明日の早起きを忘れて日記を書く

夏というのは、彦星と織姫を断絶する天の川を超えることができたり、割り箸を刺した茄子や胡瓜に乗って死んだ先祖が帰ってきたり、時をかけて未来人がやってきたりと、距離、生死、時間というものを超越することが一時的に許可される。

夏の行事というのも、伝統的かつ民族的な要素を感じるものが多い。代々伝わる様々な儀礼と尋常じゃない暑さによって、そういった非科学的な超越も、もしかしたら本当にあるのかもな〜的な気分になる。

そう、夏の行事は、今の時代感をあまり反映していないように思う。
尋常じゃない暑さによってほとんど正気ではない中、時代が反映されていない呪術を行うための儀式のような数々のイベントによって、神話的超越も真実のように見える。

しかし、正気でいられない夏の中にも、現代が反映された夏の空間がある。

それはナイトプールだ。

日が落ちてかろうじて正気を保てる中で辿り着けば、水温によって完全に正気に戻る。

正気に戻って広がっていたのは、レンズに映えることを至上とした世界だった…
映えることは様々な指標が数値化されて突きつけられる。現代は色んな指標の数値が、さも自分が至上価値ですと言わんばかりに飛び込んできて疲弊する。


残念ながら、自分は彦星と織姫のように距離を超越したこともないし、茄子や胡瓜には今のところ誰も乗っているところを見ていないので、生死を超越したこともない。

ただ、意識の上で時間を超越して、現代で突きつけられてしまうような事柄を一時的に回避できているのかもしれない。秘術によるものなのか、尋常じゃない暑さによるものなのかはわからない。

とりあえず自分はナイトプールには行かないでおこう。10代のとき、こんなブログばかり書いていたな〜と思った。これも夏による超越だろうか。

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