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『地域』という、もう一つの育児の担い手

今は海外での子育ても珍しくなくなったが、妻側はもちろん、夫側の親族も傍に無いということは、時に想像を絶するような負担になることがある。

私は、東欧の片隅で、2004年に男児、2006年に女児を出産したが、ただでえさえ医療福祉が行き届かず、日本のように高品質な育児グッズも手に入らない中で、オムツを付けた二人の子供を育てることは精神的にも肉体的にも非常に厳しいものだった。

ベビーシッターを雇うのが当たり前のこの国でさえ、すぐに人手を見付けることは容易ではない。条件に合う人手を得ようと思えば、何と言ってもお金がかかるし、「私が辛い時、いつでも手伝いに来て下さい」という訳にもいかない。月に2~3度の子守ならかえって嫌がられる部分もあり、そうそう都合の良いサービスなど見付けられないのが現実だ。

そして、その無理が叶うのはやはり親きょうだいであり、授乳、オムツ交換、離乳食作りも絡めば、やはり「おばあちゃん」、あるいは子育てを経験したおばさん、おねえさん、ということになる。

双方の女手を欠いた私たち夫婦の子育ては、ゆっくり休むヒマもないほど忙しかった。

バスルームに入って便座に腰掛ける、その数分だけが、唯一、子供から離れられるチャンスで、それも、ドアの外で泣き叫ぶ子供を大声であやしながら、文字通り「気が狂いそう」という気持ちを生まれて初めて体験した。

椅子に座りながら寝るのが得意になったのも、5分、10分の合間に少しでも睡眠をとらないと、後ろにバターンと倒れそうな日が何日も続いたからである。

それでもここまでやってこれたのは、『地域の優しさ』に恵まれていたからだ。

駅の階段でベビーカーを片手に立ち往生していたら、後ろから舌打ちされた……なんてエピソードとはまったく無縁の、おおらかな、愛に満ちた雰囲気がこの国にはある。

道端で赤ちゃんが激しくないたら、家の奥から飛んできて、「きっとおっぱいが欲しいのよ。うちで授乳するといいわ」と見ず知らずの私を居室に入れて下さった奥さん。子供が外に置き忘れた自転車を、わざわざアパートの倉庫まで担いで保管しておいて下さったアパートの管理人さん。バスや鉄道で、嫌な顔一つせず、一緒にベビーカーを担いで下さった人達のことも、ぐずる子供にお菓子や果物を分けて励まして下さった方々も、どれほど心の救いになったか分からない。

近く、私たち家族は引っ越す予定だが、郊外に一軒家を買うチャンスもあったけれど、いろいろ考えて、同じ敷地内の少し大きめのアパートに移ることに決めた。子供にまだまだ手が掛かる今、もう少し、ここで暮らしたいからだ。

キッチンから見える中庭で、今日もたくさんの子供が遊び、それを優しく見つめる大人がいる。

この風景が無ければ、私の子育てもとっくに挫折していただろう。

親だけでは与えられないものを補ってくれる、『地域』というもう一つの育児の担い手。

それは子育て世代の強力なサポーターであると同時に、豊かな社会と人間性の象徴ではないだろうか。


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