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比べることで認識する


小学生の道徳の時間に「トマトとメロン」という題名の話を読んだ記憶があります。
当時の先生が誰だったかは定かではないものの、「どっちが好き?」「なぜ?」的な問いがあったように思います。
それぞれの個性があり、比べる対象ではないのではないかといったまとめ方でその時間は終わったと記憶しています。

小学生の頃、そうやって一人一人の違いを理解しようとし、尊重しようというニュアンスで教わりました。
大人になるにつれ、その学びはどのような形になったのでしょうか。


比べるという行為は、あるものとあるものの違いを見つけ、その物体を認識するためのものだと思います。

比べるという行為は、あることとあることの差を把握し、その事実を認識するための行為だと思います。


「あの人は私よりも綺麗だから」
「あいつはおまえよりも仕事ができるから」

「だから?」

比べるという行為自体は、認識するうえで必要な行為です。
容姿や性格、ライフスタイル、学力、財力、運動能力など身の回りだけでも様々な比べる・比べられるものがあります。

先ほどの言葉がりんごだったらいかがでしょうか。
「あのりんごはこれよりも形がいいから」
「あれはこれよりも甘味が強いから」


比べるという行為はその対象が人になると、急に喜ばしくない形で働いてしまう場合が増えるように感じます。

それが劣等感や異質のものに対する嫌悪感につながってしまうのではないでしょうか。


基本的には同じものはなく、比べるという行為で認識する。
そこまでで十分な気がします。

比べたその先を喜ばしくない方向に進めなければ、その行為自体は生きていくうえでとても必要なことだと私は思います。


昨年末くらいから海外の友人と連絡をとるなかで、ライフスタイルや価値観の違いはとても大きく感じるところがあります。
ただ、その違いはあたり前のことで、比較はしても優劣をつける必要はありません。

「みんな違ってみんないい。」ー金子みすゞ

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オリーブの収穫が大変だそうです。


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