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上野にて、感情


端書き

どうも!措置定数になり損ねた医療保護定数です☆

というのも今私は医療保護入院という形で閉鎖病棟に入院しています。。(任意入院にすらさせてもらえなかった)そのため今年は私が担当すると意気揚々に引き受けたのですが、実質このアドベントカレンダーは藍鼠さんとソメイヨシノさんがまわしてくださっています。この場を借りて感謝を伝えたいと思います。

閉鎖病棟、というと怖いイメージがあるかもしれませんが意外と居心地良いです。静かだしご飯美味しいし。。入院の危機が迫っている方、安心してください!!(過言)

あっ、自己紹介が遅れました。私は任意定数@arbconstantと申します。(冒頭の渾身のギャグ、分かりましたかね…)

前置きはここまでにして…アドベントカレンダー1日目書いていきたいと思います!
(書き始めたらテーマである”自分語り”からかなり逸脱してしまいました。気付いたら時すでに遅しでした…小説のような実話のような、そんなお話です)

明日は永井冬星さんの記事が投稿されます。とても素敵な文章を書く方なので楽しみです。(会誌9号にも寄稿してらした…)


上野にて、感情

私(T)とY君は同じ学部の友達だ。その日はY君から”上野の博物館へ行こう”と誘われ東京国立博物館に行った。
Y君はとても良い人だ。さらにとても努力家。同じ空間で勉強したことが何度もあるのだがY君はいつも真剣な顔をして本やらパソコンやらと向き合っている。そしてふとした瞬間に思いつめた表情を浮かべる。そんなY君だからこそ私は博物館に一緒に行くことを了承したのかもしれない。


11時に上野駅で待ち合わせた。私はその前日、精神が崩壊していて睡眠薬を通常よりも多く飲んでしまい遅刻してしまった。薬が若干残っているふわふわとした頭で待ち合わせ場所へ向かい”本当にごめん”と言うとY君は”気にしないで”といつもの優しい雰囲気のまま言った。

その後昼食を摂り、博物館へ行った。お互い博物館はのんびり見るタイプの人間だったためゆっくりと時間をかけて展示物を見た。Y君は高校時代世界史選択だったらしく時折解説を交えてくれた。気づけばもう夕方6時になっていた。そろそろ行こうか、と博物館の外へ出るとツンとした空気が冬の気配を伝えていた。

「このあとどうする?」
Y君が言った。私は昨晩の両親とのいざこざを思い返し、目を伏せながら
「色々あって家に帰りたくない…」
と言ってみた。
風に煽られ散る落ち葉の乾いた音が鼓膜を通り抜けた。


「じゃあ美味しいものでも食べに行きますか」
Y君は独り言のように呟き、私はこくりと頷いた。


私たちは暗くなった上野恩賜公園を歩いた。Y君は歩くのが速かった。Y君のジャケットのベントを見つめて歩いた。噴水の音がする広場を通り抜け、明るいネオンの光る方へ足早に向かった。

アメ横は熱気であふれていた。店先の照明は煌々と品物を照らし、魚を売る大きな声と談笑する声が混ざりあった。

「何食べますか」

Y君は尋ねた。私は
「えー、こんなにたくさんお店があると迷うなぁ」
といつもの優純不断さを発揮した。
「ん、じゃ、もう少し歩いてから決めますか」
Y君はそういうとアメ横の奥へと歩き出した。

もうアメ横を3回も往復してしまった。お互い優柔不断だったのか…いや、そういえばY君も私も”食べ物なら何でも美味しいと感じる族”だったことを思い出した。つまり、お互い嫌いなものが無くかつ何を食べても美味しいと感じるから本当に何を食べてもいいと思っているのだ。このままでは何も決まらない、そう思い
「ねえ、小籠包食べない?」
と言ってみた。さっきふと目についたのだ。
「小籠包かぁ、いいね、そうしよう」
予想通りの返事が返ってきた。

汁が溢れ出る小籠包を熱い熱いと二人で言いながら食べた。とてもとても美味しかった。
熱々の小籠包を平らげ、水を一口飲んだY君が言った。
「進路、決めましたか?」
そうだった。私たちは今後の専攻を決める進路選択に迫られているのだ。意識が現実に戻った。
「ううん、まだはっきりとは決められてないの。迷ってる」
私は専攻を決めかねるどころか、学部を変えたいとまで思っていた。自分には今の学部の勉強が向いていないと感じていたからだ。そして己の能力の低さを痛感し、心に差す影が色濃くなるたびに高校生の頃から心の片隅に抱いていた心理学をやりたいという思いが強くなっていた。しかし前を向いて未来へと突き進んでいる周囲には決してこのようなことを吐露するわけにはいかぬと、固く口を閉ざしていたのだった。だからこの話は私にとってばつの悪いものだった。そこで私は続けた。
「Y君は数学をやるの?」
Y君は
「うん、色々迷ったけど数学をやることにする」
そう言い切った。

鉄板の上で何かが焼ける音がする。箸が皿をつつく音がする。”ビール1つ”と誰かが言った。

私は心のもやをかき消すように、氷の入った水を一気に飲んだ。そして
「よし!ごちそうさま」
とやけに元気な声で言った。するとY君は
「じゃ、行きますか」
とさっぱりと言った。

魚を売る威勢の良い声は聞こえなくなっていた。その代わり酒を飲みかわす声が先ほどより強くなった気がした。Y君が口を開いた。
「これからどうしますか」
私は家に帰りたくなかった。だからまた目を伏せながら
「もう少しのんびりしよう」
と言った。
「んじゃ、スタバに行きましょう。上野駅の中にあった気がするから」
Y君の口から”スタバ”という単語が出てきたことに内心驚きつつ私は静かに頷いた。

アメ横の喧騒がコーヒーの琥珀色に吸い込まれた。私はその香ばしい香りと酸味のする熱い液体を喉に通し、Y君を見た。彼は寒いにも関わらずコーヒーフラペチーノを飲んでいた。
「寒くないの?」
私は思わず聞いてしまった。Y君は少し笑って
「寒いね。俺も頼んでから失敗したと思ったんだ。でも美味しいっすよ」
と言った。私はY君のその笑顔につられて笑ってしまった。こんなどうしようもないことで笑ったのは久しぶりだった。
「飲みますか?寒いですけど」
Y君が言った。私はドキリとした。
「ん…じゃあお言葉に甘えて…」
思考が行動に追いつかなかった。次の瞬間私は緑色のストローを咥えていた。甘くて冷たいものが胸を貫くように流れた。胃に冷たい感覚が下りた頃再び口を開いた。
「美味しいね。甘くて冷たくて。でも確かに寒くなるね…コーヒー飲む?温かいよ」
「あっ…じゃあ貰おっかな」
Y君は大きな手でカップを持ち上げ口に運んだ。
「うまいっすね」
と呟いた。私たちは上野のネオンと喧騒で心恍惚になっていたのだろう。お互い力が抜けたように机を見つめた。

店内は客同士の会話で賑やかだった。ふと顔を上げると横並びで肩を寄せ合い微笑み合っているカップルや何やら重たそうな荷物をテーブルの横に置く人、PCや本と見つめあっている人、色んな人が目に入った。

しばしの沈黙の後、Y君が口を開いた。
「哲学書、好きなんだっけ?」
確かに私は哲学書が好きだ、いや好きだったと言った方が適切かもしれない。まだ人生というものに絶望していなかった頃、人生に希望を見出そうとしていた高校時代に哲学書に救いを求めていたのだ。サルトルやフッサール、ニーチェ、西田幾多郎…貪るように読み、心に響いた箇所を書きとっては反芻していた。だけど今は読んでいない。読む気力が湧かないし、読む必要が無くなったからだ。だから私は彼の質問にどう答えるのが適切か分からなくなってしまった。思考を巡らせるうちにY君が続けた。
「いや…というのも俺も哲学書読もうかなと思って…それでこの前Tさんが哲学が好きって話を小耳にはさんだから」
そういうことだったのか。確かに以前Y君の友達と哲学について語らった気がする。だからか。
「どうして読みたいと思ったの?」
私は尋ねた。Y君は哲学書に何を求めるのだろうか。気になってしまった。
「えっ…どうして…何となく…」
Y君はドギマギしながら答えた。私は少し考えてから話し始めた。
「読まなくてもいいんじゃないかな。哲学は自分の中に創るものだから。私が昔哲学書を読んでいたのは、まだ自分の中に哲学を持てていなかったから。有名な誰かの言葉を借りて自分の中に立派な教義を持ちたかったから。でももう読む必要はないの。私は自分自身の中にひどく貧相なものだけど自分だけの哲学を創り上げたから。
Y君は…Y君は…私はY君じゃないから分からないけど、Y君なりの哲学を持っているんじゃないかな。私はそんな気がする」
こんなこと言ってどうするのだろうか。さっさと哲学書数冊の名前を列挙して”おすすめ”として押し付けてしまえばよかったのではないか。何故私はわざわざ煩わしいことを言ってしまったのか。
私は…私は…Y君の中を覗きたかったのだ。

「哲学は自分の中に創るもの、かぁ。なるほど。俺は自分の中に哲学持ててるのかな…分かんないや。
じゃあTさんの哲学って何ですか…?

…いや、やっぱ聞かないときます」
Y君はそう言った。Y君を困らせてしまった。申し訳なさが胸を刺した。これ以上Y君を返答に困らせるのはいけないと分かっていた。しかしこの時私はどうしても訊きたいことがあった。

「Y君は自分のこと好き?」

「いや、嫌いだよ。大嫌い」

私の心をがんじがらめにしていた枷がガシャンと外れる音がした。

「そっか…そっか…私もね、私も、自分のこと大嫌い」

Y君は目を見開いた。

「えっ、、俺てっきりTさんは自分に自信を持ってると思ってた。将来の夢のためにすごく前向きに進んでるし。そうだったんですね」

Y君の目に私はそんな風に映っていたのか。やっぱり私は見栄っ張りだ。自分の低能さを隠すために必死になっていたのだ。うまく誤魔化せていた、という達成感は無かった。ただただ虚しかった。

「私、Y君は自分自身のこと好きじゃなさそうって思ってたの。だから今の質問をしてみたの。いやY君が悪い人だから、とかそういうんじゃなくて、Y君にたまに差す影が何かを物語っていたというか。
どうして、どうしてなのかなって…どうしてY君は自分のこと嫌いなの?私の目に映るY君は努力家で勉強できて、とても輝いて見えるのに」

Y君は一度目を逸らしてから口を開いた。

「俺、そういう風に見栄張って”できる奴”みたいに振る舞う自分が嫌いなんですよ。数学だってそう。俺実際できねぇんだ…だけど自分が”できない奴”として周囲に認識されるのが許せなくって怖くっていつも自分の力量以上の振る舞いをしてしまう。”できない自分”も嫌いだし”できるフリをする自分”も全部嫌いなんだよ。”俺、何やってんだろ”っていつも思ってる」

Y君の声は震え、目が赤くなっていた。

ああ、そうだったのか。時折Y君に差す影の正体は、劣等感と虚栄心に対する罪悪感だったのか。

Y君は続けた
「俺さ、高校までは何に対しても不真面目でできないことがあったとしても”自分は本気出してないからできないんだ。本気出せば何でもできる”って信じてた。だけど最近数学とかプログラミングとか必死にやってるのに周りはめちゃくちゃできるから、俺本気出してんのになんでできないんだろ、って…」

私の目の前にはいつもの澄ましたY君ではない、ひどく感傷的なY君がいた。Y君は顔を手で覆った。

「そっか。そうだったんだ。Y君はそういうことを考えていたんだね。
これは気休めじゃなくって、いつも思ってることなんだけど…
私はY君を尊敬してるよ」
お世辞なんかじゃない。いつも努力しているY君の姿を、実際の彼の能力の高さを知っていたからこそ、私は心の底からY君を尊敬していた。私はY君にY君のすごさをもっと認識してほしいと強く思い、照れくさい気もするがきっぱりと言い切った。
「いや…うん…ありがとう」
Y君は振り絞るように言った。通じたのかは…分からない。

冷めたコーヒーの水面が揺れた。

「Tさん…Tさんはどうして自分のことが嫌いなんですか。数学の教員目指してるって聞いて、勉強もいつも頑張ってるから、俺てっきり……」

私は深く息を吸った。今日自分のことをこんなにも深く語ることになるなんて思ってもみなかった。そもそも私は自分のことを深く人に語ることを平生から避けていた。
己を救えるのは自分しかいない。だから誰かに泣き言を垂れても仕方ない。
私は人に絶望していた。

けれども、今だけはこの瞬間だけは、Y君になら言ってみても損はあるまい、そう感じて重い口を開いた。

「私、頑張れてなんかないよ。頑張れてない。本当に頑張れているのなら、私は、私の心はこんな薄暗い場所にいないよ。
数学の教員になりたいっていうのは本当。私、数学が苦手だから数学が苦手な中学生や高校生に何か道標をのこしてあげられる存在になりたかったの。でも私やっぱりなれない。だって今、数学と今まで以上に真剣に向き合ってるけど少しも進歩しないんだもの。だからもう無理かな、やめた方がいいなって思ってしまうの。今は以前から興味がある心理学をやるために転部しようかなって…そんなことも考えてる。

でもね、”無理だ”といって諦めてしまったら、今まで苦労してきた自分を裏切ることになってしまう。今まで幾度となく”無理だ”と諦めようとする自分を奮い立たせて死に物狂いでやってきた、そんな過去の自分を簡単に裏切ってしまって良いのか、って思う自分もいるの。

頑張れてないから成果が出なくて、成果が出ないのは全部自分の責任なのに一人で落ち込んで辛くなって、今が辛いからって過去の自分を裏切ることになるのに簡単に逃げ出そうとしている自分が嫌い。大嫌い。

こんな私、こんな私は何者にもなれないんだっ」

吐き捨てるように言った。私の頬に冷たい雫が伝った。

沈黙がどれくらい続いたかは分からない。肩を震わせた私にとってこの沈黙は一瞬のように感ぜられた。

「俺、全く気づけなかった。ごめん。
だけどさ、だけど、Tさんは頑張ってる、そして強くて優しい人になる。
俺が保証します」

ああ、Y君らしいな。どこか言葉足らずのこのかんじ。でも私にはそれだけ十分だった。なぜなら私を見つめるY君の赤くなった目が言葉にならない思いを伝えていたからだ。



私たちは山手線に揺られていた。
『次は池袋、池袋―』
車内アナウンスが流れた。確かY君は池袋で降りるはずだ。

「秋学期も頑張りましょう」
Y君が言った。
「いや、頑張らなくていいと思う。耐えしのげれば十分だよ」
私は車窓を眺めながら言った。夜の街は光っていた。私の瞳に光が反射した。
「そうだね、耐えましょう、お互いに。」


『池袋、池袋に到着です』
ドアが開いた。
Y君は席を立った。
「じゃ、また」
短くそう告げると混みあったホームへと降りて行った。


私は人混みに紛れていくY君を最後まで最後まで見送った。




私の文章、朗読、なにか響くものがございましたらよろしくお願いします。