さらば、書道団体よ。

こんにちは。
Twitterで時折書道関係のつぶやきを投稿している、ぽぽろ(@popolo0917)と申します。

ワタクシ、先日思い切って、人間関係の断捨離を敢行しました。約10年お世話になり、慕っていた書道の先生と門下のお弟子さんたちに別れを告げたんです。所属していた毎日系の書道団体にも退会届を出しました。

そこで今回は、自分の気持ちに区切りをつけるため、「さらば、書道団体よ。」というタイトルで記事を書きたいと思います。
何やら大仰なタイトルではありますが、思いっきり個人的な記事です^^;
ただ、同じような思いを抱いている方の思考の整理になるかもしれませんので、noteに投稿しました。
ということで、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです♡

私が書道団体をやめた理由
全部で3つあります。

その①書道界の課金システムが「エグイ」と思うようになったから。

私、年間50万円ぐらい書道に使っていたのではないかしら・・・。
内訳は、月々のお稽古代で約1万円、年2,3回の展覧会への出品代、所属団体や先生の教室への年会費、墨・紙等の消耗品代、書籍代など。
厄介なのは、筆・墨・紙です。
アドバイスに耳を傾けるうち、次第に良いもの(高いもの)を求めるようになり、一本10万円以上する筆を買ったりするようになりました。実際、確かに高い筆のほうが書きやすいと思いましたし。

書道って、それなりの先生に師事して、公募展にも出すというような状況になってくると、急にハイソなお稽古事に変わりますね^^;

次第に、「ねぇ、あなたはこれまで随分書道に投資してきたけど、一体その投資した分を今後どう活かすわけ?いつか回収する気はあるの?!」と自問するようになったんです。

で、ある日こうも思いました。
「これは私のような門下生からお金を吸い上げて、最終的には書道の先生や書道団体が儲かるシステムだわ。私はこのシステムの中にいる限り、永遠にお金を吸収される側で、永遠に投資額を回収できない。」と。

そりゃそうです。先生はボランティアで教えているわけではないのですから。書道団体だって、営利を追求せねば成り立ちません。

門下生の立場から考えて、こうした課金の先に得られる果実は何でしょう?
書道の腕が上がること?書を通じた社交生活?最上位の会員資格?団体公認の指導者になること?

よくよく考えてみると、私はそのいずれにも魅力を感じていないことに気づきました。たとえ指導者になったとしても、生徒さんに同じ道を勧める気になれません。
それで、退会しました。

もちろん、こういう考え方もあると思います。「いやいや、お稽古事って、そういうもんでしょ?!その時々の楽しみの対価としてお金を支払うもので、みんながみんなプロを目指すわけでもないし、具体的な何かを得るためにやるものでもないでしょ。」と。

でも、子どもができて、常に「費用対効果」に目を光らせるようになった現在、自分にとって「効果」が不明瞭な「年間50万円の課金」をいつまでも続けるのもどうかと思い、やめました。

その②展覧会への出品意義を見出させないから。

結局、これが書道団体をやめた最大の理由かもしれません。
出品関連費用の負担感、出品するための諸々の調整の負担感、会派の書風と自分の書風の不一致、作品鑑賞に対する興味のなさ、作品の自宅保管の大変さ。
このあたりが私にはネックに感じました。
以下、詳細を述べます。

まず、出品関連の費用がかさみます。上述したとおり、私の場合、年間約50万円の書道代がかかってましたが、そのうち約半分が出品関連でした。

年に2,3回の出品とはいえ、いざ出品するとなれば、特大の画仙紙を調達したり、大量の墨をすったり、書ける状態に心身を整えたりなど、調整は多岐にわたります。
その上、私はフルタイムの仕事、家事、育児のタスクもこなす必要があります。アラフォーだし体力もありません。次第に、展覧会の締切に合わせて生活するのがしんどくなってきました。

また、展覧会で入賞を狙うためには、会派好みの作品を作る必要があります。当然、所属団体には独自の美の基準があります。
で、私はどうも、致命的なことに、会派が得意とする特大の紙に特大の字を書くことがあまり得意でないことを悟りました・・・
もともと書道は卓上芸術とでも言いましょうか?書道の歴史を振り返っても、お稽古の仕方を考えても、半紙程度のサイズに書くことから始まりますよね?
それが戦後から、油彩画のように美術館に飾って鑑賞する壁面アートの様相を呈してきました。
この流れと自分の志向がどうも一致していないようなのです。
私には、筆を腕や指の一部とするような感覚で、筆の圧力の変化を楽みながら繊細な表現をするほうが、向いているように思います。これが、所属団体の書風の方向性と真逆なんです^^;
年齢的に、今さら苦手を得意に変える努力を続けるよりは、得意な能力を伸ばすほうが得策のように思えました。

それに、書道をする中で、私は書いている時が一番楽しくて、一番好きなんです。なので、正直に告白すると、書いた後の作品には、自分の作品を含め、興味がありません。
なので、たとえ自分の作品が飾られていても、後日わざわざ展覧会場に足を運ぶのが億劫です・・・。
むしろ、私にとっては、Twitterに書いたものを投稿して、「いいね♡」を押してもらうほうが、よっぽどリアルに誰かに見てもらっている実感が得られるし、心に響きます。

まぁ、展覧会については、コロナをきっかけに、今後は書道に関わる人なら誰でも、開催意義、参加する意味そのものが大きく問われるのではないでしょうか?

最後に、もう一点。
展覧会が終わると作品が返却されますが、作品の置き場に困っています・・・。
条幅サイズの作品でさえ、自宅には飾るスペースは一切ありません。さりとて捨てる勇気もなく、現状、作品はクルクルッと筒状に丸めて、段ボールにまとめて入れています。これも断捨離を心掛けたい自分にとっては、少々苦痛です。

ということで、お金が大変、準備が大変、書風が合わない、展覧会場に行くのが億劫、作品の処分に困る、という理由で、展覧会への出品意義が見いだせないという結論になりました。

その③書道団体に頼らずとも、書道を続けられているから。

先生と所属団体に退会届を出す前、約1年間休会しておりました。休会することで自分の書活動に影響があるかどうか確かめたかったからです。結果、全く影響がありませんでした。

少なくとも週に3日は筆を持っている上、書活動への意欲は衰えるどころか、増す一方です。
確かに先生に見てもらうと、色々気づきが得られます。軌道修正もスムーズです。展覧会に出品すれば、一定期間、集中的に書くので、出品する度に腕が上がる実感が得られました。

とはいえ、私はかれこれ30年以上、書道をやっています。その間、ずーっと誰かに見てもらっていました。もうこのあたりでいい加減独り立ちしてもいいのではないかと思います。一生誰かの世話になるのも抵抗があります。
昔の能書家だって、一生涯にわたって、ずーっと誰かから手ほどきを受けていたわけではないですよね?最終的には自分で色々研究して、自分で新境地を開拓していったわけですよね?私も、遅かれ早かれ、いずれはどこかで区切りをつけねばならない気がしました。

恐らくこのまま自学自習のスタイルを貫いたとしても、書き続けている限りは、これ以上、下手になることはないという確信は得られました^^;あとは、精度を高めて、自分(の感性)というフィルターを通して書道をどう捉えるか、どう表現するか、ということを自分のペースで追求していこうと思います。

以上、最後まで読んでくださり、どうもありがとうございました^^/


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