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それを青春と呼ぶのならば。

僕の高校時代の部活は、軟式野球部だった。野球部に入りたかったが、硬式野球部はガチだったので、ゆるい軟式にした。僕の高校時代は、90年代ど真ん中。オウムと阪神大震災があった暗い時代だった。いつも日の当たる道を避けて通る人生を歩んできた僕にはうってつけの部だった。

軟式野球部なので、どれだけがんばっても、甲子園には行けない。軟式野球部の全国大会は、同じ兵庫県の明石球場で開催される。しかも決勝しか全国放映されない。

僕が所属する軟式野球部は部員が9人しかいなかった。ひとりでも欠けると試合ができないので、誰も辞められない。僕は、実は、途中で落語研究会に浮気していたのだが、キャプテンが、菓子折りを持って僕のところまで来て、出場してくれないと困ると言った。そして僕は、軟式野球部に戻った。

また、僕らの部は、練習試合の人気が凄かった。要は噛ませ犬として大活躍していたのだった。9人しかいないので、弱小だった。バットをまともに振れないやつもいた。彼はなぜ野球部に入ったのだろう。そんな疑問も9人揃えるという大義の前では打ち消された。

3年生のキャプテンに凄く熱い人がいて、「たらやん」と呼ばれていたので、ここではたらやんと呼ぶことにする。たらやんは、試合が終わると絶対に僕らを集めて反省会をする。そして、絶対、泣く。僕は、当時、しらけていたので、その熱さを受け止めることができず、スカしていた。

たらやんの守備はファーストで、試合で何度も平凡なファーストフライを落とし、グラウンドの端にある、鉄棒で屈伸しながら、クビを横にかしげて、今日は調子が悪い的なアティテュードを僕らにアピールしていたことがあったが、あれだけ練習して、反省会では、熱く語り、泣き、その上で、あの平凡なファーストフライを落とすとなると、もう才能がないというのは明らかなのだが、才能がなくてもやることの意義みたいなものが、どれだけスカした僕でも、感じ取れるものがあって、当時の僕はその気持ちの持って行き場がなく、モヤモヤしていた。そして最後の大会の予選が始まった。

僕が高校3年生のとき、予選の一回戦でPL学園に当たり、ボコボコにされて終わった。PL学園は、軟式野球部でも強豪校だったのだ。僕は、予選で負けた日に、とっととユニホームを脱ぎ捨てて、それ以来、野球からは距離を置くことに決めた。

あの日々はなんだったのだろう。特に熱中することもなく、ダラダラ続けていただけなのだが、妙に心に残っている。僕のなかに澱のようにたまり続けている思い出の数々。それを青春と呼ぶのならば。


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