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NiziUと小林秀雄

僕は昔からkpopが好きで、その流れで最近流行りのNiziUの楽曲をよく聴いている。特にメンバーの一人、ニナの澄み切った高音には毎度聞き惚れてしまう。そんなNiziUはNizi Projectというオーディションから結成されたグループで、その様子はYoutubeでも観ることができる。

オーディションでパフォーマンスする参加者はNiziUのメンバーになるために必死で、審査をするJ.Y.Parkに褒められては飛び切りの笑顔を、酷評されては大粒の涙を流す。そういった感情の表出には人生をかけて自分の魂を捧げる彼女たちの精神が現れているようだ。僕はこの様子を観ながら小林秀雄『私の人生観』の一節を思い出した。

「先日、ロンドンのオリンピックを撮った映画を見ていたが、そのなかに、競技する選手たちの顔が大きく映し出される場面がたくさん出て来たが、私は非常に強い印象を受けた。カメラを意識して愛嬌笑いをしている女流選手の顔が、砲丸を肩に乗せて構えると、突如として聖者のような顔に変わります。どの選手の顔も行動を起こすや、一種異様な美しい表情を現わす。むろん人によりいろいろな表情だが、闘志というようなものは、どの顔にも少しも現われておらぬことを、私は確かめた。闘志などという低級なものでは、とうてい遂行し得ない仕事を遂行する顔である。相手に向かうのではない。そんなものはすでに消えている。緊迫した自己の世界にどこまでもはいって行こうとする顔である。この映画の始めに、私たちは戦う、しかし征服はしない、という文句が出て来たが、その真意を理解したのは選手たちだけでしょう。選手は、自分の砲丸と戦う、自分の肉体と戦う、自分の邪念と戦う、そしてついに征服する。自己を。」

僕が観ていたのはまさにこれだ!と確信した。日常の場面では彼女たちは「愛嬌笑い」をして可愛らしい様子が伝わってくるのだが、一転オーディションでパフォーマンスする彼女たちの意識は他者ではなく、絶えず自己に向かっていて、その表情には不思議と「闘志などという低級なもの」はない。

オーディションは参加者同士の争いではなく、自己との戦いの場であったから彼女たちの間にギスギスした軋轢は見られなかったし、グループとして調和しているように見えた。だから視聴者は応援したいと思うのだろう。今のNiziUの人気の秘訣の一つにはこういった理由があるはずだ。

小林秀雄の一節は僕にとって彼女たちの中に燃えさかる自己の超克への欲求を覗かせてくれる眼鏡だった。彼の眼にはいつも敬服する。


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