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義仲の退場と義経のデビュー

 『鎌倉殿の13人』16話「伝説の幕開け」は、前編は義仲の最期を、後編は一ノ谷の合戦とくっきり分けたので、比較的観やすかった。今話で義仲が退場してしまうので、青木崇高版の義仲像を論じてみた。比較対象は、15話で前述したように1986年NHK大型時代劇『武蔵坊弁慶』で義仲を演じた若き日の佐藤浩市である。
 まず青木版の義仲は、いわゆる粗野な義仲と違い知性と思慮と礼節に溢れた武人として描かれている言われているが、史実でも頼朝から離れ頼ってきた行家を差し出さず、義高を人質に出すぐらい義を重んじる情の人だということは間違いないので、斬新と言われるほどではないと思う。青木版と佐藤版の一番の違いは、京の町での木曽勢の乱暴狼藉への対応である。青木版の義仲は、取り締まりに手を焼いていたが、実際に兵の狼藉に遭遇し、兵を追い払い、「俺の手勢ではない。我らは攻め上るうちに膨れ上がった寄せ集め」と言いつつ、「怖い思いをさせた。今後はもっと引き締めてかかるつもりだ。許せ」と偶然遭遇した三善康信(小林隆)に非礼を詫びている。
 ところが佐藤浩市版の義仲は兵の狼藉には完全に開き直っている。遭遇した後白河の異母妹八条女院に「兵たちの狼藉をいつまで見過ごすのか?」と問われると、「兵たちも人の子、食わねば生きてゆけません」と楯突くのだ。さらに「飢饉は都だけではござらん。我が兵たちも草の根をかじり泥水を啜って都まで攻め登ってまいりました。御身様方やんごとなき飢えを知らずにぬくぬくと肥え太っておられるは方々ではござらぬか。それがし嘘や追従は大嫌いでござる。お気に障ったらお許しを」と清々しいまでのアナーキーさを見せるのだ。この義仲は、最期まで「俺はやはり木曽の山猿ぜ。山猿はこのまま山猿でいきたい」とやんちゃさ全開を崩さない。巴御前役はあの大地真央、神々しいまでの美しさで、駄々っ子な義仲を甘やかす母のような役柄は見てて恥ずかしいところもあるが、それでもこれ以上ない義仲と巴の永久保存版といってもいいだろう。
 それに比べると青木版は気味が悪いほどの大人で、義を重んじる情の人だということだけで十分なのに、ここまで紳士的に描かれなくてもと個人的には思う。今春放送されたアニメ『平家物語』の山賊のような義仲も懐かしいし、青木崇高の代表作の一つであるNHKの『ちかえもん』の万吉にもっと寄せてくれたらいいのになどとつい贅沢な気分にもなる。まあ義を重んじる情の人ということは義仲は元々源氏らしくない人だったのかもしれない。義仲の父、義賢は頼朝の兄義平に殺されているので、最初から頼朝は義仲の仇なのだが、『鎌倉殿の13人』では、その話は一言も触れていない、それどころか『鎌倉殿を敵と思うな」とまで義高への手紙で言い残している。にわかには信じがたいが、源氏らしからぬ義仲の特徴を本作では言い表した結果なのかもしれない。本作ではむしろ義高の方が源氏らしい。源氏らしからぬところが俳人や文豪に愛されていたのだろう。
 倶利伽羅落としの火牛の計は、義経の鵯越の逆落としに勝とも劣らない義仲のゲリラ戦の強さの特徴だが、予想通り紀行の方に回された。やはり実写の火牛の計は難しい。たとえCGにしても動物愛護団体の存在を考えると地上波ではオンエア出来ないのだろう。「逆落とし」もある程度省略されていたので同じことかもしれないが。
 「我こそは源義仲一の家人、巴なり!」、この名乗りは『源平盛衰記』では兄(弟?)ということになっている今井四郎兼平の「我こそは木曽殿の乳母子」への返しということか。秋元才加版の巴も強く美しい。大地真央を超えるのは難しいが、2005年『義経』の小池栄子版の巴を経て、天冠なしでのワイルドさでは勝っている。和田義盛(横田栄司)との関連も、『平家物語』でなく『源平盛衰記』を採用したのだろう。活躍の余地が残っているのは嬉しい。『鎌倉殿の13人』もアニメの『平家物語』も、結局四郎兼平の例の名乗りと壮絶な最期は省略されたのも寂しいことだが。
 ちなみに義仲の比較対象作品を『武蔵坊弁慶』にしたのは『草燃える』では義仲の登場がほとんどないからだ。もちろん巴の存在もなく、上洛と最期だけで一言も発することもなく終わってしまう。その分義高には力を入れていたことは分かるが、いくら何でもそれはないだろうと今でも思う。

木曾義仲(佐藤浩市)と巴御前(大地真央)by 1986年NHK大型時代劇『武蔵坊弁慶』

「何故 あの男にだけ思いつくことができるのか…」
逆に「何故 誰も景時がサリエリだったことを思いつかなかったのか」と他の作家が悔やむほど、皆が膝を打ってトレンドと化した。
 どうしても思い出すのは映画『ピンポン』(2002年実写)で眉毛のないドラゴンを演じていた中村獅童だ。『ピンポン』だけでなく、言われれば誰でも思いつくのか、周瑜とか姫川亜弓とかSNSで検索すると出るわ出るわで面白い。天才vs秀才は永遠の普遍的なテーマなのか。多くの人に秀才に自分を重ねさせるのもずるいとは思うが上手いやり方だ。秀才は凡人じゃないのに。
 どれほど激しい嫉妬と羨望が湧き上がっていたとしても、「九郎殿が正しゅうござる」、「八幡大菩薩の化身だ」(2度)と肯定する景時は今後どのように肯定が否定になるか楽しみではある。 
 

 『鎌倉殿の13人』における「一ノ谷」の作戦で、で、本作で「天才」が思いついた作戦の内容についてだが、これまでも「逆落とし」の奇襲においては鵯越でなく鉢伏山説を押す意見は結構多いので、この点は意外にオーソドックスとも言えるのだが、「馬を先に下ろす」説は、斬新に思えた。ただ筆者の理解力が追いついていかず、結局「逆落とし」は省略するしかないので、本当に下馬して降りたかどうか分からずじまいで不安が残ってしまった。個人的に一番腑に落ちたのは、義経(菅田将暉)が平家をはめるために、和議を命じる文を後白河(西田敏行)に送ってもらうことを依頼する作戦だ。聞いたこともないなと思ったし、確認しきれたわけではないが、やっぱり『吾妻鏡』2月20日条で「合戦してはならないという院宣を守り使者の下向を待っていたが、7日に源氏の不意打ちがあった」という内容があったらしい。つまり敗戦後に宗盛が後白河に向けて送った抗議文である。宗盛の主観なので事実かどうか分からないが信憑性はあると思う。『鎌倉殿の13人』では、実は義経がその「偽りの和議」の黒幕だったということにしたわけだが、義経にそんなことを頼める権限があるのだろうかと疑問も湧く。ただこの作品では義経と後白河は、”義などくだらない”という同じ主張でウマが合う設定なので、その点は抜かりがないなとつくづく思う。

 『草燃える』での一ノ谷は、鵯越のことは変えていない。『鎌倉殿の13人』と違うのは畠山重忠(森次晃嗣)の出番がないことだ。『鎌倉殿の13人』での重忠(中川大志)は実際に馬を背負ったわけではないが、「馬を背負ってでも下りてみせます。末代までの語り草になりそうです」の台詞は残してもらった。この逸話の元ネタは『吾妻鏡』ではなく『源平盛衰記』らしいが。

 『草燃える』における鵯越の逆落しで義経(国広富之)に続いて行ったのは弁慶と思われる人物と、架空の盗賊団の面々である。また重忠の代わりに和田義盛(伊吹吾郎)が中途まで参戦していたが、逆落としには反対していた。景時(江原真二郎)といえば一ノ谷での参戦はないが、盗賊団が参加していることを義経に抗議するといった、まるで風紀委員みたいな気の毒な役目まで負わされていたが、今後の出番は嫌というほどあるので、乞うご期待である。小四郎(松平健)は元々参戦していない。

  尚、『草燃える』では以下のナレーションで終わらせている。
「平家の総大将宗盛は退却、平家一族で討ち死にしたのは道盛、忠度、知章、敦盛、経盛ら十名。重衛は捕虜に。奇跡的な大勝利だった」
 そして『鎌倉殿の13人』では上記の十名も重衡がどうなったかのナレもない。よって熊谷直実についてのナレもない。

 義仲討伐における御家人の戦勝報告について比較すると、『草燃える』の方は、ほぼ『吾妻鏡』を踏襲している。鎌倉に義経、範頼、一条忠頼からの戦勝の知らせが届くが、報告の内容は勝ったということだけで、いつどこで誰が義仲を討ったのかが分からずじまい、頼朝(石坂浩二)は怒りまくるが、景時のパーフェクトな報告書が届くとすぐに機嫌を直し、その夜、頼朝は鎌倉の主だった御家人たちを集結させ(本当にそこまで集結させていたかは不明)、報告書を藤九郎(武田鉄矢)に読み上げさせ戦勝報告を聞かせるのだ。

 「粟津の浜出でたる時、今井兼平との主従わずか二騎。兼平、やにわに我が軍に馬首を向けて斬り死に。木曽殿はこの隙に自害せんとて葦の中へ進め入りしが、三浦党の石田次郎為久がこれを射止め、その御首を上げ候。これぞこの度の合戦、一番の功名手柄にて候」

 さらに頼朝は見た目にも美しい報告書を開いて、景時がいかに腕も立ち筆も立つことを強調し、皆の手本だと誉めそやす。インテリではない御家人たちはしらけているが、唯一場を和ませたのは自分の名前すらろくに書けないと嘆く岡崎吉実(小栗一也)。
 戦勝報告での御家人たちのコメントが伏線にもなっていたが、は時政(金田龍之介)の台詞は「梶原殿はソツがなさすぎるというか...」で小四郎は無言だった。

 『鎌倉殿の13人』の方は、『草燃える』のように頼朝が御家人たちを一堂に会し訓示を垂れるわけでもなく、集結させているのは一部の側近や従者や幹部だけで、『吾妻鏡』にもそれほど踏襲していない。頼朝(大泉洋)も『草燃える』の頼朝ほど景時を絶賛しているわけでもなく(景時を絶賛しているのは広元である)、景時より前に届いた義経の書状を広げ、一面に浮く「義仲討伐」の文字の方を押している。三谷が速報性で劣る既存メディアに警鐘を鳴らしたいのかもしれない。無論、義経の書状も、イラスト入りの義盛や実平や小四郎(小栗旬)の書状は創作だが面白い。

補足
 他の『草燃える』との相違点
 
  『草燃える』では一ノ谷の合戦の総大将であるのに源範頼(迫田孝也)の出番はほとんどない。それに較べると『鎌倉殿の13人』の一ノ谷では多いというほどではないが出番は増えている。特に義仲パートを含めてフラグが結構ある。義経が木曽兵のと小競り合いをしたことも「鎌倉殿には私が命じたことにしておきなさい」と庇い、景時がいい顔をしなかったが、「私が叱られれば済むこと』とおさめている。一ノ谷でも景時の顔を立て義経の策を採用する。天才でも秀才でもないが、優秀な部下を上手に扱えるリーダーは皆にリスペクトされる。範頼はこれまで凡庸に描かれ過ぎていたのではないか?本当に凡庸だったらあのような形で粛清されることもないだろう。

  「だから戻ってきたのよ」
広常誅殺事件の直後に戻って来た時政(坂東彌十郎)の言葉だ。
  「誰かの落ち度があれば、その所領が自分のものになる。いつ誰に謀叛の疑いをかけられるか分かったもんじゃねえ」と。
 時政は覚醒したが、兆候はあった。一見ポンコツだが直感力が鋭い。
 「分かってねえなあ」小四郎が優秀でも所領のことに無頓着だと必ずこの口癖が出る。
 『草燃える』の時政は広常誅殺事件が起こる前だったが意外にも小四郎が迎えに来るまでは腰が重かったのだ。最初からポンコツではなく、政子の鎌倉入りの時は真っ先に臣下の例をとるほどアンテナが高かった。既に次期武家の棟梁の外祖父になる未来を描いていたのだ。これからはアンテナの高い龍之介版の時政に負けないくらいの初代執権の道を歩むのだろう。




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