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【お仕事紹介にそえて】ちょっとした昔話と、あるみかん農園の話

企業も組織もストーリーを発信するべき時代、なんて言われてひさしい。

わたしがフリーランスとして働きはじめた2014年はいま考えるとオウンドメディア全盛期の一歩手前くらいで、いろいろな企業でぽこぽこと湧き上がるようにオウンドメディアが立ち上げられていた。

当時のわたしはまだ関東にいて、広報企画やマーケティングを手がける会社からも仕事をいただいていたので、ときにはその一員として上場企業のオウンドメディアのコンテンツ企画会議に出席したり、社員さんにインタビューしたりしながら、昼夜問わずごりごりごりごりと文章を書いていた。

いま冷静になって振り返れば、コンテンツ数を増やすこと、更新頻度を保つことが目的になっているようなものもあったと思う。それでも当時は「とにかく発信しつづけることが大事」というムードに包まれていて、まずはそれを満たさないことには何も言えないような空気があった。

何よりわたしは「書いても書いても一瞬で消費されて過去へ流れてゆく」ような感覚に疲弊しきっていて、思考能力を失っていたなと思う。薄っぺらな情報が消費されつづけてゆくことに違和感と疑問を感じながら、それでももう数時間後に迫った締切のために、自分が心を寄せきれていないコンテンツを書きつづけてしまっていた(その反動で登録したのがnoteでもある)。

そうして必死に運営していたオウンドメディアたち。ふと思い立ってそのいくつかを検索してみたら、休止されているか、今年の更新がゼロかで、つづいているものはほぼなかった。無駄だとは思わない。末端にいただけのわたしには、見えていない景色も大いにあるだろう。ただ、自分自身をふくめて、本質を見失ったメディアの運営に、疲弊してしまったひとたちはたしかにいただろうな、とだけは思う。

数年のうちに時代が変わって、育児ブランクを経てしばらくぶりにこの世界に来てみると、世の中にはもうすでにストーリーがあふれかえっていた。

ストーリー、ストーリーと言われることが当たり前になって、「商品の背景にある物語にひとは惹かれるんですよ」なんてフレーズは耳にタコができるくらいになって、それを自社が発信することも当然のようになって、むしろ最近ではオウンドメディアはもう終わり、という話をよく耳にするようになった。商品の背景にあるストーリー、にはもうみんなお腹いっぱいなんじゃないか、という意見を耳にしたりもする。

時代はまた、次へと流れてゆくのかもしれない。もうすでに流れていっているんだろう。わたしはその流れの速さについていけない。あまりついてゆこうとも思えない。PRパーソンは世の中の流れにいちはやく敏感であるべきと言われるなかで、そんな自分がライティングや広報サポートを仕事の一部にするのはまちがっているのかもしれないな、とよく思う。

それでもわたしのなかにはひとつの思いがあって。

それは「(わたしがとても共感できる)思いを持ってがんばっているけれどまだ世の中に知られていない、小さな組織や、生産者さんや作り手さんの話を、世の中の必要なひとへ届けるお手伝いがしたい」というものだ。

その思いは意外と長いこと、わたしの中にある。

新卒で小さなPR会社に就職したのもその思いからだ。学生時代、環境系の活動をしていたことがあるのだけれど、そのときに小さくてお金のない団体が世の中のひとへ気持ちを届けるにはどうしたらいいんだろう、ということをよく考えていた。すでに思いを共有した仲間同士でつるんでいるのは居心地がよかったけれど、それでは世の中は変わっていかないよなあと感じていた。

そんな気持ちで学生の当時、まっさきに思い浮かんだのは広告だったけれど、その後に広報・PR(パブリック・リレーションズ)という考え方があるのを知り、資金の少ない組織に可能性をあたえるのはこっちだ、ととても感動したのを覚えている。その方法を学びたくて、就活シーズンから大幅にずれた時期に、小さなPR会社にもぐりこんだのだった。

当時はまだまだ紙媒体が主力だった。いまはPR戦略を考えるうえでWebやSNSをなしには考えられないだろうけれど、当時はまだまだそれらはあまり重視されていなくて、思い切ってもせいぜい、イベントに有名なブロガーさんを招待する、くらいの発想であった。

それよりもいかに新聞や雑誌の記者さんを誘致するかとか、プレスリリースの内容を記事にしてもらうために商品を持ってメディアキャラバンをしたりとか、FAXでのリリース配信が前提だったりとか、テレビに衣装提供をする手はずを整えたりとか、そういうことが重視される時代だったのだ。

なんでこんな昔話をはじめてしまったのだっけ。

そう、思いの話だ。

「(わたしがとても共感できる)思いを持ってがんばっているけれどまだ世の中に知られていない、小さな組織や、生産者さんや作り手さんの話を、世の中の必要なひとへ届けるお手伝いがしたい」という個人的な思いの話。それが意外と長いことわたしの中にあるな、と思い返していて、昔の話をしてしまったのだった。

そういう、PR会社での奮闘もすべて、今につながっているのだ……と言い切れれば話はきれいにまとまるのだが、実際はそういう面もある、くらいにしかいえない。今もプレスリリースの執筆のお手伝いをさせていただくことはときどきあるし、配信リストの編集をお手伝いさせていただくこともある。

でもご存知のとおり、2010年前後といまでは情報の流れ方は明らかに変わってしまった(えっ、2010年ってもうすぐ10年前になるのか、といまこれを書きながら気づいて動揺しつつ、そりゃあ変わるわ!と納得感を強めた)。プレスリリースを書いてマスメディアにアプローチして、というのはいまでもひとつの手法ではあるけれど、それだけが絶対的な権力を持つ時代ではなくなった。もうみなさんとっくにそんなの理解している。

その先にあったのが自社でメディアを持つというオウンドメディア構想だったはずだけれど、いまでは自社メディアというより、むしろSNSを中心とした情報の流れが重視されている。このnoteというプラットフォームに企業勢が増えてきているのだってそうだ。

そしてまた数年もたてば、いまとも違う情報の流れが主流になってゆくのだろうな、とも思う。

そんな空気だけはうっすらと感じつつも、決して「さあさあつぎはこれですよ!」なんて叫ぶような器もないわたしは、正直にいうと、ものすごく正直にいうと、たぶん、とまどっている

思いのある組織や、生産者さんや作り手さんの気持ちを世の中へ届けるお手伝いがしたいという気持ちはずっとくすぶっているんだけれど、いいと言われる方法はどんどん変わってゆくなかで、それを実現するにはどうしたらいいんだろうねえ、って。川の流れの中で、とりのこされたみたいに。

そんな中、決して「解」ではないのだけれど、自分のなかでああこういう仕事をもっとしていきたいな、と思ったことがあった。

それが、今年の春に行った、ある小さなみかん農家のご夫婦の取材・執筆である。

正確にいうと旦那さんのほうはもともとわたしの友人で、彼もその奥さんも関東出身だけれど、夫婦で愛媛にIターンして、宇和島でみかん農家をはじめている。去年このnoteにも、そのことを少し書いた。

いままでは師匠のもとで修行しながら開業準備をしていたところ、今年の夏には独立ということで、「簡単なものだけれどホームページを用意しようと思っていて」と春先に相談が来たのだ。

「○○(わたし)にインタビューしてもらった記事を、そこに載せられないかと、ぼんやり考えています」と、その続きには書かれていた。

そう思ってくれたことがとても嬉しかった。もともと、わたしの文章を気に入ってくれたりはしていて、それ自体も嬉しかったのだけれど。さらには独立という大切な門出に、しかも公式ホームページという大事な場所に声をかけてもらったのはとてもありがたいなあと思った。

まさに「思いのある生産者さんの声を届けたい」という自分の気持ちに沿った話だったので、写真撮影も含めて、ぜひ取材に行きたいと返事をした。

お祝いや応援の気持ちもあるし、今回は全部自腹でもやむなし、とも思っていたのだけれど、結論から言うと彼はちゃんと対価のある仕事として、そのインタビューを依頼してくれた。だいじょうぶなのかい無理はしないでよと聞いたら、「仕事しに来させておいて自腹切らせるなんて図太い神経は持ち合わせていないのよ。笑」とリプライがきた。

友人だからとなあなあにせず、そういう気持ちで来てくれると、こちらもますます真剣にいい仕事しよう、と思うよね。よい循環。

というわけでこの春、取材に行き、みかん畑を歩きながら、写真を撮り、友人とその奥さんに話を聞き、記事にした。

いちおうPRやコンテンツマーケの末端にかかわってきたこれまでのちっぽけな経験が邪魔をして、わたしはインタビューの位置づけを決めるにあたり、何度も彼に余計なおせっかい発言をした。

「長過ぎる文章は読まれないし、むしろ離脱されるから短くしたほうが」とか、「もし長い文章置くにしても、まずTOPはビジュアル重視でわかりやすく見せて、『もっと知りたい』と思った階層深めのところに長めのインタビュー記事がある、のほうがいいのでは」とか、わかったようなことを。

それらについての彼の見解を言うなら、「みんなと同じことやってもつまんないじゃん」だ。

「別に売上を追求したいわけじゃないし、そういう長い文章を最後まで読んで納得してくれたひとにだけ、買ってほしいから」と。売れれば売れるほどいいわけでもない、と言う。よいお客さんたちに、理解してくれる方々に買っていただきたいのだと。そうかそういう考え方もあるのだ、と思った。

最終的にそれらの意見交換を経たうえで、彼のオーダーは、「インタビューはやっぱりTOPページに置く。長さも制限しないから、とにかく好きなように書いてほしい」であった。

こんなオーダーがあるかよ、と、かつて消費されゆくコンテンツに疲弊していたわたしは思う。こんな、書き手を奮い立たせるオーダーがあるかよと。

納品から数ヶ月後。

結局彼は、自分でしゅくしゅくとHPをつくったそうだ。

ものっすごくシンプルな、飾り気のないHPが、この前できていた。

(あっ。サムネイルすら表示されない……!)

なおトップに出てくるテキストは、彼本人によるものだ。

そのすぐ下に、わたしが担当させてもらった、超長文のインタビュー記事がつづいている。ほんと不親切というか、型破りというか(笑)。個人的には好きだけど。せめてオンラインショップへのリンクは冒頭にわかりやすく配置したらいいのに……とかまたいらぬおせっかい発言をしそうになる。彼には彼の美学がきっとあるんだろう。

そうそう、文章といえば。上でご紹介した昨年のnoteに、わたしこんなことを書いていたのだけれど。

その理由については、彼がとてもおもしろく読めるブログを書いているので詳しくはぜひそちらにゆずりたい(彼の文章好きなので、noteも書いてほしいなあ、なんてひそかにずっと思っている)。

それで、取材に行ったときにもわたしが熱心にnoteのよさについて語っていたら、秋の終わりごろからついにnoteをはじめたらしい。

みかんの食べ過ぎで顔まで黄色くなってきた話』とか、『吉田沙保里と戦うのはまだ早い』(←これもみかんの話)とか、書いている。

個人的にはね、みかんと全然関係ないけど、『哲学科に行きたいと言っていた生徒が、結局英文科に行った話』とか好きだな。育児している身として、忘れたくない感覚だなと思う。

さあ、大いに話は脱線したが、これはいつものこと。

だいたいさ、お仕事紹介としてこのホームページを紹介するならさっさと冒頭で紹介して記事をきりあげればよいのに、まず書き出しからしてめっちゃ遠いところから入っているしね。過去の昔話とかしてさ。そうやって昔話ばっかりするようになると若い子から嫌われるんだぞ……気をつけよう。

でもなんだか、今回の一件のことをどうやって紹介しようかなと考えていたら、自分がこれまで経てきた道のりのことをどうしても思い返しちゃったんです。

それは、今回のインタビュー記事が、自分の素直な感覚としてとても、「ああ、こういうお仕事、もっとできるようになりたいなあ」と思えるものだったから。

小さな生産者さん、作り手さんの思いを、必要なところへ届けるしごと。

時代はもうストーリーにお腹いっぱいで、その先へ向かっているのかもしれないけれど。

それでもやっぱりわたしは物事の背景にあるストーリーに惹かれるし、映画や楽曲そのものも好きだけど「メイキング」により惹かれるし、自分も「ああこれは届けたいな」と思うストーリーについては、ていねいに届けるお手伝いができたらなあと思うんです。

ただ更新頻度を担保するための記事ではなくて、きちんと思いのこもった、手ざわり感のある記事を書いていきたい。世の中の流れがどうあろうとも、情報の流れが変わろうとも、そこは見失っちゃいけない気がした。

きっとそういう記事は、消費速度もすこし、ゆっくりなんじゃないか。

2020年は、そんなお仕事を増やしていけたらいいな、と思う。

農家さんでも職人さんでもNPOでも。もし親和性の高そうなご縁をお持ちの方がいらしたら、ぜひご相談ください。共感できる内容で、交通宿泊費をいただけたら、どこへでも行きます。

ところで先の、友人が作ったテキスト偏重のホームページ。

本人が最近、「余力があればHPに手を入れます……」と言っていたから、もしかしたら次にアクセスしたときにはビジュアル要素が取り入れられて、ちょっと格好よくなっちゃっているかもしれない(笑)。まあそれはそれで、その理由をきっとまた、テキストできっちり書いてくれるんだろうと思っているけれど。

そしてこのnote自体もまたひとつの、制作の裏側のストーリーでした。

よかったら、とあるみかん農家のストーリーも、ぜひ読んでいただけたらうれしいです(↓)。

このくらい”顔(生き方)の見える生産者”からものを買うという経験が、これからはもっと増えてゆくのかもしれないなあ、なんて、思っている。

(おわり)


※このnoteは『みかん農家ごろごろ』さんからのおいしいみかんのご提供によってインスピレーションはもらいましたが、べつに何の依頼もされていないのにふつふつとわきあがる気持ちを自発的に、自由に書いたものです。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。