好きなものやりたいこと

好きなものや人、叶えたいことややりたいことが沢山あるという話を聞くと、なんで自分は矮小な人間なんだと思う。

好きなものでいうと、自分はそういったものは数え切れるほどしかないから。
昨日聴いてよかった新譜は次の日には忘れていたり、あの時期あれだけ聴いていたバンドも好きな音楽を考えたときに浮かんでこなかったりする。

その瞬間で好きなものなんて1つ2つで、あれだけやってみたくてワクワクしていた事も、他の事にワクワクしたらその瞬間は忘れている。
様々な事柄やものがその枠を争っている。

とはいえその瞬間に好きなものが1つだとしても、その枠に何度も入ってくるものは、その瞬間に枠に入ってなくても好きなものといえるだろうというので、そういう事を話す時用のネタとしてストックする。

ただたまに、好きなものややりたいこと叶えたいこと的な話をするときに、ストックしてあるネタを見せる機会がまわってきたという感じではなく、本当に今の自分が好きなもの、やりたいことは何か?と問われているような、言葉を真正面から捉えてしまうときがある。

好きなものはまだ現在にあるもので、その枠に収まってるものを答えれられる。

やりたいことはもう答えられる気がしない。

やりたいことや叶えたいことってなんだろうか。
横になりたいとか、ギター弾きたいとかなら大体すぐ出来るのでやりたいこととしてストックしておく事もない。

すぐ叶わない系の事柄が当てはまるのだろうか。
すぐ叶わない系のことで、やる前や叶う前にそれが自分にとってのやりたかったこと、叶えたかったことだとわかる事ってあるのだろうか。(叶ったら嬉しいとは思うけど。)

そしてそういうすぐ叶わない系の事柄って、世間的、界隈的な大義を背負った物事が当てはめられることが多い気がするが、それは自分にとっての大義とはずれているなと感じることばかりだった。

そう考えると、自分はなんて夢のない奴なんだろうと思えてくる。
後そういうことを考えていると、叶える途中でのやりたくない事が浮かんできて、じゃあいいかとなる。

そんな自分だけど、叶えたいことの1つくらいあったほうが楽しく過ごせるかと思って掲げているものがある。

死ぬときに見るといわれている走馬灯を楽しかったことで埋めるというもの。

今の時点だと、18歳のときにラーメン屋で食券がうまく買えなくてメンタルをやられた事が入ってきてしまいそう。

そんな、人からしたら些細なことでも、自分にとってはとても大きいことで埋めていけそうなので、自分にとって楽しいことをしているつもりが、世間的に楽しいとされていることをしているだけで自分は楽しみきれていない…ということを避けられるんじゃないかと思っている。

でも自分にとっての楽しいこととは一体なんだろうかという考えに続いていくのであった…
今はちゃんと食券買えます。

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