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ティファニーより居抜き物件。

「ハイ、またそこもう一度撮り直します。博多弁丸出し過ぎですね。お願いしマース。」あっさりめな淡々とした口調で番組進行を取り締まる若い女性ディレクターの指示を受け、週にたった1度のアタシの番組はいつも録音でこうやって作られていた。
当時の彼氏と遊びで受けたFMラジオDJオーディション。
千人近い応募があった中、何故か合格。
人生てわからんもんやね。
本気でなりたかった歌手のオーディションは100回以上かすりもせんやったのに。

イントネーションにもだいぶ苦労したけど、ただでさえそんなにボキャブラリーに自信がなかったのに加え、博多弁を変な標準語にしか変換できないアタシはもはやアタシではなくなっていた。

一度だけ朝の生放送にチャレンジさせてもらった時なんかは、誰かと掛け合いでやるってのがホント間が持たんかった。当時24歳のアタシにとって言葉のキャッチボールは容易ではなかった。

今なら怖いもん無しのオバちゃんパワー炸裂で次々投げ返す自信あるけどね!

そんな番組を父もこっそり聴いてたみたいで、「都合よく生きようとするのってどこの世界でも難しかろうが。」

なかなか褒めてくれない父にしては、このラジオの仕事は妙に嬉しい様子だったので、アタシもこのままこんな仕事を続けられたらいいなあと思っていたけど残念ながら契約は一年で打ち切られた。

それからアタシは結婚式やイベントの司会などをしながらもう一度MCの勉強をしてみることに。

ある日アタシが仕事から帰ってくると、いつもと様子が違う事務員のおばちゃんが急いで駆け寄ってきた。
「この病院に行って」と険しい表情で言われ、母が大やけどを負ったことを聞かされ気が動転したままとにかく急いで病院へ向かった。

自宅から車で約5分ほどの近いかかりつけの病院だったけど、母はその大やけどを負ったまま、自分で車を運転してそこまでやってきたと言う。
腰から片足の太ももにかけて特に酷いヤケドを負っていた母は包帯でぐるぐる巻きになった状態で点滴を打っていた。

「一体何があったと?」震える声を絞り出して問いかけた。「お父さんがまた暴れてね。ポットのお湯が全部私の足にこぼれたとよ。」
母を前に立っていられないほど泣き崩れた。

自宅に戻ると父も泣いていた。私は何も聞かなかった。ひと月ほど経ち母は退院した。

その翌週、朝から化粧品会社のイベントの打ち合わせだったアタシはいつもより早めの朝食を摂っていた。母はシャワーを浴びていた。

泥酔しきった父が帰ってきた。

「今からケンシロウさんが来るけんなんか酒のつまみば準備しとっちゃらんや。」

下で待っているケンシロウさんとはこの辺じゃ有名なヤクザだった。

「いい加減にしてよねそんなに酔っ払うまで飲んで、その上こんな朝っぱらから酒盛り?お母さんが退院してまだ1週間よ。」
「キサマぁあ!
俺の顔を潰す気かあーっ!!」

抑えきれずアタシは「あの涙はなんやったと?」と問いただした。
その後は父が馬乗りになりベルトを外しアタシの首を絞めていた。
ちょうどその時母がシャワーから出てきた。アタシはそのまま気を失っていた。後で聞いた話によれば母がそのまま真っ先に外へ出てまだ現場に出ていない従業員に助けを求めたそうだ。

このことがきっかけで母はついに二度目の離婚を決意した。これまでどんなに自分が傷つけられても娘たちが嫁ぐまで離婚はしないと固く誓っていた母が、全てを失っても娘の命だけは守りたいと思っての決心だったと思う。

それからまた父はまたあの愛人とよりを戻していた。

そんなことはもうどうでもよくてとにかく
自由になりたかった。

そんな時、不動産会社を営む友人から面白い話を聞くことになった。「こんな物件あるけど、大将どう?」それはその時飲んでいた居酒屋の大将へのお勧め物件だった。横目に聞いていたアタシは身を乗り出しその物件情報の用紙を取り上げた。

聞くところによればその物件は居抜き物件で、なんと居抜き料0円。

理由は今営業しているママさんが北海道に再婚のため長年経営していた喫茶店を手放すことになったそうだ。昼は喫茶店で夜はスナック営業をやっていると言う。
検察庁や弁護士事務所が多い界隈で
20年近く通ってくれてた常連客に申し訳が立たないからこのまま誰かに引き継いでほしいと言うママさんの強い希望によるものだった。

居抜き料0円!!
ということでその日は1月だったけど、2月からもう鍵を引き渡してオープンできると言うので、そんな面白い話ある?やってみたい!アタシはすぐにその道に進んでみたいと思った。

お客さんを逃がしたくなくて、ママさんが閉めて鍵をくれた4日後にアタシはシレッと店を開店させた。

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