ノロウイルスになった。

と書くと、国語が得意な中学生で精神年齢の止まったチエリアンに正しい日本語も使えないのかと言われそうだなと思う。

子供の嘔吐下痢がうつった。

よく分からないけど、幼児界隈では感染性胃腸炎を嘔吐下痢と呼ぶ。
職場でもカフェでも「いま嘔吐下痢が流行っててさー」とかみんな普通に言う。

胃腸炎で実際は下痢で苦しんでようが、「胃腸」という言葉がなんだかんだオブラートに包んでくれているような気がしていた私には、嘔吐下痢という大胆なネーミングにそこそこ驚いた。
そして診断名は「たぶんノロ」とのことだった。
ノロと感染性胃腸炎は、たぶん違う。

そういうわけで、ノロウイルスにかかった。

その前日、一年以上放置していた使わなくなったベビーカーをようやくメルカリで売っていた。
無事に売れて発送も終えたのだが、説明書を送るのを忘れてしまっていた。
しかも、その説明書も汚部屋の中で行方不明になっていた。

部屋を片付けながら必死に捜索して見つけ出し、さて寝ようと思った夜中の3時、突然娘が吐きはじめた。
そこから翌日の昼まで、1時間に1〜3回のペースで吐いた。
最初は本人も「やっちゃったね〜」くらいの感じでケラケラしてたのだが、さすがに3回目あたりからは辛さとよく分からない怖さでかなりしんどそうだった。
傍で寝ていた夫は気付いたのか一瞬目を開け、その後処理する私を見て再び寝た。
なんなら、布団をかぶって寝始めた。

寝ずに子供の看病というのは、あっという間に精神と体力を蝕む。
もちろん本人が一番つらい。
でもその日は私も朝から体調が悪かった。
夜中まで部屋を片付けて、もう無理。
そこから子供の着替え、自分の着替え、吐瀉物の処理、タオルや布団の処理、消毒、そして娘がまた寝られるように整える。
そうしたことをテキパキとできない自分。目の前には布団をかぶってミイラのようになって寝ている夫。辛そうにしている子。

私と子供だけが世界に二人きり取り残されたような感覚に、新生児の世話をしていた頃も私だけが面倒を見たとか、そんなことばかり思い出す。

3度目かの嘔吐で、PMSも重なって早くも完全に心折れた私は、少しの間放心で泣いた。
それを見た子供が「パパ!ママえーんえーんちたよ!」と夫を起こしてくれた。

そこでようやく夫も子供の着替えぐらいは手伝ってくれた。
夫も多少は手伝う(意思はある)ということと、子供の健気さに勇気付けられ、朝まで抱きかかえて座りながら寝ることにもなんとか耐えた。
その最中も何度も吐いたものの、あまりの疲労と嘔吐のスピードに、もう処理は諦めてタオルはひとまとめに放置した。
感染の恐怖より眠気が圧勝した。

朝7時ころになっても寝ている夫は、さすがに叩き起こした。
1時間でもいいから寝させてくれと子供をまかせた気がするが、もう記憶がない。

最近はすっかり眠れる時間も増え忘れていたが、産後間もない頃のことがフラッシュバックしたことで、産前産後の恨みというのは根深く残るものなんだなーと思った。

子供の嘔吐はその日のうちに収まったが、その後自分にもうつった。
5年前、まだ夫と同棲したばかりの頃にノロウイルスにかかったときは、吐き終わるたびに必死でハイターでトイレを掃除した。
徹底的に消毒して、夫にうつらないように本当に必死だった。
泣きながらハイターでトイレの床を拭いていた。
今回は吐いたあと普通に手だけ洗って寝た。
こんな腹痛の中でよくそんな必死に頑張れたな。あの時の私。
そんなことを思ってうなされつつ寝た。

私と子供は回復しつつある。
夫は寒気がするとか言っていた気がする。









#日記 #エッセイ #育児
noteのハッシュタグの使い方がいまいちわかっていない。
アプリだからシコシコとつけているのがバレバレ状態なのだろうか。

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