友達って・・?
昨日は久ぶりに飲みに行った。美味しいお刺身と日本酒。最高に良かった。やっぱり大事だね、こういうの。
一緒だったのは会社の後輩。同僚であり元部下でもあり、同世代の友人とも言えそうな、僕にとっては貴重な存在。
そんな彼は何やら忙しそうで到着が遅れ、その間はひとりでちびちび飲みながら本を読んでたんだけど、途中から隣席の会話につい意識をもっていかれてしまった。
※ちなみに読んでいた本は、茂木健一郎『クオリアと人工意識』。読み始めたばかりだけど、めちゃくちゃ面白い予感。これはこれでまた何かを書きたくなる気がする。
そう、隣の席から聞こえてきて妙に気になってしまった会話はこんな感じ。
女の子:「仲良しの子とルームシェアしようと思っててー」
男の子①:「友達とルームシェアするのは絶対やめたほうがいい!隣の部屋ですら無理!」
男の子②:「うん。それはダメだね。そんなことしたらせっかくの友達をなくしちゃう。色々見えちゃうからね」
ん?仲良しの友だちってそんなもんなの?
色々と見せ合えたり助け合えたりできるから友達なわけじゃないの??
僕は残念なことに友達がほとんどいないのでよく分からないけど、、、勝手な思い込みかもしれないけど・・・。
うーん、そっかー。なんだかすごく残念なお知らせだなーと思ってしまった。
でもそこで自分の中のデジャヴー感に気づいて、あれこれ思いを巡らせて思い出した。最近の若い子(といっても30歳とか)の話を聞いていると、親友・友達・知り合い、の言葉の使い方がどうも僕らの世代とは違うように感じる。一つずつずれている感じ。みんな何人も親友がいるし、友達なんて軽く100人はいる、みたいなイメージ。
上の会話で言えば、女の子が一緒に住もうとしている仲良しの子が本当の意味で親友だったらうまくいくのかもしれないし、男の子たちの頭の中では、そんな濃くてウェットな友人関係は想定されていないのかもしれない。男女差もあるのかもしれない。
そういえば、今時の若者は嫌われたくないから本音を言わない、みたいな文章を読んだこともある。それが匿名性を持ったSNS文化の台頭にも繋がっているんだろうし。考えると色々と思い出して繋がっていくな。
そして、なんにせよ女の子は「えー、楽しいと思ったのになー、じゃあやめとこうかなー」と言っていた。とくに意味のない軽い会話だから、行動に影響は及ぼさないのかもしれないけど・・。
やっぱり言葉とそれが表す概念のようなものを正しく感じとるのは難しい。共通の前提となる知識や感覚がないと、表面的な言葉だけでは大切な情報が欠落してしたり、誤って伝わってしまう。だからこそ、時代とともに分かりやすさが重視されているんだろうけど。
※「分かりやすさ至上主義的な社会」に対する(主としてマイナスの)様々な感情も日々あって、これもまた改めて整理したい。
もしかして、僕にいないのは友達じゃなくて親友なのかな。どこかで、別にいなくなってもいいや、くらいに思っている知り合いを友達だと思えばそれなりにいる気もする。精神衛生上は、若者の言葉づかいを真似する方が日々健やかに過ごせるのかもしれないな。
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