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プロフィールが書けない

プロフィールが書けない。

SNSとかブログとかがいつの間にか当たり前になった世の中になかなかなじめない。重い腰を上げて何かを始めようとすると、すぐに、プロフィールを書きましょう!みたいなのが出てくる。

なんでみんなキラキラといろんなことを書けるんだろう・・・

noteは酔った勢いでさらっと初めてみたわけだけど(これは珍しく成功体験!)、あらためてプロフィールをちゃんと書いてみよう、とか考えるとあっという間に暗い気持ちになる。

自分は何者なのか・・・、とかめんどくさい方向にしかいかない。

これまで、とりあえず身近な社会や組織に属して、周りから求められる役割に徹底して成りすますことで生きてきた人間にとっては、この壮大ともいえる自由空間はどうしていいか分からない。途方にくれちゃう。

でも、ずーっと何かに成りすますことをやり続けた結果、気が付いたら自分を見失っていたこともたぶん事実。

だからこそ、このほとんど制約のない社会の中で自分と対話すること、あるいは自分の思考や言動を観察すること、から意味を見出せるんじゃないかと期待して初めてみたわけだ。

そう、だから、慌てる必要はないのよね。つい「ダメだ」と思いがちだけど。プロフィールなんててきとーでいい。なくてもいい。だれに見せたいわけでもなく、自分の頭と心を整理したいだけだから。なにかをちゃんと書きたくなったら書くことにしよう。

もしかしたら、満足のいくプロフィールを書けるまでの道のりが自分に対する癒しのプロセスなのかもしれない。

今日は週末なのにめずらしく仕事もしたし、また瞑想(かたちだけ)して、ゆったりした気分で寝よう。

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