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【あなたに贈る詩】心に余白が生まれる詩

SNSで「どんな詩が読みたいですか?」と呼びかけたところ、リクエストをたくさんいただいたので少しずつお答えします!

▼これまでのリクエストはこちらから

今回のリクエストは「読んだ後に、何となく心に余裕や余白が生まれる感覚の詩」。「余白」をモットーに新規事業やWEBマーケのコンサルティング、そしてクラフトビールの事業も行う江藤彰洋さんからのリクエストです。

江藤さんはご近所さんでもあります。福津市は、海が美しいエリア。

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江藤さんも移住組なので感じていると思いますが、海が美しいだけじゃなく、空が広いんですよね。新宿のビル群のなかで仕事していた私としては、移り住んできて「空、広い!!」とびっくりしました。
仕事の忙しさ自体は変わらなくても、海がきれいで、空が広いだけで、なんて心がゆっくりするんでしょうね。

この空と海の広がるまちで「余白」を大事にしている江藤さんに、この詩を。

「雲」

おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平(いわきだいら)の方までゆくんか

明治の詩人・山村暮鳥(やまむら・ぼちょう)の「雲」という詩です。

暮鳥は家庭に恵まれず陰鬱とした幼年期をすごし、10代前半で家を出て放浪、ものを盗むこともあったそう。17歳ごろには小学校の臨時雇として働きはじめ、キリスト教に出会い伝道師となります。この頃から詩を書いていました。激しさをともなうピュアな性格だったみたいで、毎日往復7里(約28キロ)かけて教会の夜学英語学校に通ったり、教会の長老と大喧嘩したりしていました。

若い頃は超とがってて、前衛的で技巧に走った詩を書いていた暮鳥が晩年(といっても40手前くらいです)に書いたのがこの作品。

なんだか、悠々とした詩ですよね。「奇をてらう」「前衛」といったイキった感じではなく、肩の力がストンとぬけています。
NARUTOのシカマル的な俯瞰。

この詩がおさめられた詩集『雲』の前書きには、

『詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる。だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない。』

とあります。

純度と技巧を危険なレベルまで上げて上げて上げきると、幼子のように無垢な領域に達するのかしら、と思います。下手に書くほうが、ずっとずっとむずかしいことではないでしょうか。

この詩の前にはおなじく「雲」という題でこんな詩も。

丘の上で
としよりと
こどもと
うっとりと雲を
ながめている

この頃、結核で余命が短いことをわかっていたはずの暮鳥(この『雲』刊行後、41歳で亡くなっています)。でもこうしてのんびりとした、からりとした詩を書いているのが素敵。

読んだ後に、なんとなく、心にぽか〜んと雲が漂うような余白を感じられる詩です。

では、また。クラフトビール飲んでのんびりお話しましょうね。


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