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恒久世界平和のための新たな国際秩序構築を 在日宇宙人 萩原孝一さん

健全な国際秩序を目指し、新たな国際連合機関を日本人の手で作りたいという、元国連職員で在日宇宙人の萩原孝一さんにお話を伺いました。

萩原孝一さんプロフィール
出身地 東京都中目黒
活動地域 地球
経歴 アフリカ協会特別研究員。桜美林大学非常勤講師。NLP(神経言語プログラミング)プラクティショナー。カリフォルニア州立大学院、ジョージタウン大学院で、人文地理学、社会人口学修士課程修了。ケニアの地方都市でJICA(国際協力機構)の中小企業育成の専門家として勤務。1985年に国際連合工業開発機構(UNIDO)に工業開発官として着任。主な担当地域は東アフリカ。あるとき、不思議な体験を通して、スピリチュアルに目覚める。現在、在日宇宙人として活動中。
著書 『スピリチュアル系国連職員、吼える! ざまあみやがれ、今日も生きている』(たま出版)、『人類史上初、宇宙平和への野望』(廣済堂出版)
座右の銘 死ぬこと以外はかすり傷

恒久世界平和を日本から

記者 夢、ビジョンについて教えてください。
萩原孝一さん(以下、萩原、敬称略)私は、国際連合の職員として27年間働いたこともあり世界情勢には敏感です。今冷静に世界情勢を俯瞰してみると、第3次世界大戦前夜と言ってもおかしくない程に危険なところに来ています。ですが、日本を主体とした前例に基づかない平和の構築はできると思っているんですね。

なぜ日本が、この時代、平和構築という意味で世界のリーダーになりえるかというと、戦後の70年間どの国とも戦火を交えなかったという「実績」があるからです。

どの国とも戦わないというのは、たいしたノウハウだと思うんですね。日本の在り方って、黒白をつけない、どっちでも良いという優れた立ち位置を持てる国なんです。
かつてのアメリカのように、悪の枢軸をどこどこと決めて、というのは日本は困るんですね。ゼロ回答。この素晴らしさに今世界が気づき始めている。これはありだと。それが実は世界が日本に期待しているところだと思うんです。

喧嘩の仲裁は日本が一番得意とするところ。その延長線上で、国際間で行われている、内戦、喧嘩の仲裁をする新たな国際秩序、国際機関を日本主導でつくってみたらどうかと思うんです。

在日宇宙人という感覚

記者 夢を具現化するための目標計画、未来計画について教えてください。
萩原 夢物語ではなく現実的に考えて、国連に新たな独立機関を作れたらと思っています。仮称で、国際連合精神世界機構-UNSO- (United Nations Spiritual Organization) と言っていますが、それが国連の新たな独立機関となれたらと考えています。

なぜこの名称かというと、今の世界人口77億人の最大公約数は何かといった時に、必ず誰もが持っているのは心の世界ですよね。心を開いて話をすることが可能であれば、アラブ人とユダヤ人など、腹を割って話をすることが可能だと思うんです。これが宗教観、国が絡むとやたら面倒臭くなる。個人と個人ハートを持っている。そういう意味でspiritual organization。それができたら、次は、国際連合お祭り機構-UFO-(United Nations festival Organization)です。

お祭りをしている時は、みんないい人になるんですね。日本は、毎日数多のお祭りがあります。

自分が何国人だ、と言っている間は、恒久世界平和はないと思うんですね。この瞬間、日本列島という小さな島々で生きている1億2千万人強の人間は、その肌の色、属している国に関係なく、信仰、男女関係なく、おしなべて在日宇宙人でいいじゃないか、と思うんです。在日宇宙人が世界を救う、と。

これからの日本人は、日本人という発想をこえて、地球人、もしかするとそれを超えて宇宙人という発想。日本に住んでいるから在日宇宙人。在日宇宙人感覚の人たちが原動力なんです。本当は在アースとか在地球宇宙人と称されるべきですが、まずは日本から始めてみようではないかということです。

日本人の利他の精神を世界へ

記者 日々の活動について教えてください。
萩原 在日宇宙人というところで何かできるんじゃないかと、去年の7月に第1回のプログラムを開催したところ、60人の満員御礼だったんです。奇人変人集まれと、宇宙平和について語ろうという切り口だったので、意図していない方向にいくかなとドキドキしながら始めました。

ところが、終盤になると様子が変わるんです。その場で話をした全員が、異口同音に家庭、地球、宇宙の平和は愛と感謝と調和でしか実現しない、と。そのとき、この会は続けられると思ったんです。
その後継続的に開催していて、来年10月には、オーストラリアのゴールドコーストでのプログラムを予定しています。

大学で教えていて思うのですが、今の若者たちは何がたいしたものかって、身体の中に戦うという因子がないんですよ。
一方で、定年退職した人たちの知恵、経験財力というのは、世界の宝なんです。私は、もともと人口学者なのですが、このような摩訶不思議な人口を抱えているのは日本だけです。彼らが合体したら、世界最大最強の平和構築部隊が出来上がります。

彼らに充満しているのは利他の精神です。それを世界の平和のために、発揮することだと思うんです。

地球規模で考えた時、戦わない人たちというのは、貴重な資源。だったら、日本に戦いたくない老人若者が沢山いるんだから、役に立ってみませんか?というのが私の取り組みです。

日本が成し得た人類史の奇跡

記者 夢を描かれるようになったきっかけについて教えてください
萩原 きっかけは3.11です。本当は今頃定年退職して、山梨県の里山辺りでそば打ちをしているはずでした。

南三陸町の被災地に入ったとき、この悲惨な状況下で、世界中の人が日本はどう立ち直るか、固唾を呑んで見ている。このまま何もせずにいる場合ではないと思ったんです。

昭和30年代、激しくも日本の中で一番幸せだった時代を私は体験しています。東京オリンピックが開催されたのは、戦後の惨憺たる焼け野原から、たかだか19年後ですよ。少年時代、その急成長をリアルタイムでみていた私たちというのは、日本の秘められた力を体感レベルで感じ取っていると思いますね。

他国から食料支援を受けるほど発展途上国状態だった地獄の日本。そこからたった19年でこの国土を聖火ランナーが駆け抜けたんです。
これは、人類史の奇跡以外の何物でもありません。

正義の味方 月光仮面

記者 夢を描かれるようになった背景にはどんなことがあったのでしょうか? 
萩原 両親が長屋の経営をしていて、7家族くらい入っていたんです。4畳半一間位で粗末でね。母子家庭や貧困家庭があって。あきらかに生活レベルが違うんです。自分が大家の息子ということで、いわゆるおぼっちゃま目線で見られて。自分はそれがいやで、この人たちと対等に何かできないかと思って、そもそも途上国問題に携わったと思うんです。格差が、その人たちの上にいるのがすごくいやだったんですね。

彼らが、卑屈にみえるし、自分に遠慮しているし、それがどういうことか考えたときに、それは、貧しさのなせる所以である、と。“貧困問題=悪”という定義を、自分の中でなんとなく見つけたんですね。

ちょうどその頃の子どもたちって、月光仮面がヒーローだったんです。弱きものを助けるという正義の人。貧困や格差、ひいては世の平和のために戦わなければならないと、これが生き方の路線としてあったと思いますね。

記者 萩原さんの中にそのような背景があって、今のご活動に至るのですね、すごく繋がりますね。本日は大変貴重なお話をありがとうございます。


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萩原孝一さんの情報はこちら↓↓
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【編集後記】
インタビューを担当した西尾、見並、石塚です。

「こんな話が聞きたかった。」戦後の奇跡的な日本復興をまさに現場で体感されてこられた萩原さんのスペクタクルなお話に、日本の底力をみました。
奇跡の国日本だからこそ、描くべき大志がある。世界に果たすべき役割がある。
先人たちの涙と夢と想いのエネルギーが振動している日本。時代も令和に変わり、間の心に生きる日本人らしく、ワクワクのお祭り精神で日本人の本領を発揮していくとき。そんな中での萩原さんとの出会いに感謝です。
美しい時代を創っていく、We are 聖火ランナーズ!となるべく、これから恒久世界平和をリードする日本を、是非共に作っていけたら最高だと思いました。ありがとうございました。

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