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2022年6月後半

参院選挙スタート、梅雨明け、NATO拡大、物価高、
メジロの巣、アイヌ文化
など、外側であちこちに興味関心が跳ぶ。
一方で自分の芯がどうなっているかを見る。
そうして1日1日生きていった半月。

 

20220616 Thu.

ゴールデンカムイ展@東京ドーム ~6/26へ

この展示へ行ったのは、ひとえに30代のかつての仕事仲間の推しによる。漫画無料公開を読んで、この展示へ来てみて面白かった。

ゴールデンウイークに無料公開された漫画『ゴールデンカムイ』は、かなり視力面・精神面で辛かったけれどコンプリートした面白さがあった。読んでみて新たに知ったこともあった。ひとつは自分があまり関心を持たなった幕末の史実や、北方民族の交流に目が向いたこと。もうひとつは1980年代生まれ前後、ゆとり世代あたりは学校で十分歴史を習っていない分を、このゴールデンカムイを通じて学んでいるということ。後者は少し驚くとともに、無機質な詰込みに比べたら興味を持って学べるかなと思った。

ふだん後楽園ホールやら、イベントやらに行かない人間が、2時間近く行列して入場し、美術展に比べたら小さなスペースにギューギュー展示した密な場所へ1800円払って入り、当日配られた白石のお面を被って回る。我ながらかなり稀なことだ。白石とは、ゴールデンカムイの人気登場人物のひとりで牢屋破りのいいキャラな奴。今日は白石のお面を入場時に貰えるため、会場内は白石でいっぱい。

会場内には白石のお面をつけた人でいっぱい

この展示は翌週終わるが、その後、2022/7/9(土)~9/11(日)京都文化博物館、10/15(土)~11/27(日)福岡アジア美術館にて開催。その後北海道でも開催する可能性があるとのこと。

昭和40~50年代、1960~70年代に義務教育を受けたものとしては、アイヌ民族について映像を観たり説明を聞いたことはある。主に民族尊重と文化尊重の二面があったように覚えている。民族尊重は、被差別部落と似たようなニュアンスで位置づけられていたような記憶で、文化を尊重する説明は、子供には哲学的な難しさや、怖い感じが印象として残っている。かつての土人保護法という昔の法律名や、それに対抗するアイヌの人たちの怨念のようなものが感じられたからだろう。

だから頭では理解しているが、熊の木彫りの置物を家に置くスペースもないし、、、などと表面的な必要性の有無だけで判断して、とくに近づくことなく、体感しないまま長年過ぎてきた。

漫画を通じて、荒唐無稽な史実との紐づけに呆れ笑いつつも、アシリパさんがつくる料理、杉元がアイヌの生活に入りながら学んでいくカムイという言葉に代表されるアイヌの知恵や習慣、アイヌとカムチャッカ半島の北方民族とのつながりなどを、ストーリー展開と興味に導かれるまま、楽しんで知っていくことができた。漫画にはこんな教育効果があるのだなぁと改めて体感した。

展示は様々工夫されていた。たとえば印象的な場面が大きいパネルにしてあり、その前後のストーリーや感動を思い起こした。作者 野田サトル氏が個人で所有する三八式銃、制服、飯盒など当時の実物も置いてあった。私は特に食生活に引きつけられた。オハウ・チタタプ・北方の餃子(ペリメニ)など。

動物の骨で作る矢じりなどが見つかる先史時代に、北方民族と交流があったとは知っていたが、江戸末期・明治時代、近代の入口にどの程度交流があったかは、いままで思い描いてもいなかった。まぁロシア皇帝の暗殺未遂した人たちと直接交流があったかどうかは想像の域を出ないけれど、国後、択捉、色丹島、歯舞群島からカムチャッカ半島、樺太との日常的なつながりが確かにあったのだろうなと、想像をはせることが出来た。この観点をもつと、また得られる情報が変わってくるように思う。

こんな体験につながり、年齢の離れた友人に感謝。友達は大切だ。

 

20220617 Fri.

数日前に聞いたアンナミラーズ閉店のニュース。この近くに勤務地があったこともあり、友人の間で悲哀の感情が駆け巡った。

今回のニュースで、このお店が井村屋の出資だということを初めて知った。井村屋といえば“あずきバー“。肉まんもあるけれど、やっぱり“あずきバー“。比較的混ざりものが少ないシンプルだからこそ美味しい。そんな実直なイメージのある会社が出資していたのか。

アンナミラーズは、男子学生&おじさん受けする、女性ウェイトレスの制服が有名で1973年オープンだそうだ。高輪店は1983年開店。女子学生だった私は男性受けするお店は避ける方だったが、確か広尾あたりの店へ一度行ってみたら、居心地よく、様々な種類のパイが美味しくて気に入った。その後、通勤路にアンミラがあり、時々会社帰りに寄ってお喋りした。

退店ニュースを知り、これは8月末の退店までに行かなくては、とあちこちで会話が始まっている。学生時代や会社生活の思い出が掘り起こされ、ちょっと寂しさが増している。

何度も行きたいけれど、相当混雑しているようなので一度行けたらいい方かもしれない。 


それにしても再開発の功罪がここ数年、そしてこれからもしばらくの間、課題となるのではないだろうか。

いまの再開発の仕方は罪が大きいように感じている。それは自分が年取ってきた現れだろうか。あちこちの再開発において、開発自体が不必要であるとか、地元の良さや人のつながりを失う、という声が出ている。

概ね再開発はデベロッパー主導で行われ、客単価の高い店に置き換わっていく。その結果、どの駅も似たようなラインナップになる。少し毛色の違う店を入れようと凝ると、もっと客単価が高くなる。そうして可処分所得の多い、比較的高収入の人しか店舗を利用できず、一般庶民にとって、これまであった憩いの場が減っていく。つまり収入の差が広がると同時に、お金に余裕がない人々にとって、気軽に人とのつながりや気持ちの余裕を生み出す場も失われる。街は一見きれいになるのだが、ぬくもりの希薄な状態になる。

個人的に近年損失を感じたのは、渋谷駅のそば屋「しぶそば」だ。

渋谷駅はいまや再開発の最盛期にあり、元「しぶそば」の前を大勢が無表情に通り過ぎるだけになってしまった。私が行っていたときは、もりそば390円~430円、かき揚げなどトッピングつけても500円~580円。立ち席と椅子席を選べて、場所柄いろいろな方が来ていた。塾帰りのような親子連れ、買い物帰りのマダム、大学教員、学生、サラリーマン、昔なじみのおっちゃん、おばちゃん。それなりにお腹にたまり不健康でない食事を、低額で短時間で食べられる便利な場所だった。お店の人との瞬時のコミュニケーションがお客さんにとって忘れられないやりとりだったことが上記紹介記事から読み取れる。

渋谷駅は大きなターミナルなので、地元民の論理はあまりないが、それに代わるのは利用者の声だろう。

地元という点では、最近の阿佐ヶ谷や高円寺などが思い当たる。記事はコロナ前のものだが、街の人にとって現在進行形のホットな話題になっている。

阿佐ヶ谷@杉並区


高円寺@杉並区

 

杉並区は、水爆禁止署名活動が日本で初めてスタートしたところで、区民からの意見表明が活発なところらしい。再開発に限らず、いまの日本の状況は、一般の人々・市井の人・庶民(どんな言葉がぴったりくるのか、私もその一人)にしわ寄せがきている。平成の間に格差は進んできたけれど、一方で東日本大地震のあと、とくに政府任せではなく、自ら声を上げ、自ら何か手を動かすことの有益さが目に見えるようになってきた。

(後日記載)ー-------------------
つらつら思い返していたら、なんと6/19は杉並区の区長選挙だったそうで、189票差で、市民の声を代表するような方が当選したという。面白いのは、今年4月にたまたま杉並区民になったということ。その土地に長年いたかどうかよりも、人々の声を吸い上げられるか・適切な自治プロセスに落とせるかが重要なんだなと思う。

杉並区 区長選挙結果

新杉並区長 岸本さとこさん 公共政策研究者

 (後日記載ここまで)ー-------------------

参院選。民意が行動に現れ、結果につながってもらいたい。今回の選択により、成り行きで軍事・改憲へなだれ込むか、議論したうえで最善の道を探すか、分かれ目だと思う。
期日前投票の増加、全体的な投票率のアップ、18歳の投票推進、それらを願いたい。

 (参考)品川駅西口 国土交通省による基盤整備計画
高輪ゲートウェイ駅周辺・特区およびリニア新幹線に合わせた開発。

https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000743138.pdf


20220618 Sat.

ストレングス・ファインダー
半日、友人が先生となり中身を教えてもらう。先生役入れて5人それぞれが、個人の成長発達や組織開発に関心があるメンバーなので、話の展開も面白い。

自分の結果はシステムで自動生成されたレポートを事前に読んでいたが、お互いの資質はわかっていなかった。蓋をあけてみると、全員が「人間関係構築力」「戦略的思考力」関連資質が高く、意外と「影響力」が上位にないところが面白い。それほど影響を与えたい、というわけではない人達ってことらしい。

意外だが、その人・その場の力を引き出そうという場合に、重要なことかもしれない。人を仕向けるのは副作用が大きいからだ。本来は、その人が自ずからその力を引き出すことが目的なのだから。

(少し話がそれるが、インディオの民族のなかには、ヒーラーや医者のような存在はなく、薬草などを使い、病気に偏っている場合は健康な方向へ変化させていく。そのとき相手から感謝されるようでは、ヒーラーや医者として失格なのだそうだ。)

ストレングスファインダーとは
その人の特徴を37の資質の順番で表している。強みに注目してその人らしい能力発揮を促すツール。資質とは『無意識に繰り返し現れる思考、感情、行動のパターン』だという。資質には先天的なものと後天的に身に着けたものがある。アメリカのギャラップ社が開発・運営している。

私の上位資質は、 着想・収集・内省・ポジティブ・共感性など。
なるほど・・・"実際にその通り"、ということと、"そうありたい"、ということが混ざっているような気がする。

 私自身が仕事をするうえで深く探求してきて最も深く理解しているものはMBTI🄬。これと比較をして理解すると私には整理しやすい。

MBTI🄬は生まれ持っている指向に注目する。その人のリソースとなる指向を明らかにし、かつ反対側の指向も使えることを知り、適切な場面で適切な指向を使えるようにすることで、その人が自分らしく能力発揮することができるメソッド。4対の指向(内向・外向、感覚・直観、感情・思考、判断・近く)があり、心のエネルギーの向き、心の機能(2対)、外界への態度からなる。4対の組み合わせから16のタイプが生じる。理論はユングのタイプ論に基づいている。

面白かったのは、資質と指向を位置づけることができそうだということ。

[行動]  外から見える実際の行動
[資質]  行動の裏にある動機や価値観。思考・感情・行動のパタン
[指向]  思考・感情・行動の原動力となる心のパターンがある。
     心のパターンは、エネルギー・機能・外界への態度からなる

単純化すればこのような関係で、実際には資質のなかに指向やタイプと直結するものもある。資質と指向がくっきりと層がわかれるわけではないが、概ね、このような位置づけになる。

行動から人を判断することが多いが、なぜその行動をしたのかは多様な理由・多様な価値観があり、本当のところは本人に聞かなければわからない。だからこそ、話すことはとても価値がある。

 

20220619 Sun.

前日行けなかった友人コンサートの映像を視聴。聴きながら繕い物をした。

最近、何か手を動かしながら動画、音声を視聴することが心地よくなってきた。手を動かすこととは、例えば皿洗い、たまりがちな紙類の整理、小規模な整理整頓、縫物(ボタンやほつれの修繕)、洗濯物たたみ、爪切り、などなど。 

視聴プログラムは、語りやトーク、音楽、映画、対談など。

最近、テレビは実家でしか観ないし、ラジオもだんだん聴きたい番組が減ってきた。理由は、内容が薄くて面白くないとか、話している日本語が聞きづらいとか、話している人をヨイショするための時間に付き合わされている感覚になるとか、音楽の間に挟まれる浅いトークがうるさいと感じるなど。そうして聴ける番組が減ってきた。

よく視聴するもの: 高橋源一郎の飛ぶ教室、山カフェ、鉄道音旅、音楽の泉(すべてNHKラジオ) 【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師(youtube) ・・・ちょっと偏っている。

最近のヘビロテ: 反田恭平と小林愛実のピアノ連弾(2019年12月の演奏録音) 2021ショパンコンクールの2次予選・3次予選 ミッシャ・マイスキーのチェロ演奏 リヒテルのピアノ独奏やコンチェルト 大瀧詠一

網羅してチェックしているわけでないので、いい番組があったら教えてもらえるのはいつも嬉しい。Youtubeはかなりいろいろなものが推薦されてくるので、範囲を広げるのに役立っている。最近の拾いものは、安住紳一郎のトーク番組。

NHKのアナウンサーには、もっとまともな日本語を話してほしい。変に民放っぽく演じるのではなく、まともな話し方をしてもらいたい。

20220620 Mon.

旅上手な先輩から、目黒駅でじゃがいもを受け取った。

この方は美味しいものをよくご存知で、あちこち旅行も沢山して良い経験を重ねている方。食いしん坊でもあり食生活も豊か。ご自身で取り寄せたり購入されるだけでなく、物々交換で食が行き交う人脈を複数お持ちなのだ。今回はいつも沢山野菜を送ってくれる知り合いから、ジャガイモを食べきれないほどもらったので、よかったら差し上げますと、普段つきあいのある3人にお声かけくださった。私は取りに行けるし、そのうちの一人と週末に会う予定。自然と、私が二人分をいただいてくることになった。

ひゃー、重い! でも嬉しい! 有難くもたっぷり、ひとり5Kgづつ頂いた。ほくほくしたジャガイモ料理を作るぞ~ 新鮮で皮ごと食べられる。

・レンジでチンして、バターまたは塩
・味噌汁にわかめ、玉ねぎとともに
・一口サイズに切って、フライパンで炒め、ローズマリーの葉、アンチョビを加える。

あとは具沢山スープとか、千切りにして細切りの肉と野菜とで炒め合わせるとか。レシピサイトも見てみよう。


ガボール・マテ@IEC 日本語コミュニティにて録画視聴

6/3以来数回続いているIEC日本語コミュニティ。本日は、トラウマの治癒で世界的に著名なマテさんが、「子供が小さい頃、自分が誕生日を迎えたとき、こどもに誕生日の歌を一緒に歌おうといったら、一緒に歌わなかったので子供の頬をひどく叩いた。そのときに自分の両親との関係、子供のころに両親から受けた出来事が起因していることに気づいた、そしてそのトラウマを今も考えている」という話をした。

プロと言われる人でもそういうことがあるのか。トラウマの仕組みがよくわかっている人だから、それを癒すことができるのではないかと思っていた。そういう人でもトラウマを扱うことは一生の間、取り組む題材なのだという。そういう人だからこそ、トラウマが残したものと向き合っているということでもある。

腕の良い人が関われば、悩み深いトラウマもすっきり解決させられるものではないか、と思い込んでいることに気づいた。

昔より頻繁にトラウマという言葉に出会う。気軽に使われすぎていないか?と思ったりもする。むしろトラウマについて研究が進み、トラウマの影響がよくわかってきたからこそ、の現象らしい。
例えばトラウマを抱えた人が重要なポストにいることもよくあり、本人がトラウマと思っていないことも多いようだ。無自覚にトラウマの悪影響を振りまいている状況は、当人にも周囲にもリスクがある。

とはいえ誰もが専門家になれるわけでないので、専門用語やレッテル張りに振り回されるのではなく、一般的には、対象者(or自分のこと)を尊重し、なおかつ、小さい頃のことまで時間をさかのぼって大事に扱うことが必要だと認識されるようになっている。
日本の戦後間もないときには、トラウマを持っているひとは大勢いただろうけれど、それを問題視しないで、ある意味触らないようにして、個々人が頑張ってきた。社会的な人のつながりがそういったリスクをつつかないように、支えてきたとも考えられる。今現在は、トラウマの蓋が開くことがありがちで、そうなると影響が大きい。なおかつ解明されたことも多く、治療の手がだんだんと整い始めてきている。

 

20220621 Tue.

夜実家へ。
このところ母は、エネルギーチャージが早めに底をつくようになった。気持ちはやりたいけれど、エネルギーはやりきれない。夕飯をあまり食べないようになっているのか、一緒に用意した夕食では、ちょっと私には物足りなかった。持参した出来合いのおかずがあって良かった。


4月に白浜で南方熊楠の記念館・顕彰館へ行ったことで、最近また熊楠熱があがり本を読んでいる。これはオンラインで法螺貝を吹いていらしたことで記憶に刻まれた鎌田東二先生の著書。

南方熊楠(1867-1941)の一生について大まかに知ってはいるが、深く掘り起こすには膨大な資料を読まなくてはならない。そこまででなく、ある程度まとまったものを読みたいと思ったときに出会った本。

宮沢賢治(1896-1933)は『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』など童話をいくつか読んだことはあるが、よく知っているわけでなく、不思議な人だという感覚だけ持っている。二人を対にしてみて、その共通点を見出す鎌田先生ご自身が面白い。そしてその目の付けどころの面白さから、私は2人についてこれまでと別な角度で知ることが出来た。

この本では、熊楠と賢治を横と縦に位置付けて、特徴を明らかにしたうえで、二人の仕事から引用して詳しく解説してくださっている。もしかするとそれぞれを研究している現代の研究者にとっては、強引な位置づけがあるのかもしれないが、二人が為そうとしたことを明快に論じ、かつ具体的な原典が示されていて、私にはとても面白かった。

熊楠と賢治の特徴を一部記載してみる。

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・二人とも当時理解されなかったが、彼らが発したビジョンとメッセージは、いま理解され始めている。つまり理解しうる状況に社会が成熟したということで、その意味で100年早く生まれたといえる。
 熊楠はユーラシアの地の果ての島国から。
 賢治は「修羅の十億年」の時の果てから。
南方熊楠は横一面男。”物・事・心が相互に連絡・関連しあい、どこまでも連なり、一台知的宇宙を日々膨張させ、更新して止むことがない“
 ネイチャーへ多数投稿・粘菌研究・神社合祀反対・腹稿・エコロジー提唱
宮沢賢治は縦一筋男。“「よだかの星」のよだかのように、どこまでもどこまでも垂直に天空飛行し、銀河系の彼方に飛び込んで行って木っ端微塵に散らばっていこうとする”
 法華経信仰・農民生活に根差した創作
・二人とも生態智の思想を心のなかに持っていた。草木も山河も霊性、霊感を持つというアニミスティックな神観。
・二人とも五感を超える不思議な体験を経験し、透視やテレパシーなどの超心理学的現象にも関心があった。
・二人ともインテグラル理論で語られる意識発達において、当時の社会の重心より上を知覚していた。
ー------

本全体を通じて、鎌田先生の目の付けどころが良くて、クスリと笑ったり、鎌田先生ご自身の内的エネルギーがか垣間見られるところがいくつかあったので抜き書きしてみる。鎌田先生の人柄や二人への尊敬の念が伝わってくる。おやじギャグともいえるが、その着眼点がユニークなのだ。

・「二人のM・K」  p,16

・最後の一文 
「二人の M・K が遺したメッセージを「如是我聞」、私はかく(本書)の如く聞いた」 p.292

・「比叡山の峯に住み毎朝比叡山の神仏に祝詞や祭文や真語や般若心経や各種真語などを含む神仏習合的祈りを捧げ、石笛横笛ホラ貝などの民族楽器40種類ほどを奉奏し600回以上比叡山を上り下りする中で私はそのように考えるようになった。比叡山を回峰しながら朝日に照らされたこの世界のいのちや森羅万象を見ているとそのように感受される視点と思念が生まれてくることは必然的帰結だと思える。比叡山山中を歩き美しい琵琶湖水や山並みや植物の生育を見ているとそれらがそのまま浄土の光景に見えてくる。いのちあるものはそのままで美しく、 完成されてるというのは山岳修行者の実感である。」  p.277

『南方熊楠と宮沢賢治』鎌田東二 著

 わかりやすい解説を見つけた 100行で名著


また、この書籍のAmazonレビューはどれも読みごたえがあって面白い。レビューしている人の個性がにじみ出て、それは著者の灰汁の強さでもあることを雄弁に語っている。

 

20220622 Wed.

実家にて。
雨も降っているので、少し枝切をした以外は室内で、郵送物などの紙ごみの整理、シソジュースづくり。

紙類、たとえばDMなど郵送物、個人宛書類、何かの目的で取り置いていた新聞・雑誌、ノートなどメモ。あらゆる書類の処理は、私の家族はみな上手くない。そもそも一人でやるには飽きて疲れて、処理するよりも入ってくる方が多く、それが続いて溜まっていく。我が家にとっては憂鬱な作業。てきぱきと上手に処理する人には理解できないことだろう。

テレビを横目で見ながら処理していき、とにかく今日はこのまとまりを片付けることを目標に、とにかく達成した。

そしてシソジュースづくり
この時期、友人のSNS投稿には、シソジュース、梅しごと(梅酒、梅ジュース、梅干し)、びわ化粧水づくりなどが頻繁に出てくる。この傾向は2‐3年とても顕著だ。おうち時間、畑仕事などに光が当たっている。

シソの葉、約1キロをよく洗い細かいゴミを取る →沸騰した湯に入れて煮だし、クエン酸と砂糖を加える。→平行してシソジュースを入れる容器を消毒しておく。→クエン酸を入れて鮮やかな濃いマゼンタ色になった液の粗熱が取れたら容器に入れて冷ましておしまい。

ペットボトル2本分を貰って帰る。さっぱりした味は、べたべたと湿度の高い空気のなかクリアに感じられ、飲めば元気になるような気がする。シソの葉も貰ってきた。ゆっくり乾燥させてゆかりをつくろう。

 

20220623 Thu.

どうしようか、この数日ぐずぐず考えていたのだけれど、やはり北海道へ行こう!と思う。

・JR割引チケットの実施期間。
・ウポポイというアイヌ文化の伝承施設がリニューアルオープンしている。
・函館はゴールデンカムイ最終場面の舞台。夜景も楽しみ。
・廃線の声がつづく北海道の鉄道に乗って車窓をみたい。
・6月の富良野あたりきっといい景色を見られるはず。

あまり情報集めをしていないので無謀であるが、何とか予定を組み、宿泊場所を予約した。この日数だとJR全線はもちろん乗れないが、なるべく広く乗れるようにコースを組めた。
列車のチケットは明日買いに行こう。

 

20220624 Fri.

夕焼けがきれいだった。

今日は一日風が強く、シソの葉を干してゆかりを作っていた。夕方、空が晴れたので渋谷SKYへ上がってみようと思いたち出掛けたところ、屋上は本日クローズ、なぜならば風が強かったから。そっか。

それでもひとつ下の階から、屋根付きでガラス越し夕焼け鑑賞。

ガラスに室内ライトが反射している。西側、19時過ぎの日没。

人は普段より少ないが、写真撮影やお喋り目的で、若者たち、東南アジア系の男女グループ、カップルなどが来場し、それなりに賑わっていた。

日没からしばらくの時間帯は、東京タワー側の空に青みが増していき、ネオンがだんだんを増えていく夕闇の時が続く。美しいなぁ。

日没から30分ほど経過した、東側の空。

しかし、いまだからより強く思うのだけれど、このなかで不要不急の電気はどれだけだろう。つまりそうでない、不要不急ではない電力はどのくらい使っているのだろう? 東京はビジネスの集積地として利便性が高い一方で、小さな空・高い生活コストなど負担を負っている。その利便性のひとつ、電気は東北や北陸や関西から頂いていて成り立っているのだ。これはもっとスリム化できるはず。

美しい夜景を愛でることは楽しいことなのだけれど、もっと電力を抑えてもいいはずだと思う。


列車のチケットを購入し、これで旅行に行けるなという確信に至った。食事はどうしよう、雨だったらどうしよう、そして荷造り。


夜は今年最後のIEC日本語シェア会。クリスティアーネのワークショップ。

クリスティアーネは、世界の名だたる企業や、各国で、組織開発やチームビルディングをしてきた人。目的志向のビジネスと自己組織化を専門としている。私たちの理解を「支配する力」から「共にする力」へとシフトさせることで、経済システムが真に人々と地球に貢献すると考えている。

企業が合併するときのカルチャーギャップを埋めるとか、より大きな力を出せるようなチームビルディングをするとか、新しい価値観を企業活動に取り入れるためとか。民族同士の対立を越えていかにひとつの国をつくっていくとか。そのような大きな仕事をしてきた人だ。

その人が、パワーの使い方について話をした。そして、人々の変化を促すことや、それを保っていくことはとても難しいとも述べていた。そうなのか、こういう人であっても、一旦うまくいった活動が徐々にうまくいかなくなることを経験しているらしい。

そして、その行きついた先がPowerとLove。
英語と日本語のニュアンスの違いがあるけれど、話していたことはおそらく

・Powerの捉え方を豊かにして、使い方をよりよくしていこう
・Loveとは一人ひとりを大切に思うこと

ということだと受け取った。 

パワーに関して、power over, power with, power asという概念を話した。私の理解では
・Power overは、何か目的を果たすために力で相手に勝って目的を達成するということ
・Power withは、ともに力を合わせて共創して作り出していくこと
・Power asは、その人の存在理由を果たすための力、何かを成し遂げること

Power overとしてイメージしやすいものは、権力とか暴力。最近はpowerというとそればかりが強い印象を与えている。でもpowerは何かを成し遂げるために必要なもの、という考えもある。というか、むしろこちらが大元。権力はその手段だ。ともに各々の力を合わせて(自己組織化しながら)生み出していくことがpower with. その人がそこにいる何等かの目的:使命、その企業が存在する何等かの目的:使命があり、その存在として力を使う。だから、Power as

Love. 日本でいう慈悲・畏敬の念なども含まれるかもしれない。少なくともLove=愛・性愛とは異なり、もっと広い概念。というか、私たちがpowerやloveの概念を変えていく、あるいは、いま一面的・限定的になっているのでそれを広げるといいのかもしれない。

Power and love. 二つは対であると。

何かを慈しみ、大事にし、何かを達成しようとするところに力を使う。それが本来であろうということなのかもしれない。

 

20220625 Sat.

友人の演奏会へ。先週開かれた同じ友人の演奏会には行けず、オンラインで聴いてそれはそれでよかったのだけれど、やはり生で聴かないと、息遣いや雰囲気が伝わってこない。オンラインでは音だけに限定されるのだ。その結果何が違うのか・・・、立体と平面、そのくらい違う、と思う。でも意識を向けないと、そこまで気づかないかもしれない。

いまだって、Youtubeにあった反田恭平と小林愛実の連弾を聴いていて、これはこれで素晴らしい。チケットが取れなかった大人気のコンサート。それをこうして聴けて有難い。だけど、もしその場へ行けたら、そりゃ違う、もっとインパクトが大きい。

音楽には一回性という特徴がある。その場の空気、演奏者のコンディションなどから、その演奏はその一度きり。

すべてをリアルな場で聴くことはできず、興味と時間とお金の相談の結果、優先順位をつけることになり、99%以上は間接的に聴いている。

音楽から離れるけれど、絵画はどうか。直接見るのと、オンライン美術館。生で見るのは、大きさや質感から受け取るものがあるということだろうか。

一回性という点では、絵画には音楽のような一回性はなく、再度観る場合は同じ絵を観ることになる。違うのは見るもののこころの状態。


とにかく今日は室内楽を聴きにいった。フルート・バイオリン・チェロの三重奏、さらにビオラも加わった四重奏。バイオリン2人・ビオラ・チェロの四重奏。最後にバイオリン・チェロ・ピアノ。フルートの伸びやかな演奏ぶりが印象に残った。

もうひとつ印象に残ったのは、最後の曲で、バイオリンが急に鳴り出したことだ。奏者の表情が違うし、バイオリンの音に艶が増した。その方はとても上手な弾き手で、それまでもしっかりお役を果たしていたのだけれど、この曲では乗っているというか、それまでの無機質な感じから生き生きし始めたように聞いている私には受け取れた。

ハイドン:ロンドントリオ第1番 ハ長調 Hob.IV-1
モーツァルト:フルート四重奏曲 ニ長調 K.285
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調 Op.95 《セリオーソ》
フォーレ:ピアノ三重奏曲 ニ短調 Op.120

当日演目

終演後、ピアノを弾いた友人に会い(コロナ後、こういうことも出来るようになった)話をしていると、なんと最後の曲は、バイオリンとチェロのお二人が30数年前の結婚式で引いた曲なのだそう。そうか、だからバイオリンの人はとても豊かな感情を表し、それまでの二人のコンビネーションが一段増したのか。「弾いていて二楽章からとてもバイオリンが変わって、感情がこもっているというか、表情も変わった」と伝えたら「本人が聞いたら喜ぶわ」といってくれた。

表情は表面的な何かではない。(そのように使うこともあるけれど)
こころの中が外に出てきたものが表情。今日の女性は、いつもとは違う感情が溢れてきて、表情や演奏につながったのだろう。聞きに来ているものとしては、演奏を通じて何をその人が表現しているのかを聴きたい。だから、自分が何か演奏するときに、正しさにこだわるより、表現したいものが伝わるようにしたい。


今日は日差しも強く、高い気温で、久々に外を歩くことが辛くなった。これからこういう日が増えるのだなぁ。覚悟じゃ!

 

20220626 Sun.

前日、実家の母より写真が送られてきていて驚いた。なんと、庭の中木の茂みに鳥の巣があり、雛がいるのだ。3羽、小さな巣のなかに三つ巴の文様のように雛が入っている。確かにあの木には、鳥がよく来ていたし、庭には細い草のような、あるいは茎のようなものがよく落ちていた。なんと、巣をつくっていたとは!

たまたま枝を切っていて、気づいたのだそうだ。

知人にきいてみたところ「メジロ」。確かに目のあたりがメジロだ。母によると、昨日はしばらく親鳥が戻っていないようだという。植木の枝を落としたり、巣の写真を撮ってしまったことで親鳥が警戒しているのだろうか。人間の匂いがつくと育児放棄するという情報も聞いた。

心配になって、母に連絡を取ってみると日曜日の今日は、親鳥も戻りヒナが盛んにさえずっているという。ほっとして嬉しくなる。

ほっとするのは、なぜだろう? 人間には何か命を愛おしむDNAが入っているのかもしれない。


例によって、夜半になっても旅行の荷物が出来ていない。今回は四泊五日。2種類のアウターと、インナー四組があればよいだろう。北海道はまだ20度くらいになるそうだから風よけになる上着、傘も必要。簡単な荷物のはずだ。

そこまで明確なのに、小型トランクにするか大きなショルダーバッグにするか、家の冷蔵庫にある食品をどうするか、そういうことでぐずぐずしている。

濃い目の生姜醤油風味のサンマ煮つけ、パイナップル1個丸々、卵、これらをどうするか。それとパンが溜まってしまった。

・パイナップルはすべてカットして、一部はタッパーごと旅行へ持参
・卵は茹でて、4個持参
・パンは冷凍、クロワッサン2個を持参
・サンマは味が濃いので大丈夫、置いておく
・キャベツと茄子はスープにして食べきる

結構食品で荷物が多くなる。小型トランクを引きずることにしよう。結局、これが移動には楽なのだ。

 

20220627 Mon.

4時間ほど寝て、朝、読書会を行ってから旅行へ出発。

今回はケガしないよう、荷物をどこかへ置き忘れないよう、切符を無くしたりしないよう、指定の時間に間に合うよう・・・それらに気を付けて。でも一番は楽しんで来よう。

荷物をまとめて駅へ向かう途中に、コンビニで公共料金の支払いを行い、旅程表をプリントアウトしていたら、意外と新幹線ギリギリになった。東京駅についたら発車まで10分。急いで東北新幹線の改札を目指して、水を買って乗車。コーヒーを買いたかったけれどその時間なし。

旅行するときには、新幹線よりも特急や在来線のほうが景色を楽しめる。だから新幹線を増やすことにあまりよく思っていないのだが、北海道まで行くなら、そこまでは新幹線で早く行けるのはありがたい。新函館北斗駅にて新幹線から在来特急へ乗り換える。


今回は5両の特急列車のため、北海道で海岸線をカーブしたときに後続車両を窓越しに見ることはできない。長さが足りない。

以前、上野から札幌までカシオペアに乗車したことがある。おそらく最後の北海道上陸したツアー。北海道で大沼や海岸線を走るとき、連なる車両を観ることが出来た。いまは盛岡や青森までしかいかないので、あれは貴重な機会だったなぁ。2月。雪景色。

そんなことを思い出しながら、新函館北斗駅から特急北斗へ乗り、白老駅で下車。この駅は便により停車しない特急もある。登別・白老と駅が続き、次は苫小牧。昔は、アイヌの人たちが海近くまで丘のような森が迫っているなか縦横に移動して暮らしていたのだろう。

今晩は、ここでホステルのなかのドミトリーに泊まり、明日ウポポイを見学して夕方札幌へ行く。夕日がきれいだった。雨と曇りの予報なのだが、予報を裏切ってくれるだろうか。

駅から10分かからないホステルに入り荷物を置いて、とりあえず何かおなかに入れよう。空腹というわけでもないが、コーヒー、野菜が欲しい。ちょうどよさそうなお店を見つけて・・・

座ってシーザーサラダを待っていると、窓から見える道路の向こう側、町のモニュメントのあたりでお爺さんが草取りをしている。宿に向かうときは、もう少し駅よりで花壇の植え込みの手入れをしていた人だ。石のタイルとタイルの隙間から生えてくる草を取っているのだろう。夕飯前のひと働きで、陰徳をつんでいるのかな。町の人が、規則でも当番でもなく、自主的にこういう活動をしているのかもしれない。できるときにできることをする。もしそうだとしたら、素晴らしいことだな。

腹ごなしに海へ向かう。明日のウポポイは海と反対側。夕日が沈むだろうけれど、いまのうちに海を見ておこう。海沿いを走る道路には横断歩道などない。車がそう多いわけではない。途切れたタイミングに海側へ渡る。直接海岸には出られないけれど、左右に広がる水平線。すでに夕日は落ちているけれど、深い青さであることはわかる。

白老の海 南東を向いていた海岸線

ああ、なんだかこの広さ、この開けた場を味わいたかったのかもしれない。
何かふっきりたい感じがする。
何かアップデートしたい感じ。
何って何を? そこがあいまい。
とにかく、
過去頑張ってきたことを認め、未来においても力を尽くすと自分に期待し、
今この瞬間を生きるぞと言葉にしてみた。

 

20220628 Tue.

朝方、隣の人がガサガサしている音を聞いたけれど、次に気づいたときは私一人だった。もう8:30。ゆっくり寝てしまった。ウポポイは9時オープン。
ウポポイは、民族共生象徴空間という言葉が添えられている。従来のアイヌ文化紹介施設と国立博物館が合わさり2020年リニューアルオープンした。

9:15頃、宿を出る。霧雨。

ウポポイまで駅を越えて15分くらい。雨は止む気配なし。予報通り1日降っていると覚悟しなくてはならない。ひどくならなければ御の字だ。

雨降りのウポポイ 真ん中はポロト湖

9:30にウポポイへ到着し、本日のイベント一覧を観て大まかに計画を立てて、結局このようにゆっくり見学した。

・チセ(住居)にてアイヌの生活を説明してもらう
・一通りウポポイ内を歩いて、売店でイチゴパイとコーヒー
・交流ホールにてアニメ
・チセ(住居)にて野草の活用について説明してもらう
・カフェにてオハウでランチ
・交流ホールにて予約していたパフォーマンス見学
・織物、木彫りの実演や展示見学
・博物館の予約時間に入館し常設展示と、特別展示(知里氏)を見学

16:30ウポポイを後にして、白老駅へ。

昔アイヌの話をきいたり映像を観たときの怖い感じ。あれは哲学的だったゆえなのか、それとも撮影側にまだ見世物的な視点に囚われた何かが含まれていたからだろうか。

ウポポイは、20代~40代が全面に出て説明してくれる。バックには50代以上のベテランが控えている様子も見て取れる。それぞれの箇所では、そのときのテーマについて教えてくれるのだが、いくつか聴いているうちに、アイヌ文化を複合的に理解していくことができる。重層的な理解をねらったデザインがあるのだろうな。

このウポポイ内での公用語がアイヌ語と定められていて、施設の人が「イランカラッペ」と"こんにちは"という言葉をかけてくれる。直に私たちも、それに「イランカラッペ」と返せるようになる。(正しくは”イランカラプテ”  プを飲み込むように発音する。)

アイヌの家 チセ内部 いろり周辺
ウポポイのキャラクター まきり チセ数軒からなるコタン全景 ノヤ(えぞよもぎ)

アイヌ人は長いこと文字や絵を残すことをせず、口伝えと実体験を通して大事なことを伝えてきた。それに対して、江戸幕府は人を派遣し幕府のルールで物事を進め、アイヌが搾取されるようになっていった。

最後に知里真志保さんの展示。知里さんは、言語学者でアイヌ語をローマ字に表し、アイヌ文化の紹介と尊重に邁進した人。展示スペースは博物館の展示よりも大きいというので、びっくりして展示員の方に「30分しかないけれどどう回ったらいいですか?」と伺ったら「いえ、30分あれば十分回れます。あえていえば長方形会場の壁側を順にみること、中の展示は、古いノートなど読みにくいものが多いかもしれません」と半ば喜んでくれて「天井から吊ってあるこの言葉は、こういう意味です・・・」と親切に教えてくださった。この展示は有料となっているので、わざわざ入る方が少ないようだが、観る価値あり。アイヌの文化を伝えようという情熱や尽力した人がいてこそ、私たちは知ることが出来る。


札幌へ。特急すずらん。自由席でもシートがよかった。

時間がなくて食べきれなかったオハウを列車内で食べる。
札幌ではラーメンを食べようかと思ったけれど、それほどおなかもすいていないし、おいしい店は大通りのほうにありそうだし、無理せずスタバへ。 

感じよい20代イケメンが、food loss削減のために20%引きとなるものを勧めてくれた。レモンとクリームチーズのパウンドケーキを注文したら、頼んでいた本日のコーヒーは、このケーキととても相性が良いのだと力説してくれた。「お客様ご存じだったのですか?」いえ、たまたま「それは奇跡ですね~すごくいい組み合わせなのです」と。なぜか妙に盛り上げてくれる。

この店舗は、紀伊国屋書店の脇にあり、ビルの窓側に細長く席が並んでいる。仕事帰りのようなお客さんが多く、私は2つだけ空いていたソファに座った。窓へ向いているので、雨がふり木々が風に揺れる外の景色を見ながらのカフェタイム。

今日のウポポイをちょっとだけ振り返り、明日きっと雨だろうから、と腹をくくって雨対応スケジュールで行くしかないと、あれこれ考えつつ、徐々に選択肢を絞り、目的地との往復バス時間を確認し、交通手段と時間の確認をする。それが固まれば、あとはその枠内なら自由に行ける。これがずれると、ここ北海道のような広い場所では、宿にたどり着けなくなるリスクもあるぞと、厳しめに自分に言い聞かせる。明日は寝坊は許されない!

 

20220629 Wed.

6月30日で閉鎖となる抜け道を通って駅まで。
7:30発なので7:20前に駅に着いたら、なんとその特急は大雨の影響で運行。

なんと。

昨晩の時点で、雨なので美瑛周辺の散策サイクリングは諦めて、旭川で動物園に行き、富良野線には乗ることだけで満足することにしよう、という計画だった。

特急運休するとは。動物園で十分時間をとれるだろうか。やや心配しつつも、20分遅れの特急は動くとわかった。それなら40分遅れで動物園行きのバスに乗車できる。3時間は確保できそう。

旭川駅周辺は、河が多かった。よく見ないと、どちらが上流なのかわからない。茶色く濁った色で流木が浮いていることもあり、雨量が多いことがよくわかる。東京や神奈川でよく見る河川とちがって「川が生きている」。


北海道は自然のまま、川が生きている
旅行中、旭川で川の氾濫や濁流にのまれて死亡したことが報道された


旭川駅は木材を効果的に使ったシンプルで美しい駅だった。バスにのり、広い旭川の街を抜けて「●●四条十番」など数字を多用したバス停をいくつも通って、終点の動物園へ着く。

旭山動物園
霧雨が降っているので、ウインドブレーカーのフードを被って、なるべく傘は開かずに見て回りたい。

まずフラミンゴから始まり、ハクチョウ、カモなど。鳥類が多い。奥の方には、フクロウが何種類も。カラスもいる。ハシブトカラスとか。

有名なペンギン。もぐもぐタイムに丁度当たり手すりに張り付いてみていた。ここは大勢集まるので、人間の見学スペースにも氷山のような長方形を二つ重ねたようなお立ち台があり、大勢がみえるように工夫してある。

しかしカラスを動物園で見るとは。カラスもさぞかし無念であろうと思った。ウポポイで見たように、すべての動物も(ものも)カムイが宿っている。それを考えると、旭山動物園のようにいくら工夫して居心地よくしても、彼らを檻の中に入れておくのは、残念な気持ちにもなる。檻にいれても罪がない動物と、罪になる動物がいるのだろうか。カラスはかわいそうと思う。ライオンはこの気候が辛いだろうなと思う。しかしアヒルやウサギは、ここでもいいのかもしれないな、子供も喜ぶし、と思う。勝手な思いだなぁ。

動物園の展示は進化著しく、珍しい動物を檻にいれて見世物としていた時代と違い、動物の暮らし方・在り方を尊重してきた。そしていま、もう動物園の役割は終わりに近づいているのではないか、とも思う。生態観察するなら意味があるかもしれないが、野生の状態を観たいなら、様々な映像をみたらいいのではないかと思う。実際の動物の大きさ、雰囲気を観るには・・・

そんなことが頭をよぎりつつも、ペンギン、白熊、キリンなど見ていて飽きない。家族に見せようと、沢山写真を撮った。草の茂みにいた狐は、明らかにカメラを向けられると嫌そうだった。こちらを向いた瞬間にシャッターを切ったら、嫌そうな表情でそっぽを向いた。ごめんなさい、ストレスをかけました、と謝ってその場を去った。たいへんだな。


富良野線。

旭川から、途中美瑛を通り富良野まで続く単線。一両編成で旭川を出て、美瑛でノロッコ号という観光用列車3両に乗り換えた。乗客は全体で10数名、途中ラベンダー駅で20名近く乗車。

あいにくの曇雨。遠くの景色は霧がかかっている。その分、山の陰影が美しい箇所もあった。想像していたような、畑が続く場所は、富良野線のうちの一部で、多くは住宅地を通っている。

途中徐行してくれた場所は2か所。赤い屋根の家、という撮影スポット。富良野開拓発祥地の碑が立っているところ。

ピントが合っていないが(左)赤い屋根の家 (右)開拓発祥地の碑

両側を木々に覆われた線路がカーブに差し掛かると「ピーッ」という警笛を鳴らす。線路を進むガタン、ゴトンという振動や音とともに、味わいを感じる。


富良野のホテル。案外居心地がよかった。

街歩きをして、Googleマップが教えてくれたアイスクリーム店に寄ってみた。小さなお店で、地元の果物、牛乳などを使っている。ハスカップとミルククリーム、イチゴとチーズケーキ風味のアイスクリーム、ピスタチオ、この三種を小さなスクープでカップに入れてもらって380円。濃い味だった。都心ではとても味わえないだろう美味しさ。

アイスクリーム はっぱジェラート

富良野マルシェ、ここは地域あげて力を入れている様子。近隣の新鮮な野菜・肉、地元加工品などが様々あり、フード店と中庭にテーブルとイスがある。道の駅と、地元コミュニティエリアが合体したような場所だった。街のなかに人が交流する場を意識して作ろうとしているようだ。

途中、Googleマップで見かけた台湾料理のお店で、閉店片付けをしていた。思わず引き寄せられて、お店辞めちゃうのですか?と聞いたら、台湾人の店の女性が、古い店舗なので、立ち退きか修繕を迫られ、新しい場所を探しているのだと。安くておいしそうなお店だった。台湾へ戻るというチョイスは、いま無いだろうから、ここで美味しい味を続けていけるよう、応援の気持ちを添えてお喋りしてもらったお礼を伝えて立ち去った。

 

20220630 Thu.

6時半から7時までオンラインを行って、7:17発の列車に乗ろうとしている。ちょっとSNSに書き込みしているうちに気づけば7:06となっていた。急いで荷物を持ちエレベーターで7階から1階へ。タッチパネルでチェックアウト、駅まで走る。焦ったけれど良かった、行ってみれば歩いても5分かからないような駅近。余裕でホーム到着。

今日は移動日。15時近くに函館に着くまで列車・代行バスを乗り継ぐ。根室本線富良野から東鹿越まで電車。東鹿越から新得まで代行バス。2016年の台風で根室本線の一部が被害に遭い、いまもって復旧していないそうだ。その区間を代行バスが走っている。JRの乗車券で乗れる。

代行バスは途中、「ぽっぽや」撮影地との看板が立つ駅、幌舞駅(幾寅駅)にも停車した。広い広い畑と、合間にぽつっ、ぽつっ、と立つ民家。映画撮影のときは、さぞ人が多かっただろう。その人たちが町の人たちの暮らしを尊重し、大事に思ってくれて嬉しかったことだろう。撮影した2005年からもう17年。列車が運休のまま6年も走らず、線路には草が生えている。地元の方々はあれこれ不便があり、取り残される感覚もお持ちだろうな。旅行者の目には、とても素晴らしい環境にみえる。夏だけ手伝いたいという人も居そうな気がする。

バスの中から辛うじて撮影

代行バスは、途中で「セブンイレブン前」というバス停で停車した。ここでは列車から一緒に乗り換えてきた高校生7、8人が下車。見れば30mほど先に北海道南富良野高等学校があった。伸び伸びして感じの良さそうな高校生たち。私の後ろの席だった学生さんは、なにやら宿題かノートに書き込みをずっとしているようだった。シートを倒さなくて良かった。

畑の間を通り、山と山の間へ入っていくと、落合駅を経て道は峠へ向かう。狩勝峠。石狩と十勝の間ということらしい。この道は北海道ガーデン街道というらしい。ところどころ線路と道路が平行し、河を越え、木々に囲まれた道が続き、峠を越えると向こう側には見事な裾野が広がっている。ああ、見晴らしがよくて草木に覆われていていい眺めだ。秋には紅葉がきれいだろう。きっと列車からの眺めも良かったのだろうなぁ。

サホロのホテルにもわざわざ寄る路線になっている。しかし駐車場に札幌ナンバーの大型車や外国車が5、6台あり、バスに乗る人はいなかった。

新得駅にバスが着いた。この駅は、帯広方向(根室線)、札幌方向(根室線)、函館方向(石勝線)へ分岐する結節点になっている。私はここから在来線で南千歳まで行き、特急に乗り換えて函館へ。途中トマムの停車駅があった。このあたり、サホロ・トマムの開発のために自治体もJRも設備をあつらえたのだなぁ。経済的な潤いと環境負荷との割合はどんな状況なのだろう。


南千歳に着いたのがちょうど11時過ぎ。朝ごはんをちゃんと食べていないので、お腹空いたなぁと思ってWeb検索してみると南千歳には駅弁があると。嬉しい。特急への乗り換えのとき、見逃さないようキョロキョロしたら、なんと特急が停車するホームに売店がある。まるい弁当。ここでほっき弁当か、よくばりな彩弁当か迷って後者を選ぶ。ほぼ満席の特急に乗るやいなや食べ始める。おいしい~。

まるい弁当(苫小牧・南千歳)


函館
ここを築いてきた人たちは、始まりの開拓精神が旺盛だったことが実感された。それがゼロ地点の表示。
wikipediaによると、"1873年(明治6年)に函館 - 札幌間の新道が完成。同年11月5日の太政官布告第364号により同新道は札幌本道(さっぽろほんどう)と定められた。札幌本道は、北海道開拓に最も重要な路線として日本初の本格的な長距離馬車道として建設されたもので、国道5号の起源にあたる” とのこと。
なるほど、だからこの起点表示が掲げられているのか。

旭川駅前の交差点にある国道5号の起点表示

函館市は都市宣言を、石碑として駅ターミナルで周知している。そのなかに核兵器廃絶宣言も掲げられていた。この宣言をすべての都市が行ったら、国は、国際条約を批准するだろうか?
核兵器のない世界を目指して日本政府は毎年、核兵器廃絶決議案を国連に提出し採択されてきた。しかし核兵器廃絶条約は批准していない。

左の上から2番目に、核兵器廃絶平和都市宣言の文字

<後日調べてみた>
ウェブサイトで一覧を探してみたら、、、あった。結構な数の地方自治体が宣言をしている。ほとんどの都市ではないか。それなのに、国としての条約批准は別もの、という現実。やはり日米安保条約の扱いが足かせなのか。戦略的に長期展望を持って変化させていくことが日本の主権の表れだと思う。

<自治体単位の宣言数 と自治体総数から算出した未宣言数>
都道府県   42   宣言採択していないのは 5/47都道府県
政令指定都市 20   宣言採択していないのは 0/20
特別区    23   宣言採択していないのは 0/都内23区
市       745   宣言採択していないのは  25/770  2020年調べ(*)
町       658   宣言採択していないのは  87/745 2020年調べ
村       159   宣言採択していないのは  30/189 2020年調べ

宣言をしている自治体数:2019年5月時点 日本非核宣言自治体協議会調べ
http://www.nucfreejapan.com/uploads/2019/05/%E9%9D%9E%E6%A0%B8%E5%AE%A3%E8%A8%80%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BD%93%E4%B8%80%E8%A6%A7.pdf
直近の自治体数:総務省HP
(*) 市町村数は790。おそらく政令指定都市が含まれているので除いた770を総数とした。


さて函館観光。まずは五稜郭タワー、そして五稜郭の中へ、再建した奉行所を見せてもらう。五稜郭での戦いは、結局のところトップが甘い見込みで、誤った方針のもと徒労に終わる戦いを繰り広げた、ように思える、、、などといっては元も子もないが、ロマンはあるけれど勿体ない戦いだったと感じる。しかし時代の澱を流す効果は絶大だったのかもしれない。〝昨日の敵は今日の友“ そんな言葉を置いて、近代へ向けて大きく切り替えていった。

五稜郭タワーより
再建した奉行所

夜、ジンギスカンを食べようとお店まで行ったけれど、思いのほかお腹がいっぱい、店内も満席。おまけに元気不足。代わりに赤レンガ倉庫まで散歩してスタバスタンプをゲットするに留めた。
翌7月1日には、函館朝市で海鮮丼を食べて市場をぐるっと一周。自分達が採集しているという柔らかい昆布(早煮昆布)を荷物に押し込めていさりび鉄道へ乗車。

十色丼 鮨処はこだて

昨晩、霧のため夜景を諦めた函館山。この函館山を、対岸を走るいさりび鉄道から眺めた。曇りだけど見えただけで御の字。

いさりび鉄道
列車内から海越しにみえた函館山


終点の木古内駅に到着。周辺のみそぎ浜・道の駅を散策。

初日、白老で海へ行った。旅の終わりも海だ。
みそぎ浜。禊。
区切りをつけて、新たに日々取り組もう。

道の駅では、地元の野菜やお菓子、加工食品を置いている。今回いいものを見つけた。百合の根を餡にした最中。試しにお手軽な5個セットをお土産にしてみたところ、とても美味しかった。いつか取り寄せをしたい。

木古内駅は北海道新幹線の駅でもある。13時、ここで予定していた新幹線に乗車し、17:00頃に東京駅着。

本州に入ったら、こんなに空は青かったのか、田んぼはこんなに鮮やかな緑だったのかと思う。本当に、曇りと雨だけの北海道滞在だったと実感。当初目的としていた富良野の景色と函館の夜景は見られずアンラッキーだった。しかし広々した空間、大きな空、街を築いてきた人たちの足跡にも触れられた面白い旅だった。やはり旅は私には必要。これまで持っていなかった観点に出会ったり、普段無意識に機械的に過ごす時間を、意識して有機的に紡ぐことができる。人生は過ごすのではなく、紡ぐものだと思うことができる。

 


長文をお読みくださりありがとうございます。
梅雨から夏に入り、この先の気候の厳しさと、
世界の状況、日本の状況の厳しさを感じている日々です。
ほっとできる瞬間があり、手足を伸ばして身体の声を聴き、何かひとつ感謝して眠る、そんな一日でありますように。 

 

 

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