
親の死を願っても、人生は変わらない
「親 死んでほしい」「親 殺したい」で検索する人が多いので
2014年7月15日 初出
当サイトには、『どうやって「親」を殺すか ~精神的親殺しについて~』というアクセスの集中する記事があり、このページだけで月間3000PVぐらいあります。
当然のことながら、検索ワードも、こういうのが多いです。
「親 うざい死ね」「親 死ね ころしたい」「うざい 父親 死ね」「うざすぎる母親 死ねばいいのに」「親 殺す 方法」「親 死ねばいいのに」「親 死んでほしい 殺す」等々。
まあ、青春の一時期、「親 うざい」「死ねばいいのに」って、思う気持ちは分かりますよ。普通の親に、普通に育てられた人には理解しがたいでしょうが、いろいろありますよ、そりゃあ。
ゆえに、上記のような記事も書いた。
こういう検索ワードで記事を見に来る人は、多分、「子ども」だと思うし、そういう子たちにはね、思春期にどのような激情を抱こうと、人生に絶望しようと、自分を惨めに感じようと、はっきり言うてあげたいですよ。
どんな毒親、ハズレ親に当たろうと、君たちは、精神的にも、経済的にも、社会的にも、親から自立することができる。って。
自分自身の知恵や精神力を総動員して、自分の人生を掴むことが出来るんです。
「普通の親と、普通の子どもらしい思い出がない」というのは、やはり悲劇ですよ。
学校でも、社会でも、普通に聞かれますよね。
「お父さんは何してる人? お母さんはどんな人?」
親子問題を抱えている子どもは、それに答えることができないんです。
「うちのお父さんは会社勤めで、休みの日はけっこうゴロゴロしてるよ~。お母さんは福岡の人で、方言が面白いねん。たまに田舎からイチゴ大福を送ってきて、いつも取り合いや」
こういう普通の返事、普通の説明ができない。
誰もが当たり前に答えられること、説明できること、が出来ない。
これ、大変なストレスです。大人でもそう。
仮に、自分の父親がワイセツ罪で逮捕されて、新聞にでかでかと顔と名前がのったら、もう誰にも話せなくなるでしょう。
それと似たようなもの。
そして、答えられないと周りに訝られる。
自分が周りより劣った、普通でない、欠陥だらけの人間に思えてくる。
その子のせいでなくても、両親との普通の思い出、普通の暮らし、普通の交流がないとね。
自分が世界から落ちこぼれた人間に感じ、その子によっては、自分という人間が愛される価値もない、誰かと対等に働いたり、意見を言ったりする価値もない、すごく惨めなものに感じるものです。
その危うさに気付いて、親の方からフォローできればいいですが、非常に残念ながら、そんなテレビドラマのような展開は万に一つだと思います(多分)
きっと、親の方は、死ぬまで気付かない。
我が子がこんな検索ワードでネットに救いを求めていることにも気付かないでしょう。
「こんなに必死に育ててきたのに、なんで?」
「我が子に裏切られた」
そう思ってるんじゃないでしょうかね。
こうやって「親 死んで欲しい」「親 殺したい」の検索ワードかけてくる子どもが、これ個別として、三ヶ月で約1000件、一年で4000件、トータルすれば全国で万単位。
その中には、20代、30代、それ以上の人も含まれてるんでしょうけど、単純計算すれば、すごい数です。
そうなると、親に「お子さんの苦しみに気付いて」「もっと対話を」とか促したくなりますが、そうした記事は、本来悩む必要のない誠実な親が目を通し、「ああ、私って、いたらない」と自己嫌悪に陥るだけ。
本来、読む必要のある親の目には決して届かないし、そもそも、自分に問題があるとも思っていません。
だから、何も変わらないし、子供の苦しみにも気付かないのですよ。
はっきり言って、親を啓蒙するより、不運な巡り合わせで毒親やダメ親に当たってしまった子どもたちに賢く生き抜く方法を教えた方がはるかに効果的です。
あなたのお子さん、夜中に「親 死ね」「親 殺したい」と検索していませんか? 『親殺し』に関する記事に殺到した『親 死んで欲しい』『親 ...