であったーの日、おめでとう

Facebookをひらいたら、「◯◯さんとの友達記念日の動画が作成されました。思い出を振り返ってみよう!」という通知がきていた。

◯◯さんというのは夫である。

その通知をみて、「ああ!やってしまった!」と思った。

夫とは出会った翌日にFacebookでつながったので、それはつまり、昨日は出会って何年目、的な日だったということを意味していたからだ。

こう書くと、「え、結婚記念日でもあるまいしどうでもよくないそれ?」と思う方もたくさんいると思う。わかる。そもそもわたしもさほど、記念日まわりに固執するタイプではない。

ただ、「これまでは毎年、特に大きなお祝いはしなくても軽く話題にするくらいはしていた日を今年は完全に忘れ去っていたこと」と、「それを1日遅れでSNSに教えられるという人間としての切なさと悔しさとありがたさ」が同時に押し寄せて、なんとも複雑な気分になったのだった。

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どうでもいいが、わたしはこの日のことをなんとなく数年前から「であったーの日」と呼んでいる。特に深い意味はなく、森本レオ風のナレーションがなんとなく頭にあって、「出会い記念日」とかよりゆるくていいなと思った。それだけの理由だ。

親友でも恋人でも配偶者でもいいけれど、いま身近でたいせつなひとと、初めて出会った日のことを、あなたは覚えているだろうか。

答えはひとによってわかれるかもしれない。前のnoteで書いたみたいに、女性は高い精度で覚えているひとが多くて、男性はあんまり覚えていない、もしくは覚えているポイントがそれぞれ違う、ということもあるだろう。

季節、場所、服装。初めてみたときの角度、背景。わたしの場合、そのあたりはけっこう覚えている。最初に発した言葉、それはもう自信がない。でもその場の雰囲気というか、空気感は覚えている。

あなたはどうだろうか。

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わたしの場合は、関東に住んでいたとき、たまたま仕事で福岡出張の機会があったのだ。

大学時代からの友人が当時、福岡を拠点として仕事をしていたので、出張にあわせて彼女と会った。その友人の「たのしい仕事仲間たち」的なポジションで出会ったのが、いまの夫である。

ほんとうは友人とシンプルに待ち合わせする予定だった。ただ、自分の取材仕事を終えて友人にメッセージを送ってみると、「まだ打ち合わせ終わってない」「ゆるめの打ち合わせで合流できる感じだから来てもらえるとありがたい」と、場所が送られてきた。そのお店に行ってみることにした。

ビジネス系の取材日だったので、夏だったけどわたしは薄手のジャケットを来ていた気がする。スーツケースをごろごろしながらお店について、はじめまして、突然すいませんー、暑いですね〜、とかいいながらジャケットを脱いだような記憶がある。

そのときは女性の友人と、男性が2名いて、みなよい距離感で談笑しつつ、カジュアルになごやかな打ち合わせをしていた。そのうちのひとりがいまの夫になった。

打ち合わせのあと、近くのIT系ベンチャー企業のパーティへ行くというので、なぜかわたしもそこへついていくことになった。

やたらと元気な会場の空気感のなかで、「わー、福岡ノリノリだなー」と思った。なんというか「そっかー、地方って田舎しかあんまりイメージしてなかったけど、各地でこうやって、若くて元気なネットワークもあるんだな。そりゃそうだよなあ!」ということをはじめて体感として得たのだ。

都市間格差が騒がれて久しいが、そして確かにそれは確実にあると思っているが、むしろそのイメージが先行しすぎていた当時の自分には逆に「なんだ、同じじゃないか!東京と。むしろそれ以上に元気じゃないか!アジア感ある!」といういい意味での驚きがあった。

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さて、だいぶ話の方向がズレたが、このパーティで完全アウェイ状態だったわたしのお世話をしてくれたのが、いまの夫である。

顔の広い友人はいろいろなひとと挨拶をするうちに、いつのまにか見えなくなってしまった。さて居場所をなくしてどーしましょうと、ひとりアウェーイ!なわたし。彼はそれを何かと気にかけてくれて、飲みものをとってきてくれたり、話し相手になってくれたりしたのだった。

そうそう、そうだったなあ。数年前のできごとなのに、どんどん、薄れてゆくものだなあ。いまから数年後にはさらに忘れていただろうから、書いておいてよかったかもしれない。

いまではわたしも福岡に住み、こどもも生まれて、当時には考えられなかったようなこども中心のライフスタイルで毎日を過ごしている。何もかもが、がらりと変わった。

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SNSさん、「思い出を振り返ってみよう!」ときみにご提言いただいたので、すこし振り返ってみたよ。なんだかちょっとくやしいけれど、きみに感謝しなければいけないかもしれない。ありがとう。

年を重ねて、互いにじじばばになっても、たまには「であったーの日」のことを思い出してみたいと思う。

それでくすぐったい気分になってみたり、もうそんなフレッシュな空気感かけらもないわねえ!と苦笑したり、状況によってはもしかしたら切なくなって泣いてしまうこともあるのかもしれない。

それでも、出会うということの奇跡を、なんどでも感じてみたらいいと思うんだよ。すべてのスタート地点を。出会わずに終わるひとのほうが多いんだから、この世界の人口を考えたらさ。

あなたもときには、身近なひとと初めて出会ったその日のことに、思いを馳せてみてはどうだろう。次にそのひとに投げかけることばが、ちょっとだけ優しくなるかもしれない。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。