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27歳のいま思う、「浅倉南はすごい」

書籍編集者らしく、本をつくる過程とか想いとか、そんなものを書こう、と思ってnoteをはじめてみたけれど、いったん置いといて、いまはとにかく『タッチ』を語りたい。

もう何十回目かわからないけれど、読み返しては「新しい」と思う。

20歳のとき、「南ちゃん、絶対にカッちゃんの方が幸せにしてくれるよ」と思っていた。

27歳のいま、「タッちゃん以上の男はいない」と思う。

南ちゃんは何も間違っていなかった。

「浅倉南はあざとい」と言われたりもするけれど、イケメンで、兄おもいで、天才投手で、勉強も1番の完璧超人・上杉和也が好意を寄せてくれる隣で、南ちゃんは最初から最後まで、出がらしと呼ばれている上杉達也だけをみている。なんなら、めっちゃグイグイいく。そこがいい。

弟のために、好きな女の子も野球も手放そうとする、達也の不自然なくらい自然な優しさもいい。

超個人的見解だけど、和也が持っているのは「みえる優しさ」で、達也のは「みえない優しさ」だと思っている。雨の日の傘、グローブを買ったと言わないところや、新田妹の料理を食べてあげるところ。

全く押しつけないのに、人の心を思いやって行動できる、いい男。

そして南ちゃんは、その「みえない」に気付いてあげられるいい女。

まだ高校生なのに、とても察しがよい。

確かに、二人の男性が自分を競う号砲を笑顔で鳴らしたり、達也を応援したいばかりに和也の試合で雨を願う小悪魔要素は否めないけれど(誰の夢のために頑張っていると思っているんだ)、それもまた可愛くみえる南マジック。何それ、教えて…。

あだち充作品は「心の描写」がないので、行間を自分で読む楽しさがある。しかも答えはないので、それぞれ自由に考えられる。

たくさん行間があるから、読むたびに新しい発見があるのかもしれない。

ここのところはずっと、上杉達也という逸材から一瞬も目をそらさなかった「浅倉南のすごさ」を感じている。


……仕事っぽくてかっこいい感じの投稿に憧れていたのに、読み返している『タッチ』がおもしろすぎて、なんかこうなってしまった。なんの意味も生産性もない。でも「好き」って大切だと思う。あだち充作品が大好き。

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