拝啓

拝啓「恋愛のできない僕たちへ」

平成が終わるまでは無料で公開します。
令和以降は有料(300円)で紹介します。
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(5/1 0:04) 令和になりましたので有料とさせていただきます。
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(11/4)文章を加筆、修正しました。


「え!?人生で一度も彼女いたことないの!?」

きっとこの質問はおそらく僕の人生の中で、少なくとも過去5年の間には、最も多く投げかけられた質問だ。

別に隠しているわけではなかったが、僕は25年間生きてきて一度も「彼女」という存在がいた経験がない。出来なかった、と言ったほうが正しいか。

別に必要とも思わなかったし、友達といる時間のほうが楽しかったし、まぁ理由はいくらでもある。

...この発言をするたびに色々な憶測を語られる。

「またまた〜。ホントは海外にいるんでしょ?」
「あーなるほど。固定は作らない派か。」
「まじか…そんなモテそうなのに勿体ない…」

そう言ってもらえること自体はすごい嬉しい。一般的に「彼女がいる」という事実はその人が魅力的に思えるというステータスの現れなのだろうから。…ただの、チャラ男に見られている説も否定しきれないが。


しかし、僕は常に違和感を覚えていた。

余談だが、僕のストレングスファインダー上での「コミュニケーション」は上位に位置する。なので、その程度の『ちょっとしたジョーク』を笑顔で受け流すなど造作もない。

今でこそ自分でもネタとして「いやー、彼女いたことないんですよー」と言っているが、自分自身でも”ある種のモヤッとした感情”は一切消えることはなかった。

そして、その「モヤッ」が何なのか全く理解できずにいた。

そんな中、とある飲み会に誘われて参加した。
話題はいつもの通り『恋愛話』に。
あぁ、またこの話か…という感情を

「いつものように」抑えつつ
「いつものように」程よく語りつつ
「いつものように」うまく核心は避ける会話を続けた。

「いつものように」じゃなかったのは、それを聞いている人だ。

プロゲーマー社長のCJ社長さん(@CaptainJackSan)に言われた何気ない一言が、深く僕の心に突き刺さった。

「それ、多分アセクシャルちゃう?無性愛者ってやつ」

…アセクシャル?僕は聞きなれない単語に耳を傾けた。


最近では『LGBT』という単語を聞いたことがある人も増えたことだろう。

改めて説明をするとLGBTとは

◆Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)
◆Gay(ゲイ、男性同性愛者)
◆Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)
◆Transgender(トランスジェンダー、性別越境者)

の頭文字をとった単語でセクシュアル・マイノリティ(性的少数者)の総称を表す。

最近広まりつつあるこの言葉ではあるが、きっとまだまだ浸透率は低いのが現状だ。しかも、これにはどうやら続きがあるらしい。

それが『LGBTQIA』というものだった。今回、僕が頭を悩ませる原因となったもの。

頭文字の羅列だけ取って、それっぽい言葉を伝えようとしているが普通に分かりにくい。なんだ、不規則なアルファベットの羅列は。知って欲しいのか隠したいのか。

◆Questioning(クエスチョニング、性別がわからない人)
◆Inter-Sex(インターセックス、男女両方の身体特徴を持つ人)
◆Asexual(アセクシュアル、恋愛感情と性的欲求を抱かない人)

この世は多様性に満ちている。僕も海外は長いおかげで、他の日本人より『LGBT』に対して寛容だと思う。というか、いちいち反応したりしない。否定も擁護もする気は無い。誰が誰を好きになろうと、『本人たちが幸せで』『他人に実害を与えていなければ』そこは僕が気にする範疇では無い。

しかし、自分が当事者かもしれない、となったら話は別だ。他人事では済まされない。なんだかんだで当事者意識を持てるのは当事者だけだと思い知らされた。

名前すら知らなかったその価値観を
当事者となった僕はとりつかれるように調べた。

自分の過去と照らし合わせながら。

ひとつひとつ答えあわせをするように。


…先にネタバラシをしてしまうと、おそらく僕は『完全なアセクシュアル』では無い、と思う。そもそも『アセクシュアル』自体がまだまだ明確化されてないのに、完全も不完全も無いのかもしれないけど。

ここで、僕が参考にした『アセクシュアル』の気持ちをアウトプットした漫画があるので紹介したい。

以下のツイートをクリックすると、大体35P分の『アセクシュアル』についてまとめられた漫画が掲載されている。興味あるかたは是非ご覧いただきたい。

読んでない方のために簡単にまとめるとこうだ。

【アセクシュアルの価値観】
◆他人に恋愛感情を抱いたことが無い
◆でも異性にトラウマも苦手意識もない
◆他人の『好意』に対して極端に鈍感
◆人として好き。でも『好かれる』のは辛い
◆世間一般で言う「デート」は普通に行ける
◆でも、ドキドキするわけじゃない
◆相手は自分のことが好き、らしい
◆でも、その気持ちを共有できない自分に嫌気がさす
◆「人として好きなんだし付き合ってもいいんじゃ?」
◆「自分のことを好きになってくれる人を逃すなんて…」
◆「勿体無い…?…なに、”勿体無い”って…」
◆そんな打算的な自分に嫌気がさしてくる
◆『恋人が欲しい』じゃなく『誰かを好きになりたい』だけ
◆そんな「アセクシュアル」にも十人十色

グサリ、と。胸を何かが貫いた。…過去、思い当たる節しかなかったんだ。

正直目を伏せたかった。別に好きな人だっているし、彼女がずっといなかったとは言え、人並みに恋心を抱いてきた…と、思っていたから。


多忙な日々の中、感情を押し殺し、言葉の通り『心を亡くし』ながら生きてきた僕の25年間の中で。向き合うタイミングなんてなかった。

ちゃんと向き合おうと、してこなかった。
向き合うつもりすら、なかったのかもしれない。
そうすれば、自分が傷つくこともないから。

だから、”機会”を避けていたのかもしれないな。


それは唐突に訪れた。
4月29日。『令和』という新元号を迎える2日前。

#ポエトリーリーディング という未開の地に挑戦することになった。

ポエトリーリーディングについてここでは言及を控えるが、簡単に言うと

自分の心の吐露を言葉に乗せるアート

ものだと、僕は解釈している。


きっかけは僕がるってぃさん宛に綴った一通の返信。

多分20分くらいで出演が決まった。

正直「新しいことに挑戦する」なんて僕にとって特別な意味なんてなかったけど、今回は始める前から妙な胸騒ぎを覚えた。

ポエトリー。心の吐露。自分の心が叫びたがっていること。
普段は蓋をしてしまっていた、『あの感情』


なんの因果か平成の最後に気づいてしまった『あの感情』を
僕は、止めることができなかった。

自分をごまかし、騙し、欺いて生きてきた『あの感情』を
今度ばかりは、目を反らせなかった。

以下の内容は当日に紡いだポエトリーの原文だ。

【恋愛に臆病な僕たちへ】

「今まで本当に彼女がいたことがないの?」
自分に聞かれることの中で最も多い質問だ。


いつからだろう。この質問に笑顔で答えられるようになったのは。
いつからだろう。「彼女がいない自分」が当たり前になったのは。
いつからだろう。自分の心を偽ることに…なんの抵抗もなくなったのは。



恋愛は、きらびやかなものらしい。
世の中には、ドロドロした話が溢れているけど。

恋愛は、人生を豊かにするものらしい。
自分1人で、すごい豊かな日々を過ごしているけど。



人を好きになったことがないわけじゃないし
一緒に居たいと思える人も、もちろん居た。



でも、それだけだ。



「臆病」なのか「自己防衛」なのか
結局のところ、本質は自分の中にしか存在しない。

リスクのある恋愛をするよりは
うまくいっている片思いが絶対楽しいに決まってる。

感情の波が激しくなってしまう『アイジョウ』よりは
距離感の心地いい『ユウジョウ』のほうがいい。




人を好きになるとかならないとか
恋人が欲しいとか欲しくないとか
1人で居たいとか誰かと居たいとか



そんな陳腐な恋愛の悩みは
100万回と繰り返してきたんだよ。




結局答えの出てない、無限回廊を歩んでるだけ。
ひとりではできないことなのに、勝手にひとりで悩んでる。



そこから脱する道はただひとつ。

「恋愛をする」ことなんだと思う。
矛盾してるけどね。



恋愛に臆病な僕たちへ。


ポエトリーをやることになったのは、数ある偶然が重なり合った必然だったのかもしれない。

もしくは、『あの感情』とは平成時代で決別してやるとでも思っていたのだろうか。

このnoteでは、自分の恋愛観を大きく変えた2つの事件について赤裸々に共有しようと思う。

ただ、単純に。綴るだけだ。

誤解のないよう先に記載しておくが、僕はこのnoteを通して「LGBTQIAに理解ある世の中を」なんて1ミリも感じていない。

むしろ、申し訳ないがいわゆる『人とは違う価値観』は大なり小なり批判されるのは仕方ないとすら思っている。少数の当事者が生きやすくしようとしても大多数のそれ以外の人の意識が変わらなければ思考の統率なんて、天地がひっくり返っても不可能だ。

ただ、一度開いてしまったこの感情を、どうしても自分だけで消化することができなかった。

ただ、ひたすらに書きなぐる。感情のまま。事実のまま。

僕のポエトリーリーディング。
文字版だけど、第二部を聞いて欲しい。


流石に本音が過ぎるので、有料で公開する。有益なことは何もない。見たい人だけが見てくれていい。ただの自己満足だから。

ほぼ脚色なしの実話だけど、小説みたいに楽しんでくれたら幸いだ。


また、日頃からツイッターで仲良くしてくれている友人たちは違和感にお気づきかもしれないが、ここでは本音を淡々と話すため『タメ口』で執筆することを許してほしい。


振り返ると、自分の価値観は常に同じだった

先に述べた『アセクシャル』という言葉自体はつい最近知ったばかりなのだが、恋愛に限らずあらゆる行動において『アセクシャル』的な思考回路が基盤となっていたような気がする。

それをうまく言語化する術を持ち合わせていなかっただけで、きっと価値観は小さい頃から変わっていない。

それを『自分ルール』だったり『こじらせ』だったり『理想が高い』だったりと普遍的な言葉に置き換えていた。

いや、事実周りから見たらそこに大差はないのだろう。
事実、今この文章を書いている僕ですら懐疑的なのだから。


そんな自分を振り返るように、自分の脳裏にこびりつく過去の出来事が目に浮かぶ。

『私たち、もう、別れましょう』

思春期が少しずつ加速する中学・高校生時代。

少しずつ『性』を意識し始める時期でもあり、異性と話すことを恐れたり嫌ったりする男友達が多く見受けられた。僕は割とそのラインが緩い人間だったから、男友達も女友達も多かった。たまに嫉妬の対象にされたりもしたけど。


高校3年生の夏ごろ、今では当たり前のスマホが少しずつ普及してきた時期でもあった。ガジェット好きの僕は早々にスマホデビューを果たした。

ガラケーでも出来そうなことを改めてスマホでもやってみる。
そんなしょうもないことに心踊らされた。

そのしょうもないことの一つが『仲のよかった旧友に連絡をする』こと。ただ、なんとなく。些細なメールすらも楽しく感じられたから。

旧友の中にひとり。一番仲のいい女友達がいた。
一番気心許せて、割と何でも言い合えるような、『深い仲』。

「久々」と言う軽いノリで始められた言葉には、
「2年ぶりだね」と続く内容ほどの重さは無かった。

お互い体育会系でバリバリ部活をやっていたが、
ちょうど引退の時期と重なったこともあって
お互い少し時間に余裕が出来たタイミングでもあった。

「それじゃあ」と、どちらが言うわけでもなく
2人きりで会うことが多くなった。

ご飯行ったり、映画見たり、プリクラ撮ったり。

心地よい関係値が、しばらく僕らを包んでいた。

高所恐怖症だと叫ぶ僕を悪戯っぽく笑いながら観覧車に連れ込む彼女…周りにはどう映ってたんだろうな。


そんな『関係値』は、音を立てて崩れた。


鈍感だと主張する僕もさすがに相手に「友情」とは違う別な感情が介在していることを感じる。態度や言動が大きく変わるわけではないけど、何かが、違う。

顔もタイプだったし、性格も外交的。
あっけらかんとしていて、スポーティーな印象。
「付き合うんならこういう子がいいな」とも思っていた。

おそらく人生初めての『ちゃんとした恋心』を持ったのを覚えている。だからこそ、相手のそういう感情の変化にも敏感に気づけたのかもしれない。

多分相手も、僕のことが好きなのだろう。

そう、考えた瞬間。

なぜ。


なぜ僕が、その恋心を一瞬でも
『キモチワルイ』と思ってしまったのか。


え…?何で…
今、僕『気持ち悪い』って感じてた…?


自慢じゃないが僕は人に対してネガティブな感情を持つことが極端に少ない。苦手なタイプは存在するにしても、それが原因で相手のことを蔑むようなことはしないし、したくない。


そんな僕が。
「好きかもしれない女子」を。

『気持ち悪い』って、感じてしまった。


訳がわからない感情に襲われ、
初めての感覚に心を潰されそうになった。

何だこれ…何だよこれ…

そんなことを誰かに相談できるはずもなく、ただただ僕はこの得体の知れない感覚を抱えながらいつものように学校へ行っていた。

普通の生活では沸き起こることのない、
”彼女”を前にするときだけ突発的に出てくる感情。

そんなことを思う自分にも
『キモチワルイ』と感じてしまうようになった。

好きなのに、近くに居たくない。
好きだから、近くに居たくない。
好きだから…好き…?
近くに居たくないのに、好き…?

スキって、なに……?


僕は逃げるように、彼女から距離を取った。

こっちでそんなことが起きてるなんて知る由もない彼女からは当然メールが届く日々。


「どうしたの?」「大丈夫?」「何があったの?」

言語化できない闇が、僕の心をどんどん支配し

「話聞くよ?」「連絡くらいしてよ」

自己嫌悪と不信感で満たされた頃


「…私たち…付き合ってるんだよね?」



自分の中で、何かが崩壊した。
そこからは、一切連絡を取っていない。


1週間後、告白者の居ない恋愛は幕を閉じた。

『親友』から『他人』に変わった日。

どうやら再び連絡を取り始めてから
3ヶ月目の記念日、だったらしい。


自分なりの「好き」を

人を好きになることに臆病になってしまった。
というか更にわからなくなってしまった。

ただでさえ恋愛をする気になれない人生だったわずかの感情すらも、完全に消え失せたような気がした。


でも、僕にも「この人となら一緒にいたい」と思えるような人に出会うことができた。韓国に留学中の、19歳の頃の出来事だった。


当時、非常に人気の高かった韓国留学。韓国の語学学校には非常に多くの日本人が在籍していたが、その中でも18歳で…つまり僕と同じように「高校卒業してすぐに」留学を決意した人間というのは数えるほどしかいなかった。

異国の地で同じ日本人の、しかも同い年。自然と一緒に集まることが多かった。

その中のひとりに彼女はいた。


彼女の第一印象はどちらかと言えば『お嬢様』という雰囲気だった。

柔らかい立ち振る舞い。
物静かな口調。
穏やかな感情表現。

優しい印象で素敵な印象ではあったが、僕が活発に仲良くなるタイプの人間ではなかったため、深く仲良くなることはなく『顔見知りのうちのひとり』くらいの認識でしかなかった。

あまり活発に外に出るタイプでも無かったため、僕が関わることもないだろうと、思っていた。…後になって、その理由も判明するのだけれど。


韓国留学も一年くらい経ったある日、編入やクラス替えの影響で仲の良かった同級生チームが少しバラバラになり始めてたころ。そのころは韓国語も支障なく話せるようになったので、韓国人や日本人以外の留学生たちと仲良くする時間が多かった。

とある日の授業終わり。1人で帰る準備をしながら、カフェに行って勉強でもしようかと考えていたところ、偶然彼女と鉢合わせになった。

相変わらず、おしとやかな印象は変わらない。

お互いに微妙な距離感を意識しているからか、少々ぎこちない笑みを浮かべながらも、なんとなく誘ってみる。

「そういえばちゃんと話したこと無かったけど、ちょっとご飯でも行きません?」
『…いいですよ』

彼女は、物静かではあったが、会話が嫌いではない様子だ。

ちなみに今でこそ『コミュ力おばけ』と言われている僕だが、当時はまだあまり経験したことのないタイプの女友達に頑張って会話を引き出そうとしていたのを覚えている。

会話の内容もたわいもない話ばかりで受けている韓国語の授業がどうとか最近おいしい店があったとかどうとか。

「そういえば、あかりは何で韓国来たの?」
『……韓国のアイドルが好きだったからね』
「へー、どのアイドルが好き?」
『……んー、まぁ、色々?詳しくないけどね』

お互い相手に興味があるんだかないんだか、ぎこちない距離感を保ちながらどうやって会話を引き出そうとみっともなく齷齪してみる。

そんなことを思ってると、ちょうど通知の来た彼女のスマホが目に映った。


…目に飛び込んだスマホの壁紙。あれ?…

「あれ?その壁紙、りっちゃん?」
『…!??知ってるの!!??』(ドンッ)
「わっ!!!!」

びっくりした!ふっつうにびっくりしたよ!
今までの声より比較にならないほど大きな声だったんだ。

彼女のスマホに映っていたのは当時流行していたアニメ
『けいおん!』キャラクターの田井中律、通称”りっちゃん”だった。

そんな大きな声出せたんだね…!

『もしかして、好きなの!?』

…しまった。何がしまったって。


僕は別にそこまでこのアニメを知らなかった。

高校時代仲良かった友人がたまたまこのアニメの大ファンで『登場人物の中でどのキャラクターがかわいいか選手権』を、何となく横目で見ていただけでなんとなくキャラクター覚えてただけだったのに。

「ごめんね、実は知らないんだ」

でも、この言葉はどうしても言えなかった。あんなに物静かだった彼女が、たったひとりのキャラクターを話すだけでこんなにもテンションが上がるなんて。

その場はなんとか合わせることができたものの会話についていけなかったことに罪悪感を覚えた僕は、その日から空き時間の使い肩が『日本語家庭教師のための資料作り』から『ひとり”けいおん鑑賞会”』に変わったのは言うまでもない。


そこから毎日会うようになるまでたいした時間はかからなかった。

いつものカフェに行ってアニメの話をしながら時々テスト前にはお互い真面目に勉強をして、ちょっとたまには遠出をして2人でアニソンカラオケ会をしたり、僕の家に誘ってアニメ鑑賞会をしてたりした。


いい意味で、お互い異性として意識をしていなかったんだと思う。変に気を遣うこともないけど、同性とは感じることがあまり無い絶妙な距離感。

少しずつ、でも、確実に、僕の人生が彼女に染められていく気がしたのが分かった。

そして、それを「心地いい」と思ってる自分も。

ちなみにお察しのかたもいるかもしれないが僕は見事な『アニオタ』へと変貌を遂げた。

彼女の教育が見事だった。ヒドイときは”進撃の巨人のリヴァイ兵長の愛おしさ”というテーマで5時間もLINEをしていたこともあった。…当時の僕、お疲れ様。


彼女と一緒にいることで得られたのは「好き」や「楽しい」というより圧倒的な自己肯定感だ。

しょうもない雑談やダラダラとアニメを見る時間すらも愛おしかったし、真面目に勉強をするのも最高だった。

彼女と共有する時間が自分にとって全てプラスに働いているように思えた

この関係がすごく、心地いい。楽しい。



じゃあ…付き合う?ツキアウ?

付き合いたい…のだろうか。
「付き合う」をしてどうするのだろうか。
何が変わり、何が変わらないのだろうか。

高校時代の二の舞になってしまうのではないだろうか。


ただ、不思議と嫌な感じはしなかった。
彼女が特別だったからなのか、もしくは。


…それはそれで、いい。
そう思えるくらい、僕らは『曖昧』で『一緒』だった。



そんな『曖昧』が続いたある日。

先に留学の予定が終わる彼女は日本への帰国を1週間後に控えていた。

いつものように彼女が自宅に遊びに来て2人で何となく料理を始める。横では、アニメ鑑賞会の準備が始まった。

作れる料理のレパートリーが少ないおかげで徐々にカレーのクオリティも上がってきて、お互い「今日はこれ足してみよっか」なんて笑いあって。


「もしかしたら最後かもしれないね」は
お互い言いっこなしで。


傲慢かもしれないけど多分、相手も僕の事は好きだったんだと思う。けどそれはきっと『性別を超えた何か』なのだと、今でこそ分かる。


「好き」でもなく、「尊敬」でもない。
「一緒にいたい」も、ちょっと違う。

僕にとってこの言語化できない「何か」が
世間一般での「恋」なんだと思う。



彼女の日本帰国の日。

荷造りの手伝いをしながらお互いうまく会話できず、
深い話をすることもなく淡々と済ませていく。

何となく、距離感を探りながら、だったんだと思う。

お互いにどうしたいのかどうするべきなのかうまく掴めないまま

それでも手を止めてしまうと何か余計な感情が湧き出てしまいそうで。

…余計?


やっぱり僕にとって「恋愛感情」は余計なものなの?

結局本質は、高校の時と変わってないの?それとも、こういう考えが「余計」なんだろうか。


荷物を詰めてから、駅に見送る道中では僕は何を話してたんだろう。何を、考えていたんだろう。

ガラガラと劈くキャリーケースの音だけがやけに脳裏にこびりついてる。


『それじゃあ、ありがとうね。見送ってくれて』

目の前には、もう目的地の駅まで着いてしまっていた。そうか、この時間ももう終わりなんだね。

自己嫌悪には陥りまくったけど、結局最後まで君の存在を「キモチワルイ」とは思わなかった。

数ヶ月だけだったけど、一緒にいられて本当によかった。僕の方こそ、たくさん元気をもらえてたんだよ。ありがとう。

最後くらい、ちゃんと感謝の気持ちを伝えなきゃね。


「あかり、大好きだったよ。」


脳とは違う言葉が、口から出てしまっていた。

言葉にしなくていい言葉を、発してしまった。


恐る恐る、彼女の反応を伺う。

困ったように笑いながら、彼女の聞いた声の中で一番か細い音が聞こえた。

『今更、遅いよ…ふふっ。でも、ありがと。

…私も、大好きだったよ。』


こうして終えた、僕の「曖昧な恋愛」は最後に無言で唇を交わして、幕を閉じた。


度々聞かれる『性欲』の話

湧かないわけじゃない。
経験が無いわけでもない。
…けどいい思い出も、別にない。


この手の話をすると、もっとも尋ねられる質問として

『性欲はどうしてるの?』

と聞かれることが多い。別に隠すようなことでもないのだけれど。

まず、大前提として「一般的な男より圧倒的に性欲が弱い」。飲み会でワンチャン、なんて考えたこともない。そんな風に、すぐ行動に移せる同性が本当に羨ましいとすら思う。憧れはしないけど。

そして、もうすっごい偏見だけど「若い時の恋愛って大部分が性欲の発散を求めてない?」って思う。真っ当に恋愛をしている人たち、主語が大きくて申し訳ない。


とある日のこと、たまたま僕の自宅近くで飲んでたこともあり、「続きは宅飲みしよう!」と盛り上がったことがある。

商業柄、お酒を飲む機会は多いし飲むこと自体も大好きだ。1人で飲むことはほとんどないが、友達とゆっくり話しながらお酒を飲む時間は、僕の人生の中でも幸福度の高い時間と言える。

その中でも宅飲みは特に大好きだ。周りや時間を気にせず飲むことができるし、何より疲れたらすぐ寝ることもできる。外で飲むよりも安上がりだし、いいこと尽くし。え、宅飲み最高じゃん。


この日もそのノリで飲み始めた。お互いにお酒は強かったから結局宅飲みでもワイン2本分以上は飲んだ気がする。

流石にもう限界となった丑三つ時。部屋にひとつしかないベッド。「僕はソファで寝るからいいよ」と言う前に言われた言葉がこれだ。

『一緒に寝てもいいよ?』

…多くの男なら、ここで色々考えてしまう状況なのかもしれない。いや、もう考えてしまうまでもないのかもしれない。『そこまで許容するんなら、もうそれはOKってことでしょうが!!』後日談として語った際に、多くの友人に指摘…注意?された。


ぐっすり寝てしまった。するつもりもそもそもこっちにそんな感情はなかったから。それは向こうだって同じだろう。そもそも僕のことを知ってる人間が、僕にそんなことを求めてるとは到底思えない。

徐々に眠りに落ちそうな10分後、相手に背を向けるようにして寝ていた僕に浴びせられたのは、重いグーパンと力強い一言だった。

『…襲えよっっっ!!』


…いや、知らねえよっっ!!なんだよ『襲えよ』って!

「据え膳食わぬは男の恥」だとか
「受け入れてる女性は相手するのがマナー」だとか
「女性に恥をかかせることになる」だとか
色々言われてきたが

目の前で、しかも『据え膳』に言われるとは思わなかった。


『性欲』が全く湧かないわけじゃない。恋愛対象は女性だし、皆無の人に比べたら、そりゃいくらかあると思う。

「自分からやりたくない」と思わせてしまってるのは、過去僕の数少ない経験のほとんどが”襲われた”から。いい思い出が、別にそんなにないんだ。


今ではだいぶ、それも解消されていると思う。かといって襲うことは絶対に無いけれども。 


「女性じゃなくて、あなたが好きなんだ」

この記事を書くにあたって、改めて自分の恋愛感情を客観的に捉えてみた。

『もしこの感情が”アセクシャル”だとしたら、
もう僕は恋愛を頑張ろうとすることを諦める。

でも、そうではないのだとしたら、
一回この感情にケリをつけたい』

 という一種の意思表明も兼ねてのことだ。


僕は、自分が同性愛者では無いとは思うが『好きになる相手が男性になることはない』とも限らない。

それくらい僕にとっては性別って曖昧な座標に過ぎない。


性別がどうのこうの言う前に対個人として接したい。自分が心惹かれ、共に過ごしたいと思える人に出会う。その中で、お互いに恋愛感情に似た何かがあれば特別な関係になってもいいのではないか。たとえそれが男性だろうと女性だろうと。


散々恋愛に関してあーだこーだ言ってきたが、結婚願望はある。
むしろ恋愛をすっ飛ばして結婚したいとすら思う。


偶然見かけた以下の動画を視聴したのだが、まさに理想の夫婦像だった。

「夫婦というチームを組むまで -女性起業家ってどんな印象?-」

この動画内で語られた『チーム』と称される恋愛観。

ときめきや感情の躁鬱なんていらない。
というか、あまり感じることができない。

ただ、それでも『この人と一緒なら頑張れる』だとか、『力になってあげたい』だとか、そういう感情を共有できる人がいたら幸せなんだと思う。




現状として、僕が日本から離れ長期的にフランスに滞在することが決定している。

この時点で、『近くにいて寄り添いながら支えてあげるカップル、夫婦』は無理だということになる。


仮に日本で恋人ができたとして、自分が遠距離ができるかどうかなんて全然わかんない。

未来志向が強すぎて、何か行動をする前になんとなくだけど色々未来が見えてしまう。


過去の感情が精算されたわけじゃない。
自分が恋愛をしたいと思えているわけでもない。

ただ、それでも。


『恋愛』ってきっと素晴らしい。


この文章は
「未来の自分が”今”と”過去”の自分に向けた手紙」
のようなものだろうか。

曖昧な感情が渦巻く今の僕を
未来の僕は「そんなこともあったな」って
笑い飛ばしてくれるかな。

その隣には、素敵なパートナーが
ゲラゲラ笑いながら呼んでくれるかな。


拝啓。。。『恋愛の出来ない僕たちへ』

文章苦手ながら頑張りました!