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ドラマの主人公のように

最近、「彼女はキレイだった」という韓国ドラマをみた。

昔は容姿端麗で人気者だった主人公が、成長するにつれて

赤ら顔で天然パーマの残念な姿になってしまい、就職すらままならない。

そんな彼女に、幼少期アメリカに引っ越した初恋の相手から、

15年ぶりに(※うろ覚え)再会を願う連絡がくる。

太っちょでいじめられっ子だったその相手は、成長して有能なイケメン会社員になっていた。

彼女は急に自分がみじめになり、自分の代役を美人な親友に頼むことにするのだが・・・。

とまあ、そんなお話。

彼女は冒頭、美人でスタイルもよく、男性にもモテる親友と比べて、

「物語には主人公と脇役がいる。

わたしは主人公にはなれない。」

と嘆く。

だがしかし、もちろんこのドラマの主人公は、赤ら顔で天然パーマの彼女である。

ご多分に漏れることなく、紆余曲折を経ながらも、彼女はしあわせを手に入れる。

彼女の親友もまた、自分のしたいこと、向いていることをみつけて

そこにむかっていく。

もちろん、ふたりともしあわせそうだ。


ずっと不思議に思っていたことがあって。

ドラマの世界では、主人公が大きな決断を迫られたとき、

みているわたしたちは「きっとこっちの選択肢を選ぶのだろうな」

と、なんとなく正解がわかっている。

そして、主人公も最終的には正しい(と思われる)選択をする。

やっぱりね、と思う。

なのに、わたしは実生活で正しい決断(と思われる)ものを

できたためしがない。

むしろ、悔やんでばかりいる。

つねに自分に自信がないし、だからそんな自分がくだす決断にも自信をもてない。

しあわせになれる気もしない。

でも、しあわせになりたいとは思ってる。

というより最近やっと、

自分もしあわせになりたい、

と願ってもいいのだと気がついた。

ドラマのなかで、主人公は忘れかけていた夢を思い出し、その職業としてのキャリアをスタートさせる。なりたいな、と思っていたことに才能があったのだろうか。

それとも、なりたいと強く願えば(そして相応の努力をすれば)

なれるのだろうか。

ドラマの中じゃなくても。

わたしには、まわりのひとがみな、正しい決断をして、きらきらした未来に

まっすぐ進んでいるようにみえる。

もちろん、その裏には涙や苦悩もたくさんあるのだろうが。

たいして、わたしは?

ずっと同じところで足踏みしているような気がする。

なりたいものはある。

でも、どうしたらいいのかわからない。

正しい道がわからない。

これがドラマの脚本だったら・・・

自然と昔なりたかったものに引き寄せられて、

それに対する努力もできて、幸運もめぐってきて、夢をつかむのだろう。

だが、わたしの物語はこのあと、どうハッピーエンドに転ぶのだろうか。

たのしみにしたいところだけれど、想像ができない。


ことばにすること、文を書くこと。

すきだけど、自信がないから表に出すのはいつも恐怖だった。

でも、やっぱり言葉にしないと伝わらないから。

勇気をだして、すきなことと向き合ってみる。


そうしたらわたしも、

ドラマの主人公のようになれるだろうか。

この文章が、わたしが主人公のドラマのスタートとなれますように。



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