 何はともあれ、名古屋のモーニングがリーズナブルで嬉しいシステムであることは間違いない。忙しいひとであっても、ちょっと寄って腹を満たすことができる。
 ……やはり、名古屋でモーニングのシステムが生み出されたのは、必然というべきであったのだろうか。合理的なシステムと合理的なひとびとの間に、シナジーがあるようにも思えてくる。

 そんなことを考えながら紅茶を味わったこの朝は、異邦を感じる旅のはじまりとしては上出来である。

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