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雑記:チューニング

最近めっきりと暑くなって、同時に梅雨がきて、かと思うと突然冷えこんだりして、ほとほとまいっている。ほとほとほほ。

いや天の恵みだから大変ありがたいし、地球に住まわせてもらっている時点で文句をいう筋合いなんてさらさらないと思うのだけれど、もうこれは素直に、体がついていかないのだ。

一方で「日本の四季っていいよねえ」などと思う自分もいるからまたやっかいで。冷たい床にだらしなくのさばりながらも「ああ、日本の夏だなあ」と、心のどこかでは風情をとらえようとがんばる次第だ。

ところで、このマガジンが始まったのは昨年の8月である。

だからまだ1年経ったわけではないけれど、こうも汗だくになるとどうしたって夏を意識せざるえないわけで、ああ夏がくる、然らばもうすぐマガジン創設から1年が立つのだなあ、とぼんやり思ったりはするものだ。

そんなわけでときどきふと、「あーこのマガジンの意味ってなんだろな」と考えたりする。考えるというか、立ち返るというか。

だってだいぶ謎だと思うのだ。我ながら。

ずば抜けておもしろく腹を抱えて笑えるような文章でもなければ、自分が小説などを読んでいて思わずため息が出るような、美しく味わい深い文章でもない。むしろその道では明らかにたくさんのひとが輝いているのが見えて、わたしにその能力はないなといつも思い知らされる。

そのたびに、いや、このマガジンの意味ってなんよ、なんで毎月読みつづけてくださる方がいるんよまじで、と思う。

なぜわたしはこんなとるにたらないことばかりを、つまりは「レトルトパウチの甘栗が好き」とか「今日の昼飯は夫が作ったポップコーンだった」とか20文字でおさまりそうなことを、しかもなるべく“心を揺さぶらない”文章にすることをモットーにして、しゅくしゅくと書きつづけているんだろう。

おい、ねえ、なんでだ。こたえろ。

そうしてもうひとりの自分が「わたし」の肩を掴んでわさわさ揺さぶると、「わたし」はとってもめんどうくさそうな目で「自分」を見るのです。

それでその「わたし」は、「そんなこと言ったってしょうがないじゃん……こういう生き方しかできないんだよぅ、ほっといてくれよぅ……」と半ば考えることを放棄しようとしているんだけれど、そう言いながらも「自分」に何か返せることばはないかしら、と一応必死で脳内リサーチはしている。

そんなとき、わたしの中で決まって浮かんでくるイメージがある。

それが、「チューニング」のイメージ。

ひとくちにチューニングといってもいろいろなチューニングがあると思うのだけれど、わたしの場合、最初にぽんっと浮かんでくるのは、オーケストラ楽団のチューニング風景だ。コンサートが始まる前、舞台上のあれ。

まだ客席で、ざわざわと話し声が行き交うホール。

その中で、1本の細い音が鳴りはじめ、ぐわんと飲み込まれるように広がって、巨大な音のかたまりになる。ざわついていた会場はスッ、と静まり返る。

たとえば一緒に来た人と、直前まで「今日暑いねー」「ご飯何にする?」なんてたわいもない話をしていても、一瞬で楽団のフィールドに引きこまれるのを感じてしまう。あのとき。

もちろん、本来の目的は音程を正しく合わせることだろう。でもそういう、気持ちを整える効果もあのシーンにはあるよなあ、と思ったりする。

きっと客席にも、舞台の上にも、その日いろんな事情で嬉しいひとや悲しいひとがいる。もしかしたら憤っているひとなんかもいるかもしれない。そういう感情の波を、1本の音の広がりが「さーーっ」とさらってゆく。演者も、客も、心をフラットに整えてゆく。1本の線になる。そんな効果が。

かといって、そんな効果がいまの自分の文章にあるとはまったく思えない。実際のところは、(そういえばわたしは1本ウクレレを持っているんだけれど、)1本のウクレレをポロン、ポロン、とチューニングしてやっているような感じだ。なんならそれでも、たまに音程がちょっとずれていたりする。

でもあのオーケストラの荘厳なチューニング風景は、少なくとも、頭の中にひそやかな理想としておいておきたいイメージではあるのだ。

毎日いろんなことがあって、いろいろな方向に感情が引っ張られてどうにも疲れてしまうこともあるけれど。マガジン内だけは突き抜けて元気すぎるわけでもなく、かといって負の感情でひっぱりすぎることもなく、なるべくフラットな温度感でありたい。常温でありたい。

人さまにどう、よりもまずは、自分の気持ちをチューニングできる場であること(そう考えると、1本のウクレレのイメージも悪くないのかもしれない)。それが結果として、もしかしたらだれかの気持ちもチューニングできるものであったらうれしいけれど、そこを意識しすぎずにいたい。

というのもそういう気持ちでいないと、時にわたしは変な味つけをしてしまうらしいのだ。常温で、常温で、と意識していないと、わたしの場合はどうも必要以上に感情的になりすぎる。たぶんそんな癖が、無意識についてしまっている(一時期の、自分が書いた昔のnoteを読むと背中がむずむずするのはそのせいだ)。

だからマガジン内では、まず自分が読みたいな、と思える温度感のものを、書いている。書いているし、これからも書いていきたい。

最近はほら、水も常温じゃないとお腹こわすようなお年ごろだし。刺激は少ないくらいが、普段飲むにはちょうどいい。

これを書いている途中、ふと思い立ってYoutubeでオーケストラのチューニング音を聴いてみた。

ああ、いいなぁ。

やっぱりこれは、たまらなく落ち着くな。

そして、この域には全然到達できていないなと実感する。ずっと、できないかもしれない。それならそれで、つづける意味になるかもしれないけれど。

でもこうして聞き手がいてくださるうちに、少しでも、近づきたい。だからまだ、書く(ありがとう)。

それにしてもオーケストラの生演奏なんて、もう何年も聴きに行けていないな。いろんなことが落ち着いてきたら、生でまた、聴きたい。

きっと忘れていることを、思い出す。

(おわり)

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どうでもいいことをすごくしんけんに書いています。

<※2020年7月末で廃刊予定です。月末までは更新継続中!>熱くも冷たくもない常温の日常エッセイを書いています。気持ちが疲れているときにも…

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