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人を救うということ

「人を救う」そんなことって出来るんだろうかという事をこの歳になって考え始めた。結論、私の少ない経験上人を救うことはできないけれど影響を与えることはできる。

私はあまり強く人に影響を与えるような人間ではない。どちらかというと無害らしい。そんな私だがずっと人を救いたいという気持ちがあった。それは不特定多数の誰かではなく、自分に一番近い友人だ。

その友人は大学で出会い、同じ部活でマネージャーを務めている。とても優しく、気配りが出来て皆から信頼されるすてきな人だ。しかしその友人は自己否定的でしばしば落ち込むことがあった。「私はこの子の魅力を誰よりも分かっているのに」とモヤモヤした気持ちが2年ほどあった。私もそもそも自分に自信がなかったし、今まで励ましてくれた人の言葉が心に届くことがなかったので、彼女にこの思いを伝える方法が分からなかった。

そんな中私はある人とのコミュニケーションの中で自分の魅力を客観的に理解することができた体験があった。この人がしてくれたことを私も友人にやってみたいと思った。そしてある日、私は意を決して彼女に思いを伝えた。私は彼女を心からすてきな人だと思っていること。一友人として彼女には自分に自信をもってもらいたいこと。私の経験から想像しうる彼女の悩みの解決法について。 

彼女は涙を流しながら私の話を聞いていた。涙のすべての意味を理解することはできないが、私の想いが伝わったことは分かった。この時初めて言葉の持つ大きさを実感した。

その後は私が自分の魅力を客観的に理解し、自信をつける過程で参考になったものを共有したり、自分たちの未来についてよく話し合った。少しずつ彼女から前向きな言葉や行動が増え、自分に自信を持つ様子が伝わった。

私の行動が少なからず人に影響を与えることが出来たのは、表面的な励ましをしたからではない。自分に自信を持つためには自立が一番の近道だと学んだからである。だから、彼女に対して私が出来ることはきっかけを作ることであり、彼女の課題は自分自身で解決すべきだということだけははっきり伝えた。無責任な励ましならしないほうがいい。本当に大切に思う人にこそ、適当なことは言えないなと思った。

私の発言や行動自体には人を救う効果はない。自分の課題は自分で解決するほうが本人のためになる。ただ、影響を与えることは出来ると思った。

人の持てるこの力は、私の場合近い人を幸せにするきっかけとして使っていきたい。


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