日記スタート

特に書くこともないけれど、なるべく毎日なにかは書いてみよう。

読書猿さんの「独学大全」で紹介されていた「2ミニッツ・スターター」や「ポモドーロ・テクニック」を活かして、とにかく何か書き始めることを習慣化したい。あとは自然な流れに身を任せることにして・・。

おそらく、本や映画などのインプット情報の中から記憶に留めておきたいことや、それをもとに自分で考えたことのメモが中心になるかな。

そういうわけで、今日から読み始めた本から気になったフレーズ。

「つまるところ幸せとは、煩悩に気づく不快さと、それに支配される不快さのどちらを選ぶのかの問題だ」(ロバート・ライト『なぜ今、仏教なのかー瞑想・マインドフルネス・悟りの化学』)

これは、自分にとって、かれこれ20年以上に渡り引っ掛かり続けている問題である。つまり、どうやらバカな方が幸せだけどそうはなりたくない、世界や社会や人間についてできる限り理解をしたい、けど、それはきっと苦しい道を歩むことを自ら選ぶことだ、というもの。

同書の冒頭でも参照されているが、映画『マトリックス』でモーフィアスがネオに赤or青のカプセルを選ばせるシーンがある。AIに作られた虚構の世界で気持ち良く生きるか、真実を理解して真の自由を求めるか、という選択。そこまで深刻なものではないにせよ、僕らの生活というのは同じような構造になっている。と思う。

特に、アメリカでトランプ大統領が誕生したころから、加速度的にその傾向を強めているように感じる。利権にまみれた既存メディアや無秩序なSNSで拡散される虚実入り乱れた情報が氾濫し、余計な事を考えず見たいものだけ見ている方が幸せな社会。前述のフレーズに戻れば、多くの人が「煩悩に支配される不快さ」を感じなくなっているのではないか。むしろ、煩悩に従うことで「ありのままの自分」を感じ、不快どころかこれ以上ないほどの快とされ、目指すべき姿とすらされているように見える。欲望と価値観が混同されているようなイメージ。

自分自身ではそういうものに不快感や違和感を感じ、可能な範囲で距離を取りながら生きている。嫌な思いをしても損をしても、やっぱり自分の信じる正義のようなものを大切に生きていきたい。というか、生きていくしかないとずっと思っている。

やっぱり書き始めるとすぐに発散してしまう・・。この問題には、行き過ぎた資本主義やアカデミズムを軽んじる風潮など、様々な問題があると思うので、引き続き勉強して理解を深めたいと思う。その分、世の中に対するイライラが増してしまう気もするけれど・・・。



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