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Jupiter

風呂の中で、気付いたら歌を歌っていた。

平原綾香が歌った「Jupiter」。

ネイティヴ・アメリカンの言葉を思い出していて、その言葉が「Jupiter」の中で語られていることを思い出して、気付いたら歌っていた。

僕は、歌も上手い。

玄人裸足くらいには上手い。

尤も、練習はしていないし、喉や呼吸を鍛えることをしていないので、コンディションを整えることは不得手だ。

これらの才能は、ずっと東京に住んでいたら、いろいろと開花していたかもしれない、と思う。

しかし、結局、僕は、田舎で、誰もいないところでひっそりと咲く花のように、これらの才能を、誰も見ていない、誰も聴いていないところで、披露している。

「何のために」

「誰のために」

そう、何のために、誰のために、という、核心のところで、魂の基礎が揺らいでいたのだ、と、風呂の中で気づいた。

若い頃の僕は、自分のため、金のため、名誉のため、という思いが、常に心のどこかにあった。

それらの思いは、社会のために、というような真っ直ぐな思いの前に横たわっていた。

僕に与えられた才能は、その、真っ直ぐな思いを遂げるためにしか使えないのだろう。

そして、そのまっすぐな思いを遂げるために、与えられた才能を使う、そのステージは、大きなホールの、立派なステージの上の、輝く電飾の下の、大勢の観客を前にした、そこではなく。

誰も見ていない、誰も聴いていない、たぶん、野の花や、野の鳥だけが聴いているようなところで、発揮されるものなのかもしれない、と思う。

意味がない。

いや、ある。

今になって、その意味がわかる。

しようがない。

わかるのだから、しようがない。

誰にも理解されなくていい。

僕自身が理解していれば、それで十分だ。


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