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難しい話

「難しい話」

晴れ。雨上がりの朝。朝6時の気温は17.0℃。

朝のNHKの番組で、北アイルランドの小学校で哲学を教えているとの報道があった。

日本では、差し詰め、道徳、となるだろうが、その、道徳で、あれやこれやと議論されていることは周知の通り。

学校で教える道徳は、道徳が、道徳じゃなくて、道具になることで、いろいろあるのだろうと思う。

哲学も同じだが、こちらは、いちおう、世界的な研究、検討がされていて、それらの研究成果を見れば、哲学が道具となることは、道徳に比べると少ないのだろうと思われるが、それは、学校で教えてくれることを鵜呑みにするのではなく、自分で調べて勉強して、はじめてわかることじゃないか、と思う。

というような、哲学的な朝を過ごしている。

最近、立て続けに、人の意識の問題に心を傷めることがあって、些か、かなり、そうとう、ダメージを喰らっている。

人の意識の問題は、根が深い、というか、根本的な問題なので、最も重要視されなければいけないのだけれど、現実に、最も重要視されているのは、金と力かと思う。

僕が小学校に通っていた頃は、道徳の授業というのがあった。しかし、授業は居眠りか内職する時間だった僕は、何が教えられていたのか、さっぱり覚えていない。しかし、子供達には、それなりに、影響はあったのだろうと思う。

朝のNHKの番組では、授業の一部が映し出されて、師は、こんなことを言っていた。

「暴力を行使すると、暴力が返ってきます。」

これは、キリスト教の宗教観を感じるのだけれど、おそらく、日本では弱い部分だろうと思う。

僕は、日頃、あらゆる場面で、人の意識に働きかけることをやっている。それらは、概ね、功を奏していないように見えるが、何十年も経ってから、なんらかの効果が出ると良いと思う。

僕が、アニメーション・フィルムに期待することも、人の意識に働きかける、ということだ。そのために、その目的で、僕は、長編のフィルムを作りたいと思っている。今作っている、わけのわからない短編のフィルムにも、そんな想いを込めているわけだ。

残念ながら、市場のアニメーションに乗っかっているものは、金と力、だろうと思う。

今朝の散歩は、だから、僕の歩いた道は、「哲学の道」だった。哲学の道は、京都にだけあるのではない。自分が歩く道が、すべて「哲学の道」になるのだ。

なんくるないさ〜。

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