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見たら捨てた方がよい写真

写真は時に、本当の姿をゆがめたり、人に見られたくない姿を映し出すことがある。

かつて旅行会社に勤務していた時に、招待旅行でニューカレドニアへ行った(よい時代だった)。各社から手配担当者が参加して10数名のツアー。そのうちの3人と仲良くなって自由時間はいつも行動を共にした。

いろんなところで写真を撮りあった。カメラは人との距離を縮めてくれる便利なツール。カメラを向けられるとふざけたポーズをとったりして、楽しい時間を過ごした。

「帰国したらまた会おう」そう約束してから1か月後、再会した。思い出話に花が咲く。そのうちのひとりが、プリント写真を持ってきてくれて、皆で写っている写真を見たり、ひとりで写っている写真はその本人に手渡してくれた。
彼女は私にすまなそうな顔で封筒を手渡した、ごめんね、と言いながら。封を開けて、中に入っている写真を見た時に「ごめんね」の意味がわかった。

私がひとり写っている。どの瞬間を撮ったのだろう? 一瞬、時空がゆがんで何か起こったのだろうか。白目をむいてるとか、多少の変顔なら笑いのネタにつかえるけど、私のゆがんだ顔は笑いを通りこして、気の毒になるような、哀愁を誘うような、そんな写真だった。家に帰るとすぐに処分して記憶から葬り去った。

それから数年後、友人と二人で海外旅行をした。お互い写真を撮りあって楽しい旅だった。帰国してから写真をプリントしてみたら、その1枚に、友人の笑えない姿が写し出されていた。あのニューカレドニアの時の思い出がよみがえった。
「この変顔、すごい笑える」とは言えず、気の毒になるような。
あの時の「ごめんね」は、見てはいけない瞬間を撮ってしまって、変なところを見てしまってごめんね、という意味だったのだ。

「この写真は渡さなくていい。見なかったことにしよう」そう思って処分した。
写真には楽しい笑顔と楽しい思い出を残したいから。

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