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観察日記423

観察日記423
おはようございます。
『勉強しなければだいじょうぶ』を読書中です✋

大掃除のときって、これどうしようっていう荷物が出てきたときに迷うじゃない。捨てようかな、もうちょっと置いておこうかなって、中途半端なものって大掃除には困るわけだよね。
子どもについても、中途半端な状態は困るから、「はっきりしろよ」となるじゃない。
そこで子どもというフシギな位置の生物は、今何がしたいのか分からない状態のときに、しばらく落ち着いて考えたいとか、感じていたいとか、個人的な事情がいっぱいあるはずなのに、そこのところはほとんど無視されてしまうから、親と先生を何とか説得するだけで精一杯になっちゃうわけだよ。
そのときに、学校だけで勉強してきたので残念ながら、表現力というものが乏しいわけ。クマさんの気持ちなんていのばかりやってきたから肝心な自分の気持ちってやつを的確に表現する力が育ってないのね。
だから言えないんだよ、それで黙っちゃうんだよ。あるいは「おれのことなんか誰も分かんねえ」ってなって、「産んでもらったおぼえはねえ」ってすごい名セリフが出たりするわけ。それは表現としては雑だけれどかなり当たっている叫びだと思うよ。(p.93 一部改変)

『待つというより迎えにゆくのだが、迎えようとしているのは未来ではない。ちょっと前に決めたことの結末である。決めたときに視野になかったものは、最後まで視野に入らない。』
鷲田清一氏の『「待つ」ということ』の一節です。
個人的に「教育とは待つこと」という仮説を持っているのですが、なかなか難しい現実との対峙にもんもんしております。(そもそも「教育」という言葉でいいのかというところから悩ましい…)

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