コラム #Tシャツ

普段当たり前のように側(そば)にあり、当たり前のように寄り添ってくれているお気に入りのモノたち。そんな縁(えん)の下の力持ち的な存在のモノたちのことを一度深く掘り下げてみようと思った。モノの生い立ちや起源(きげん)など気にしたことはなくても、モノとして形になるまでには、それこそ並々ならぬ情熱を注ぎ込んでくれた先人たちや作り手の存在が必ずあるはずだ。それらにフォーカスすることで少しでも作り手の気持ちに寄り添えることができれば、さらに愛(いと)おしさがますことだろう。たかがモノ。されどモノである。

今回は ”Tシャツ”

Tシャツの歴史について、インターネットで調べようと ”Tシャツ 起源” と打ち込むと真っ先に出てきたのが
United Athle(ユナイテッドアスレ)というブランドのホームページだった。
”Tシャツの歴史/発祥から普及まで” と書かれたそのコラムには、オレが知りたいと思っていたTシャツに関する起源が詳細に書かれていた。正直、驚いた!
こんなに詳しく書かれているなんて・・まるでTシャツの歴史博物館そのものじゃないか! これだけ詳しいんだから・・てっきりアメリカの会社かと思ったら・・日本の会社と知ってまたビックリ!コラムを読んでみて、アメリカメーカーと同等かそれ以上にアメリカ文化について詳しく記載されていることに、またまたビックリした。

今や、アメリカを象徴するジーンズ・ブランドですら公式ホームページには、ジーンズの起源や歴史などを載せていることがなく、先人たちの記憶が消されていくようで寂(さみ)しい気持ちにさせられることがあるのに・・・

その United Athle(ユナイテッドアスレ) の記事を元にして、オレ自身のTシャツへの思い入れなどを絡(から)ませながらコラムを書き進めていく。

始めに・・Tシャツの歴史を紐解いていこう。世界全体で見たTシャツの起源/歴史は、ザックリと3つの年代に分けられるようだ。

1. 1900年初頭〜1940年頃
2. 1950年代〜1970年代
3. 1970年代〜1990年代

現在の質感に近いコットンTシャツが大衆に広まった1930年代から始まり、太平洋戦争の終結を経て、アメリカの解放をもたらす民主主義のシンボルとしてのTシャツへと姿を変えていくことになる。
1950年代にハリウッドの若手映画スターが役柄の反抗精神を表現するためにTシャツを使用したことから”反逆の象徴”としてTシャツがブームとなった。
1960年代に入り、選挙運動にメッセージ入りのプリントTシャツが使われたことを皮切りに、Tシャツは広告媒体としての役割に変わっていった。同じころ、Tシャツへのプリント技術として発達したシルクスクリーン印刷によって、より一層、広告媒体としてTシャツが注目を浴びることになった。
1970年代のヒッピーカルチャーを筆頭にアーティスト、デザイナーズブランド、音楽関係、サーフカルチャーのプリントTシャツがそれこそ雨後の竹の子のように生み出されていった。

日本でのTシャツの歴史も、戦後(1945~)のGHQの方針に基づいて、その頃から作られるようになったようだ。実際に一般の人たちの手に渡るのはもう少し後の1970年代ごろからになる。
1975年、ベトナム戦争が集結すると、その反動でアメリカの若者たちは色々な遊びを楽しむようになる。その遊びの一つにサーフィンがあったことから日本にも徐々にそのサーフカルチャーが入ってきて、瞬(またた)く間にサーフ系ブランドのTシャツが日本を席巻(せっけん)するようになる。

と、長々と書いたけど・・オレがTシャツと出会ったのも、この1970年後半〜1980年前半にかけてということになる。丁度、中学生になるかどうかぐらいの年齢だったと思う。当時は新品の洋服を買ってもらえるほど、生活が豊かではなかったので、4歳離れた従兄弟(いとこ)からもらったお古を着ていた。今思えば、当時としては従兄弟(いとこ)はオシャレな方(ほう)だったんだろう。プリントされている意味が分からなくても、それらがカッコイイということだけは理解することができた。『もう着なくなったから!』と言ってもらったTシャツは数知れず・・いつも、それらのTシャツを大切に着ていた思い出がある。

時は流れ・・相変わらず服は人からの貰(もら)い物で間に合わせていた。これカッコいいなぁ!欲しいなぁ〜!ってものに巡り合わなかっただけだと思うが・・それがサーフィンを始めてサーフカルチャーと出会ってからは一変!世の中にこんなにカッコイイものがあったのかぁ!? とサーフ系のTシャツにハマっていった。特にお気にだったのは古着のTシャツだ。ほんのり柔軟剤の匂いがするパリッとした肌触りのものだった。ずいぶん後(あと)になってから知ったことだったがカリフォルニア辺(あた)りから日本に入ってきていた古着のTシャツのほとんどが天日干しではなく、乾燥機で乾かされていたものだったことを。

結局、サーフ系Tシャツとの出会いが、アメリカン・カルチャーの入り口となり、その後、様々なアメリカン・カルチャーに染まったモノたちに、どハマりしていくことになるのだが・・・
思い返せば色々なTシャツと出会ってきた。
そりゃそうだろう・・Tシャツは、時にはパジャマであり、時にはトレーニング・ウエアであり、時には遊びに行く時の服だったり・・すべてをこなせる万能選手だったんだから!でも、そのほとんどは古着だったけど・・

新品でTシャツを買うようになったのは Rockin'Jelly Bean (ロッキンジェリー・ビーン)というアーティストのプリントTシャツに出会ってからだった。

”どうしてこんなにキレイな色のプリントなんだろう?”
”描かれている人たちは、なんでこんなに写真みたいなんだろう?”
”描かれている女性はなんでこんなにセクシーなんだろう?”
”何で生地がこんな柔らかいんだろう?”

新品のTシャツを買ったことのないオレにしてみれば、すべてがクエスチョン⁉︎だらけだった。決して、女の子と出かけるときには着れないような、下品なエロさを醸(かも)し出していたそのTシャツは、まわりからの評判は悪かったけど、オレのお気に入りとなった。ワードローブにRockin'Jelly Bean(ロッキンジェリー・ビーン)のTシャツが確実に1枚、また1枚と増えていった。不思議なことに、これだけハードローテーションに着回しているのに、糸がほつれてくることもなかったし、プリントの端っこが剥がれてくることもなかった。キレイに年を重ねていくTシャツだった。キチンと作られているんだろうなぁって感じた。
また、同じころ・・USAコットンで作られたTシャツもハード・ローテーションしていた。明らかに糸が太いだろうと思われるそのTシャツ。新しいうちは何となくゴワゴワして着心地は良くなかったけど・・着れば着るほど、洗えば洗うほどに味わいの出て身体に馴染んでくる、まるでジーンズのようなTシャツだった。
どちらも、作り手が丹精込めて作ってくれた姿が想像できるような個性的なTシャツだった。大好きなTシャツ達ではあるが・・56という年齢を考えてプリントTシャツは着る場所とタイミングを考えよう、と思ったことをキッカケに無地のTシャツへとシフトしていくことになった。

現在、フルーツ・オブ・ザ・ルーム(FRUIT OF THE LOOM)やベースボールキャップで有名なNerEra(ニューエラ)の無地Tシャツをローテーションして着ている。
更なる ”着心地の良さ” と ”作り手の顔が見える物作り” を条件に調べていて前述のUnited Athle(ユナイテッド・アスレ)というブランドにたどり着いた。という訳なのだ。1枚のTシャツが出来上がるまでをここまで開けっぴろげにしたブランドなだけに、誠実な物作りをしているブランドに違いない。
毎日の生活を豊かに潤いのあるものにするには、こういった心を許せるモノたちに囲まれて過ごしたい。

たかがTシャツ。されどTシャツなのだ。




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