見出し画像

【読書感想文】鼻 芥川龍之介 ~時代に先駆けたショートショート~

夏目漱石にその才能を大絶賛された作品。

①あらすじ

禅智内供というお坊さん。
顎の下まで下っている程の長い鼻を持っている。
50歳も越えているので、このコンプレックスの鼻とのつきあいも長い。
ある日。弟子が鼻を短くする方法を聞いてきた。
その鼻を茹でたり踏んだりすると短くなるという。
早速、試すと、あら不思議。鼻は短くなった。
ところが、その短い鼻がかえって人々に笑われる。
どうしてだ?という心の葛藤。
ある日、突然、鼻はもとの長さに戻る。
こうなれば、もう誰も哂わらうものはないにちがいない。

というお話。

②感想文

時代を先駆けたシュールなショートショートですね。

僕なら長い鼻を短くなったと同時に何故か唇が鎖骨まで伸びた。
みたいなギャグショートショートにしちゃう。
でも、それでは起承転結の「転」は面白いけど「結」が見いだせない。

芥川のすごいところは。長い鼻を、短くして、また長くしちゃう。
そこに人の心の機微が生れて
そこに文学を生む。

この「鼻」の最大のポイントは以下の文章だと思う。
内供は、せっかく短くなった鼻を、池の尾の僧俗はまだ笑う。
その理由をこう分析している。

人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。
勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。
が、その人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。
少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥しいれて見たいような気にさえなる。
そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。
内供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、
池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない。

これは実に鋭いところを付いている。
これは現代の私達にも同じ感情があて。
傍観者的立場から誰かの不幸を笑う。
誰かの失敗話や誰かの不倫話や。
そのどうでもいい人を、傍観者という立場で笑いたいという利己主義。
みんなで誰かを笑う事で安心する集団利己主義
それはいつの時代も同じくある。

そして内供の鼻はまた長くなる。
長くなった鼻で
「こうなれば、もう誰も哂わらうものはないにちがいない。」
と内供は晴れ晴れとした気持ちになる。
が、内供だってバカじゃない。
鼻がまた長くなったら長くなったで、また笑われる事は、きっと知っている。
それでも「こうなれば、もう誰も哂わらうものはないにちがいない。」いう。

「こうなれば、もう誰も哂わらうものはないにちがいない。」という言葉は
「こうなれば、もう笑われる事に恐れる私はいない。」という思いであろう。

「傍観者の利己主義」に打ち勝つには、その失敗や弱点を受け入れて、自分で笑ってしまうほどの「己の利己主義」が必要なのだ。


③だからアンジャッシュ渡部よ

ユーチューブで大物女優と結婚して浮気をしちゃった芸人。陣内が、同じく、なんだかんだのアンジャッシュ渡部に訴えていた。

「渡部よ逃げるな」と
「ちゃんと会見を開け」と
「そしたらみんなで助けてやる」と
「そしてらそれも笑い話になる」と

つまりは
「傍観者の利己主義」に打ち勝つには、その失敗や弱点を受け入れて、自分で笑ってしまうほどの「己の利己主義」が必要なのだ。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?