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#22.エストニア語

ヨーロッパの人にとってヨーロッパの言語は学びやすいのだろうか。

実は多くのヨーロッパ人にとって、ヨーロッパで話されている言葉の難易度はそこまで高くないと考える。なぜならヨーロッパ人にとってヨーロッパの各言語は直訳可能だからだ。

まず自分の第一言語の知識や文法がフル活用できる。例えば発音の仕方や語彙構成が多少違っても、例えばチェコ人がイギリスに出稼ぎに行き、英語を習得するのは(日本人と比べて)さほど時間はかかわらないだろう。

その理由は基本的な語順が同じだからだと思う。チェコ語も英語も「右側」に文がどんどん伸びていくタイプの言語なので、すでに頭の中にそのような言語を処理できる演算能力がすでに備わっている。そのため、語彙学習と頭の中で言語を切り替える訓練をしていけば、英語をものにするのはそう難しくはないはずだ。

また、語彙も関係する。形からの類推のしやすさもあるし、時として全く同じ単語を使うこともある。それが大きく影響するだろう。例えば言語が違ってもヨーロッパの人はラテン語やギリシャ語から借用されてきた単語は地域や民族を超えて同じ場合も見受けられる。

逆に日本語を第一言語として話す人間が英語を学ぶ場合は文化も違うし、文法も違うし、単語は異なる、という三重苦状態。そのため、ゼロベースで学んでいかなければならないのでとんでもない時間がかかるのだ。

違う言語が学びやすいなんて、ヨーロッパはなんて羨ましいんだ...

膠着語について

と言いたいところだが、そういうわけでもない。

ヨーロッパ人でも学びにくい言語も当然ある。

よく名前が挙がる言語としては次の通りだ。バスク語、フィンランド語、ハンガリー語、そしてエストニア語である(個人的にはマルタ語やケルト諸語も文法がかなり違うから相当学びにくいと思うのだが、そのような話はなぜか耳にしたことがない。学びたい人がいないのだろうか)。

この四言語に共通していることは何だろうか。それはこの四つの言語が膠着語であるということである。

同じような話題について、ウズベク語やウォロフ語で言及したことがあるので、興味がある人は過去記事も参照してほしい。複合語については「イヌクティトゥット語」を読んでください。


ウズベク語などもそうだが、エストニア語をはじめとする膠着語は英語やフランス語のように前置詞を多用せず、単語自体に「てにをは」がくっついて意味の関係を表す言語だ。そのような「てにをは」のパーツが単語にピタッと「にかわ」でつけたようにくっつくことから「膠着語」と呼ばれる所以だ。

下記にWikipediaの「日本」のエストニア語版から、冒頭部分だけをお借りしてきた。ここでは単純な格助詞がたくさん使われているので、いい例になると思う。

Jaapan (jaapani keeles 日本 Nihon või Nippon, ametlikult 日本国 Nippon-koku või Nihon-koku) on saareriik Ida-Aasias, mis ulatub Ohhoota merest põhjas Ida-Hiina mere ja ※Taiwanini lõunas.

(日本、つまり日本語で「ニホン(Nihon)」あるいは「ニッポン(Nippon)」といい、公式には「ニッポンコク」または「ニホンコク」というのは、北はオホーツク海、南は東シナ海や台湾まで伸びる、東アジアの島国である)

おそらくここで英語などに慣れている人は前置詞に該当するような単語が見当たらなさそうだ、ということに気づくかもしれない。

それもそのはず。前述したように、エストニア語は「膠着語」なので、格助詞は単語にくっついて同化してしまっている。

上記の例文で、文法のパーツ(格助詞)が単語と一体化してしまっているものは下記の通り:

①jaapani keeles 日本語で
 →jaapani keel
②Ida-Aasias 東アジアにおいて
 →Ida-Aasia
③Ohhoota merest オホーツク海から
 →Ohhoota meri
④Ida-Hiina mere 東シナ海の
 →Ida-Hiina meri
⑤Taiwanini? 台湾まで? ※格があっていないのでは? Taiwaniの打ち間違い?
 →Taiwani
⑥lõunas 南においては
 →lõuna

エストニア語の相互理解率

ヨーロッパの言葉は大抵、印欧語族と呼ばれる兄弟のような言語に属している。また、大概が同じキリスト教圏に属しているため、言い回しや文化が似ていることが多い。そのため、フランス人がイタリア語や英語を、チェコ人がドイツ語やオランダ語を勉強しても、日本人と比べればかなりの早さで上達すると思う。

例えばイスラム教圏に属するアルバニアであっても、アルバニア語の文法と英語の文法が大きく異なっているわけではない。後置定冠詞や格変化など見慣れない文法があったとしても、根幹的な文法やシステムがそもそも共通しているため、慣れれば何とかなるレベルに収まる。日本人の「持つ」という意味に収まりきれない、英語の"to have"やアルバニア語の"kam"の使い方で悩むことは少ないだろう。

しかしながら、エストニアやフィンランド、ハンガリーという国は同じキリスト教圏の文明に立脚しながらも、印欧語族ではない言葉を伝統的にしゃべる。例えばエストニア語はウラル語族という言葉に属している。

そのため、まず第一に、ウラル系言語を話さないヨーロッパ人が学習に手間取る要因の一点目がとして、「共通する語彙が少ない」という点が挙げられる。そのため、かなり相互理解度が下がる。

例えば上記のエストニア語の例文では固有名詞や地名が多いため、文を見れば何となく、どのような分野の話をしているかは類推できるはずだ。しかし、そのような単語がもしなかったとしたら、何の話かはエストニア語の知識がないと当てられないと思う。

もしあなたがエストニア語やフィンランド語を知らずに、"läänemeresoome lõunarühma"という単語を理解したならば賞賛すべきことだろう。直訳すると、「西海のフィンランドの東グループ」となるが、要は「(ウラル諸語の)バルト・フィン諸語の東側のグループ」のような意味になる。この相互理解率は一〇〇歩譲って、ロマンス語系の言語をしゃべることができる人が、文中の"mere"にフランス語の"mer"をイメージできるか否か、その程度のレベルにしかならない(この単語はかなり古い時代にバルト・フィン諸語が印欧語から借用語した可能性があるため、似ている)。

ヨーロッパの人が苦手な発音

西洋諸国の人が初めてエストニア語やフィンランド語を読み上げると、エストニア語やフィンランド語にほど遠い、変な発音で大抵は読む。

どうも西洋の人は長母音と短母音が同時に語中にあるのが苦手なようだ。もしかしたら強勢のない長母音が苦手なのかもしれない。例えば"paljukeelne(多言語の)"という形容詞があるが、慣例に従えば強勢は第一音節の"pa"に置かれる。しかし、後半に"keelne"とあるので、「ケールネ」と強勢がなくても長母音で読まなければならない。

しかもエストニア語は区別が短母音、長母音の二つだけではなく、「超長母音」がある。そのため、音の長さに敏感でない言語をもともとしゃべる人にとって苦手な言語になるのではないだろうか。例えば次のような例が思い当たる。

1.vere ヴェレ 「血」
2.veere ヴェーレ 「端の」
3.veere ヴェーーレ「端を(分格・複数)」

三番目はつづりが二番と同じだが、より長く発音することになる。超長母音がある言語は今の所、私はエストニア語しか聞いたことがない。どなたか他に知っていたら教えてください。

エストニアの教えてくれるもの

エストニアは小国であるが、日本では徐々に「IT立国」として名前が知られてきている。しかし、それはエストニアの発展と自衛と民族の独立性を維持するための戦略の中で生まれた、独自の戦略である。

エストニアは古くから他の民族と共存してきたし、侵略もされてきた。それは例えばエストニアがソビエトに対してバルト諸国と連合で「人間の鎖」を実施したり、フォークロアやエストニア語の歌で「歌う革命」を実現し、対抗してきた歴史を思い出せば推して知るべしだろう。

そして、エストニア語はそのような環境で常にエストニア人であることを思い出させるための鍵となってきたのだった。例えば、エストニアの著名な反ソビエト的代表歌"Eestlane olen ja eestlaseks jään(私はエストニア人でエストニア人であり続ける)"という曲は英語やロシア語では全く味気がないだろう。その微妙な味わいはエストニア語の不思議な響きと膠着語が持つシンプルさによってもたらされているものだろうから。

時々でいいから、世界にはこんな言語もあるんだなぁと思い出して欲しい。小さな言語であっても、その権利を勝ち取るために血や涙を流すこともあるのだから。エストニアはそれを教えてくれているのではなかったか。


#とは

オススメ

エストニア語の良い語学書は事実上ない。例えばウラル語研究の泰斗である小泉保先生の最後の著書に『エストニア語入門』があるが、これは内容がそれほどではないらしい。間違っているところも散見しているようで、これを読んだ日本に留学に来ていたエストニア人が青筋を立てて怒っていたのを記憶している。

そのため、日本語で無難な選択としては『まずはこれだけエストニア語 (CDブック)』しかないが、最近この出版社が潰れたと聞いたが、本当だろうか。確かにホームページにはアクセスできなくなっているが...。

エストニア語との距離は遠くなるばかりである。

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