一手
今日、また、昔のことを思い出していた。
ピアノをちゃんと勉強していたら、今頃は、細かい表現をきちっと演奏に出せるようになっていた、だろうな、と。
しかし、あのとき、僕は、ピアノを続けない道を選択したのだった。
誰かのアドバイスがあったら、と、思うが、その出会いの有無さえ、自分が選んで決めてきたのだ。
だから、それは、間違ってはいなかったのだ。
こういうときは、いつも、それも「一手」と思うようにしている。
「一手」とは、将棋の手のことだ。
複数の指し手が考えられる場面では、どれか一手を選択しなければいけない。
どの手を選んでも、その時のその選択には、優劣は、ない。
後になって、あれこれ検討して、ああ、あの手は悪手だった、とか思うのだが、それは、あのときに、あの「一手」を選択したからこそ、その検討ができるのだ。
あのときに、あの「一手」を選択しなかったら、その検討はできない。
あのときに、あの「一手」を選択したから、その検討はできる。
だから、あの時に決断した、あの「一手」は、常に好手なのだ。
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