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「先生あの子掃除さぼってました」【♯ぽん ブログる 11】

学校で、掃除をさぼった経験ありますか?私は、真面目が服を着て歩いていた人間なので、そんなことはしませんでした。

しかし、先生になってから、「先生あの子掃除さぼってた」という報告を聞くことが何度もありました。

その都度、どうしたらさぼらないかを考えていましたが、疑問があります。

一斉清掃と分割清掃(なんて言ったらいいのかわからないのでこう呼びます)のどちらがいいのでしょうか?

学校で清掃活動をする意味

これを全く否定はしませんが、別に学校で生徒が掃除をしなくても良いのでは?と思ったこともあります。海外では、学校の掃除を生徒がすることはあまりないようです。

そこで、学校の清掃活動の意味を調べてみると。特別活動の中に

清掃などの当番活動等の役割と働くことの意義の理解

という項目があります。

学級の中で自分の役割を理解し、他社に貢献できることと、自分の仕事として働く意義を考えるというとらえになると思います。

このことは、否定はしません。

が、「清掃など」なので、清掃を必ずしなければいけないわけではないはずです。自分たちで使った教室は自分たちで掃除する。その考えでは理解はできそうです。自分の家もそうですし。

でも・・・

毎日清掃活動しないといけないの?

自分の家を毎日掃除していますか?

私の家は、子どもがいて散らかるし、食事はこぼすので毎日掃除していますが、結婚当初は毎日掃除していませんでした。できる時、汚れてきたところを汚れてきたタイミングで。自分で判断して掃除します。

学校ではどうでしょうか。

毎日、放課後に掃除の時間が設けられている学校がほとんどではないでしょうか。

教室の床は活動をしたごみや、消しゴムのカスなどがあり汚くなるとは思います。トイレも1日に何人もの人が使い、汚れます。

教室の窓、理科室などの特別教室、あまり使われていない階段や廊下。

毎日掃除する必要があるでしょうか。

「毎日の習慣をつけて、大人になったときにできない人にならないように。」

本当にそれが目的ですか?人が余っているから別に毎日掃除しなくてもいいところに生徒を無理やりあてがっている大人の都合じゃないですか?


一斉清掃と分割清掃

一斉清掃・・・授業が終わり、学校にいる全員が決められた清掃分担場所で決められた時間に清掃をし、その後終学活などを行う。
分割清掃・・・授業が終わり、終学活後、清掃分担ぐるぐるによって決められた担当者がぐるぐるによって決められた清掃場所に行く。

どちらが良いのでしょうか。こんな書き方をすると、私の大好きな苫野一徳先生に「問い方のマジック」といわれそうですが。

私は、一斉清掃をする学校と分割清掃をする学校のどちらの経験をしました。

私の経験から 分割清掃 のほうがよかったです。

なぜなら、一斉清掃だと、決められたところに、決められた時間行くということが目的になり、清掃させることが目的になってしまいがちだからです。

さぼる理由はいろいろだろうけど、汚れていないのにその場所に行かされ、汚れていない床をほうきで掃かされて、昨日拭いたガラスを汚れもついていないのに拭かされて。

そら、さぼりたくもなりますよね。

そして、「さぼらせたのはそこの担当者の責任だ。」と責められることもありますよね。←これは愚痴です。

分割清掃でも、そこまで必要ないところをにあてがわれることもありますしさぼる生徒もいますが、目的は清掃ですから使ったところをきれいにするという目的で、「きれいになったら清掃が終わり」ができます。必要なければ「今日はしない」もできます。

こんな理由で分割清掃のほうがよかったです。

もっと、いい案はないの?

一斉清掃か分割清掃かという問いを考えていると、結局どちらも大人の都合が拭い去れません。

学校という場所が、もっと生徒の主体的な活動の場所になるために、一斉清掃や分割清掃でもなく、役割分担と働くことの意味を学べる清掃方法はないものでしょうか。

例えば、清掃が得意な生徒が清掃をし、そのほかに清掃は苦手だけど、そのほかのことが得意な生徒は得意なことを担う。それを生徒が決める。そうすると、学校の中で得意なことを生かすことができて、役割分担もできる。もしかしたら、ちょっと苦手だけど挑戦してみようと思う生徒も出てくるかもしれないですよね。

結局は、学校は大人の都合もあり、管理することがベースの教育活動になっていることで、生徒がやらされていることが増えて、主体的なことができていないように思えてなりません。

考え方を変えていきたいです。

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