成長社会から豊かさの時代へ

成長社会から豊かさの時代へ




(noteより)

わたしが初めて本当に個性的な人は生きにくい
社会なのだと確信したのは20年ほど前になる。

もちろん子供時代から色々とあるのだけど
社会からドロップアウトした瞬間に強く感じる
出来事や、周囲の目や親や友達やあらゆるものが離れていったことで実感した時期。

22歳かな、精神病院に4ヶ月?(古すぎて少し忘れてます)入ることになる経験からです。
そのきっかけは全然たいしたことではなかったけど、わたしの混乱へ環境的にも、
どうにも対応できない時代であったり、
周りの理解やその当時の社会全体の知識が

例えば鬱であるということでさえも口にだすのは
タブーにされていたし、どんなものか分からなくて
できれば無いものとしたい空気がある頃でした。

どうしていいか分からないもの、 
何か分からない奇妙なものに対して対応できない。
そのような感じに捉えています。

突然起こったというより、沢山助けて欲しいというサインは小さな頃からだしていたけど、
親も先生も友達もそして心療内科や大学病院でさえ、せかせかとした中で、
ただどんな事を心に思って、何に疲れているのか、何が苦しいのか、ただそれを聞く余裕もない状況だったと思う。

人より成長すること、お金を稼ぐこと、
忙しく働くこと、それで成果を出すこと。
それに夢中で、立ち止まってる人に対して
何か言葉を与える、何を感じてるの?という余裕がない世の中のエネルギーだったと思う。
 

競争して成長して、忙しくしてお金を稼いで
何かを達成することが素晴らしいんだ!
みたいな時代の洗脳に
当時は世界を憎しみ、こんな世界はクソだという気持ちと、自分はなぜ合わせられないんだろうという葛藤が凄かった。 

ですが、現在は変化していて
この事に関して善悪とかそういう単純な事でなく
この成長があってこそ、余裕が生まれるので
この時代も必要であったとも考えれます。



それらはその時代を過ごしてきたみんなが
心の病にならなくても沢山の時間を
「これが正解なのだ」と考えないように擦り込まれたり、成長することこそが正しのだと働き沢山摂取されていたと思う。

絶望感というのを何度も味わった。
心の病を否定し続けて、病院に行くことを
一番に恥ずかしがり、変われること、
違う人間になるように頑張れ!といい続けた両親は、それによってさらにどんどん壊れていくわたしへ、大学病院に行けば治ると信じて連れて行かれたときは、ここでなんて言われるかで
親や全てから引き裂かれる事を予感していた。

大学病院ではものすごい時間を待って、
その間も母は何故こんな場所にいるのか情け無いという気持ちが隠しきれてなく、
期待に応える事が出来ない自分と空気にいたたまれない感覚。

一応、信頼されるような響きの大学病院に、
ほんの少しだけの希望を持って名前を呼ばれて
重い気持ちと少しの希望でほんとに重いドア開けた。

そこには7人ぐらいの先生がドアに向かって
少し丸い円を描いてこちらを向いて座っていて、ワープロ?というのかな、その当時の最新的なものが机にあった。


入って数秒でわかった、、「ダメだな」


何故かというと、入って数秒間
誰もこちらをまずみてない、
それぞれが今やらないといけない作業を
ワープロみたいなものに打ち込む、隣の人に資料を見せ合う。
その中の一人がわたしに話しかけた。
「今日はどうしましたか?」
その間も他の人はわたしもみない。

少しの期待はもうないとすぐ理解したから
わたしは逆に質問した
「ここは大きな病院ですが、小さな病院と違うことは何ですか?」
「薬をだす以外にもできる事、小さな病院と違うことを教えてください」

その質問をして2、3人が手をとめて少しこちらをみた。けどすぐにまた自分の仕事に戻る。
答えはこうだった
「 


「薬をだす以外の方法でですか?
鬱は長く付き合うので特に。変わりないかもしれませんね。」

当時でもカウンセリングだけを別で受けようとしたら一万円以上した、
20年以上前の話しだということや、
わたしの家庭環境では絶対無理だった。
その答えを聞いて、「では近くの心療内科に通ったほうがいいですよね、ここに通うと治るといえますか?」

「鬱は一度なるとなかなか治りません」

これも近くの診療内科と全く同じ答えが返ってきたので、立ったまま質問してたので

「それではどこでも同じですね」と言ってでてきた。
     

待ってる母親もほんの少し期待していたので
やんわり説明しても、ここに通うようにと言ってきた。
大学病院であること、それだけで信じれる母親に羨ましい気持ちにもなった。

絶対にここに通わない、というと怒りを向けてきた。説明を少ししても早く治ってほしい。
自分が心配したくない、楽になりたいという気持ちが先に聞こえてきて、絶望感ともう誰にも助けてもらう事はないと決めた時だった。

ここからも治るまで、わたしは自分の力と薬に頼ってやっていくことになるけど、
《人は絶対頼らない》という決め事は
この後の人生で凄い鎖となって締めつけてくる。
鎖は外れるチャンスは後に沢山でてきて、
何度もその細い光のチャンスを掴んで、
現在は自由になっている。


今、個性的で自由に生きていいのか?とか
心に病を持ってる人がいる、
もしくはそのような人と関わる人がいたら、


あなたは普通です。ただの個性であるだけ。
こう生きないといけないという集団意識は時代が変われるば嘘みたいに変わります。
自分を責めないで自分を生きてください。

そしてもし理解されないことがあっても
世界へ向けて叫んでください。
必ず一人はあなたに言葉を向ける感心をもつ、
そのままでいいんだと思わされる出来事がおきます。
わたしの経験は古い時代であり、
個性的な人が心の病の名前をつけなくても
生きていける沢山のきっかけになる情報も人々も変わってきていて、希望が沢山あります。


そして個性的で困ってる人達を見た人へ
あなたがほんの少しだけ相手を理解すること、
言葉をかけてあげること、違う価値観へ感心を持つ事は、時には大学病院へ行く事よりも人を助ける力があります。
人は凄いことで誰かの役に立とうとするけど、
作った野菜を配るように優しさやその人を共感してみる事を配ってみるようなことが起こるとどうでしょうか、心の余裕を配りあう世界観。

何よりあなた自身が、あなたらしく生きてるか?
人を心配する助けたい時に、問うようにしてみてはどうでしょう。
自分らしい生き方をする人が増えるだけで、
十分に個性を「これでいいのだ」という気持ちにさせてくれるものです。


それにはそれぞれが心に余裕がないとできない。
それには自分の時間やお金や働き方の価値観を
誰かに支配させていて知らないうちに、
本当の豊かさを摂取されているうちには出来ないと考えています。

これは病気の苦労話しを議論したり
人を助ける事を議論する善悪ではなく
古い価値観から新しい価値観を創るには
豊かさを本気で自分が創ると、一人一人が向かうこと、その集団意識が、自由な感覚、
それぞれが自分らしく生きることへ循環して、
自分や自分の未来の子供達やその先の未来の
子供達も自由になれる世界を創る。
そのように想像しているということ。


これからも自分の過去の体験をとおして
新しい価値観への想像を共感して
応援したり体現してくれる人が増えると
とても嬉しいです。





(心や共感を野菜で配る例えは大好きで、これは、
せっちゃんhttps://twitter.com/seijianzenkichi?s=21
が言った言葉を使わせてもらいました)


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