PhantasMaiden プロローグ

――泡沫のように、『私』が弾けては消えてゆく。
ヒトの身体が魂の入れ物なのだとすれば、今まさに私の魂は零れ落ちているのだろう。
『私』が末端から消えてゆくのが感覚的に伝わる。
……静かだ。
もうどれくらいの時間が経ったかすらわからない。それは数多の英雄譚が紡がれるほどの途方もない年月だったかもしれないし、あるいはほんの数秒にも満たないのかもしれない。
ただ一つ理解できるのは、私が確実に終わりに近づいているということ。
……特に生前に未練があるわけではない。死、あるいは消滅が恐ろしくてたまらないわけでもない。
だけど、消滅という甘美な夢に背を預けながらも……少し、ほんの少しだけ、このまま終わってしまうのは癪だと、私はそう思ってしまった。
この終末に叛逆したいと、そう思ってしまった。
――霧散したはずの『私』が形を取り戻してゆく。魂が形を成し、千切れた四肢に血が通いだす。今なら、今だからこそ、私には何でもできる気がした。

たとえ、それがひと時の夢幻だとしても――。

 ……誰かの声が聞こえる。
どうやら長い間眠っていたらしい。頭には濃く靄がかかり、身体はまるで自分のものではないみたいに気だるい。
「……ここは?」
ゆっくりと、鮮明になりつつある視界と頭で自分が置かれている状況を確認する。
立ち上がってあたりを見渡すと、そこには痩せた土壌とむき出しになった岩肌が広がっている。そして時折吹く乾いた風は、近くに水源が存在しないことを示していた。
私が荒野の中にいることを理解するのにさほど時間はかからなかった。そしてそれを待っていたかのように、鈴を転がしたような声が頭の中に響く。
『やっと目覚めたのね、ジャンヌ。最後の少女。随分とお寝坊さんなのね?』
――ジャンヌ? 私のことだろうか、目覚めて間もないせいか記憶すら曖昧に感じる。
「……貴女は誰? どこにいるの?」
この状況について疑問は尽きなかったが、何よりも気になるのがこれだった。改めて辺りを見回しても人の気配は無いし、遮蔽物も少ないので見えない場所に隠れているとも思えない。
『私は……そうね、アリス。アリスって呼んでちょうだい。私は今、そこから遠いところにいるのだけれど、魔法みたいなもので貴女に話しかけているの』
 魔法? 普通ならば馬鹿げていると一瞥されるのだろうが……私は不思議と、それが魔法の類であるという事実をストンと受け入れていた。
『ねぇジャンヌ、貴女にお願いがあるの』
いまだ姿の掴めない声の主は、返答も待たずにどこか嬉しそうに続ける。
『貴女には”ゲーム”に参加してほしいの。参加者は7人の子たち! 勝ち残った1人には失ったモノを一つだけ、あげるわ』
「待ってください、ゲーム? 失ったもの? 意味が――」
『あら、早速他の子たちが来たみたいね』
「え――?」
 声に導かれるままに再度周りを見渡すと、2つの人影をこちらに近づいてくるのが見えた。
「あれは……」
 片方は黒髪の女性騎士。もう片方は緑髪の少年か、あるいは少女か? 少なくともそれを外見から読み取ることはできなかった。
いずれにせよ、確実にわかるのは2人とも自分と同じぐらいの歳ごろであり、2人が戦闘……それも稽古や訓練といった生半可なものではなく、命の駆け引きを行っているということ。
『彼女たちも貴女と同じ、私に呼ばれたうちの1人。そして、貴女が命を奪い合う相手よ』
 ……何故殺しあわなければならないのか? 何故彼女たちなのか? 頭に浮かんだ疑問に答えるかのように、身体の中心が脈動する。
 原理や理屈はわからない。ただ、私は何故か直感的に理解していた。彼女たちが殺し合う相手だということ、殺し合わなければならないということ、それ以外に方法はないということ……。それらを自分の身体の奥底が静かに、ただ確かに訴えかけてくる。
『あら、そろそろ時間ね。……ジャンヌ、また会えることを楽しみにしているわ。貴女ならきっと……来てくれると信じているわ』
それに言葉を返す余裕は今の私には無かった。頭と身体に流れ込んでくる情報量があまりに多すぎたが為に、ただその場にへたり込んで先の2人の戦闘を眺める他なかった。

……綺麗だ。純粋にそう感じる。

 あの騎士の太刀筋、姿勢、構え……どれをとっても自分の記憶している中で最上のものであり、それらを使いこなすさまは彼女が歴戦の猛者であることを窺わせる。
 一方で緑髪の方も、動きこそ玄人のそれではないが、彼女の剣を躱しながら的確にその隙を突いている。そして何よりその動きが――速い。
 だが同時に、私はその戦闘に違和感を覚えた。いくら緑髪の動きが速いとはいえ、騎士の隙が多すぎる。緑髪が手数や速さで騎士の隙を作っているというよりは、騎士が隙を自分で作っている――それほどまでに、あの隙の多さは私にとって不自然すぎた。
 そしてその時は訪れた。不意に騎士の構えが大きく崩れ、それを見た緑髪が懐に飛び込もうとする……その先の結果を予想するのは、私にとってあまりにも簡単すぎた。
「あっ……!」
 咄嗟に大きな声が出た。その先の光景を想像してしまったからか、目の前で命が失われるのを黙って見ていることができなかったからなのか、あるいは理由など無い、ただの反射だったのかもしれない。
 次の瞬間、緑髪の顔がこちらを向き、その眼が私の姿を捉えた。その一瞬の隙を突いて騎士が体勢を整え、地面に着いた両手を軸にして緑髪を大きく蹴り飛ばす。その動作と同時に、騎士も私の存在に気付いたようだった。
 緑髪は蹴り飛ばされると、しばらく思案するかのように私と騎士の姿を交互に見た。そしてそのまま数秒すると、小さく舌打ちをしてもと来た方向へと走り出していく。その後ろ姿は私の眼に敗走のようにも、戦略的撤退のようにも映った。
 呆然とそれを見つめていると、数瞬遅れて自分に近づいてくる気配に気が付いた。意識をそちらに向けると、先ほどの騎士が私の方へ剣を収めながら歩みを進めてくる。その姿は警戒心こそ漂わせているものの、明確な敵意は感じなかった。そして目の前まで来ると、私が何か言うよりも先に片膝を付き、こちらに手を伸ばしながら口を開く。
「先ほどはありがとうございました。貴女の声がなければ、あのまま倒されていたかもしれません。……立てますか?」
 その美しくも芯の通った声に聞き惚れ、その手が私を立たせるために差し出されたものだと気付くのに数瞬を要してしまう。
「……? 何か?」
「あぁ、いえ……こちらこそありがとうございます」
 差し出された手を急いで握り返して立ち上がる。並んで立つと背丈が近いことや、芯がありつつもたおやかに感じられるその振る舞いもあって、相手が同い年の女の子であることを強く実感する。
 そんなことを考えていると、彼女が握った手をまじまじと見ながら口を開く。
「良い手をしていますね」
「……えっ?」
「まるで全てを包み込むかのような優しい手をしていらっしゃる。そしてその奥に感じる力強さ……こちらは紛れもない、戦う者の手です」
 私が返答に迷っているとハッとしたような顔をして、続けて口を開く。
「申し遅れました、私はエミリア。エミリア・プラテルです。名のある方かと存じますが、貴女は?」
 エミリア・プラテル……聞いたことのない名前だ。私と同じく、恐らく戦場にいたことのある、しかも女性であれば名前ぐらいは耳に伝わってきてもおかしくないはずだが……。ともかく、名乗られたからには名乗り返さなければ失礼だろう。
「……私は、ジャンヌ。……ジャンヌ・ダルク、です」
 改めて自分の名前を声に出すと、どうも違和感がある。たしかに幼少期の記憶やオルレアンの防衛戦、そして最期に至るまで……たしかに記憶はある。しかしなんというか、それらにあまり実感が無いし、何より記憶が正しければ私は死んでいる。
そう、死んでいるはずなのだ。何故実感が無いのか? 何故私は生きているのか? それはこの場所で目覚めたことと関係しているのか?そう考えると疑問は尽きない。しかし少なくとも、今目の前にいる人物が話の通じる相手であることは、私にとっての唯一の救いだった。
「ジャ……ジャンヌ・ダルク!? それは本当に、あのオルレアンの聖女のジャンヌ・ダルク様ですか!?」
 そんなことを考えていると突然肩を掴まれ、激しく揺さぶられる。その様子は先ほどの佇まいとは打って変わって、明らかに乱心が感じられるものだった。
「ちょ、ちょっと落ち着いて、落ち着いてください!」
 揺られる頭の気持ち悪さに耐えられず、思わず大きな声を出してしまう。彼女――エミリアもそれで我に返り、慌てて私の方から手を離した。
「も、申し訳ありません……思わず」
「いえ、大丈夫です。こちらも少し驚いてしまって」
 少し息を整え、頭の痛みが引きつつあるのを感じながら口を開く。
「どう証明すればいいかわかりませんが……私は自分の知る限り、正真正銘のジャンヌ・ダルクです。ドンレミの村で育ち、主の声を賜り、微力ながら戦いました。そして最期には恐らく……火刑でしょうか? それで……」
「いえ、もう結構です、申し訳ありません。」
 続きを遮ってエミリアが言う。その顔は困惑と歓喜が入り混じったような、不思議なものだった。
「よく見れば顔立ちも肖像画に似ていらっしゃいますし、何より貴女自身がそこまでおっしゃるのであれば、貴女がジャンヌ・ダルク様であることはもはや疑いようもありません。ただ……」
「ただ……?」
「どうかお気を悪くしないでいただきたいのですが、ジャンヌ・ダルク様。貴女は私、エミリア・プラテルが誕生するおよそ350年前に……亡くなって、おられるはずなのです」
「……そう、ですか」
 やはり、私は死んでいるらしい。しかしもはやその事実は、その事実以上の衝撃を私の精神に与えることは無かった。それよりも、目の前にいる彼女と350年間の隔たりが存在するということに私は混乱していた。
「……実は私も、ジャンヌ様と同じく既に死んだ身です。戦場を駆け巡ったものの、途中で病に倒れ、自らの不甲斐なさを呪っていた晩年を昨日のように思い出すことができますとも」
「貴女も……?」
 私たちの疑問はやはり同じものだった。何故死んだはずの自分がここに存在するのか? しかも350年も離れた人物と共に?
その後もいくらか言葉を交わしたが、やはりどうしても答えが出ることは無かった。
「……ともあれ、何もわからない以上、まずは私たちの他に存在するはずの残りの5人を探すほかはないでしょう」
 エミリアは緑髪が走っていった方向を見つめながら続ける。
「我々以外の5人であればあるいは、この事態について何か知っているかもしれません。うち1人は話が通じるかわかりませんが……仮にその場合でも倒すことで、あのアリスとやらに近付くことができるかもしれません」
「倒す……のはできれば避けたいですが、いずれにせよこの場に留まるより動いた方が賢明なのは確かですね。」
「そうと決まれば早速出立しましょう。不肖ながらこのエミリア、ジャンヌ様の剣となり盾とならせていただきます」
 そう言って先陣を切って歩き出そうとするエミリアに向かって、私は不意に口を開いた。
「あの、エミリアさん」
「どうしましたか?」
「なぜ私のことを様づけで呼ぶのですか? それに、私が名乗った時の驚きぶり、あれは単に目の前の人物がとうに死んでいたから……恐らくそれだけではありませんよね?」
 エミリアと会話をしていて、このことが気に掛かっていた。いくら私が何百年も前に死んだ人間とはいえ、それだけでは初対面の人物を様づけで呼ぶ理由には、いささか弱いと思ったからだ。
 私の問いに対し、エミリアはしばらくしてから口を開いた。
「先ほどお話しした通り、私は生前、戦場を駆け巡って多くの戦闘を経験しました。そして、私が女性の身でありながらそのような道を歩んだのはひとえにジャンヌ・ダルク様、他でもない貴女に影響を受けたからなのです。貴女は……貴女は私の憧れであり理想の人物、そのような方に様を付けずに、いったいどう呼べとおっしゃるのでしょうか」
 私は衝撃を受けた。私の存在が、遠く時と場所を隔てた人物の人生に影響を与え、あまつさえここまで尊敬されているという事実。それにエミリアの語り口から、いかに彼女が私を尊敬しているかが、ひしひしと伝わってきたからだ。しかし……。
「なるほど……ですがそれならば尚更私を、様を付けずに呼んでいただきたいのです。貴女が生前の私の行いを尊敬するように、先ほどの戦闘における貴女の太刀筋や構えは、私が貴女を尊敬するに十二分に値するものでした。戦いに生きる女性として互いに尊敬し合いたい……故に、貴女とは対等でいたいのです。エミリア」
 エミリアは私の言葉にしばらく驚き、そして考えたのち、観念したかのように口を開いた。
「わかりました。貴女がそこまでおっしゃられるのであれば、受け入れない方が不遜というものです」
 控えめに微笑むエミリア。その姿は年頃の少女のようで、まるで友人が出来たかのような気分になり、思わずこちらも笑顔になってしまう。
「それでは、改めてよろしくお願いします。エミリア」
「……はい。ジャンヌ」
 そう言って私たちは歩き出した。行く先に何が待っているのかという一抹の不安と、新たな友人の頼もしさを共に感じながら。