努力量は、他人と比べるもの?

どうもポンコツです。

さて、
今日は、休日のお友Netflixで、
M12019を見ました。

優勝したミルクボーイを含む決勝進出者の裏舞台をまとめたドキュメンタリーを最初にみて、その後本編見ました。

とにかく号泣、笑いの連続でした。
ほんとんどの漫才師がM1決勝に向けて1年間準備をし続ける。
それでも決勝に出れるのは、たった10組、その中でも印象に残るのは2.3組、優勝するのは、たった1組みです。

過酷なショーレースです。
全ての漫才師が、頑張って、頑張って挑んでいます。

その中で結果を出すのは、
なんといっても圧倒的な努力、センス、戦略なのでしょう。

努力量は人と比べるものではないと言うけれども、比べるものだと思ってしまった。

決勝進出したコンビ、結果を出したコンビ、優勝したコンビ。

この人達より、努力したと言えるコンビが、予選敗退者の中にいるのだろうか?

努力量や熱量を認められたコンビがやはり決勝の舞台に上がって、更にその中でも圧倒的な努力したコンビが結果を残し、優勝する。

必然的なのかもしれない。

努力量は裏切らない。
それは、戦略を含め適切な圧倒的な量の努力をしたからである。

だから努力は、人と比べるもの。
1番になりたいなら1番努力するしかない。
同じもの追い求める者の中に、自分より努力していると感じる人がいるならば、少なくても1番にはならない。

誰よりも努力していると言えるようになり、始めて1番を争うショーレースに挑む権限が与えられるのかもしれない。

それでも1番になれないなら‥
自分よりも努力した人がいたっていう事。1番の人の努力量を知るしかない。
もしかしたら絶望するかもしれないが‥

2019年のM1はとにかく面白かった。
全てのコンビが笑えた。なんか自信や血の匂いを感じた。
どう表現したらいいのか分からないが、重量感、自信のあるドッシリとしたものを感じた。

改めて見ることで、色々と感じるものがあった。

それじゃ、また!

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