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セリフとト書き

当時を振り返って(記事へのひと言コメント)
2021年にあべのハルカス・SPACE9にて、谷崎潤一郎原案『春琴抄』を上演しました。この作品は、演者がセリフを語る(手法的に言えば落語か能に近いかもしれない)ことで、物語が進行していくっていうスタイルだった。ぺぺぺの会にとって、とても重要な公演の、演出ノート。

「〇〇について自分が考えていること」


昨夜更新した『〈空気〉の正体』に、ijo katukiさんから以下のコメントをいただきました。いつも読んでくださりありがとうございます。。

今後、こちらのコメントにお返事をするように、言葉に偏重してしまうzoomで、演出家が弁を述べることについてを、考えていこうと思います!

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zoom稽古のおはなしをするまえに、まず今回扱うことになっている戯曲(上演台本)について少しだけ語らせてください。

今作『春琴抄 -ホワイトアウトする静謐-』は、谷崎潤一郎の小説『春琴抄』をもとに、僕が僭越ながらアレンジを加えつつ戯曲にしていったものです。

アレンジに関する詳しいおはなしは、またいつかまとめることにするとして、いきなりではありますが、まずは戯曲の冒頭をご覧ください。

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一般に、戯曲というのは、人が口をつかってはなすことをセリフとし、それ以外の補足的な情報をト書きとして記すことが多いです。

ほとんどのト書きは箇条書き程度に書かれていて、情報量は決して多くありません。

この余白を生かすように、演出家や俳優は、稽古で試行錯誤を重ねていきます。

そういう意味では、ト書きの情報量を増やせば増やすほど、戯曲は小説的になっていく、と捉えることもできます。

このページでいえば、「演者1と演者2は(中略)蝋燭の灯りだけを頼りに位置につく。」の部分がト書きで、あとはすべて演者1のセリフです。


一般に、人が口をつかってはなすことがセリフなのだと、僕は先ほど述べました。

しかし、この戯曲の特徴は、話者がこころの裡で述べることも、セリフとして、かなり文量で起こされているところにあります。

そのため、セリフを発語する俳優(演者)は、戯曲中の文章を構造的に分解し、いち文ずつ、いやもっと執拗に表すのであればひと単語ずつ、内言と外言のバランスを考察していかなくてはなりません。(……次回の記事につづきます。)


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