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続・シェアハウスのラウンジみたいに #noteのつづけ方

どうやらnoteのつづけ方に悩んでいるひとが多いらしい。

ぼんやりとだけど、ひとくちに「#noteのつづけ方」に悩むといっても、その種類はふたつあるように思う。

ひとつは、まだはじめたばかりでnoteという場所のようすがわからず、ちょっとは書いてみたけど全然読まれないし、いったいこれはどうつづけたもんか、と悩むケース。

もうひとつは、半年以上とか1年以上とか、ある程度ながいあいだnoteをつづけてきて、交流や企画参加もいろいろとしてきて、「おすすめ」に載るか載らぬかにもさほどの関心はなくなっているころ、環境、気持ち、体調の変化などで、うーんnote、これからどうしようかな……と悩むケース。

前者に関しては、もういろんなえらいひとたちが、いろんなところでたくさん言っているみたいに、とりあえず最初は書いて、書いて、興味のありそうなテーマで検索したりして、コメントを残したり、twitterでシェアしたりして、少しずつ交流が生まれてゆくと、反応がもらえるようになって、だんだん楽しくなってゆくんじゃないかなと思っている。

わたしが最近、よく感じているのは後者のケースだ。

この前もある方からふと「最近はいそがしくて全然noteも読めなくて……なんか、どうしようかなーって」という話を聞いた。

実はこういうカミングアウト(?)を個人的に受けるのははじめてじゃない。note酒場やオフ会などのリアルの場や、あとはDMなんかで、ひとりではなく複数のひとから、意外とちょこちょこ聞いている。

だいたい、去年くらいにnote通して知り合った方たちで、一時期、わーっといっしょに盛り上がっていたりしていた方々だ(笑)。いやほんと、画面の向こうにいる同志とつながれるのって奇跡みたいで、「わあ!」ってなるよね。「あ! ここにいたんだ! こういう話できるひと!」ってさ。だからあのころ、顔も知らぬそんな出会いに興奮して、わくわくして、楽しくて。

その楽しさを味わってしまっているから、noteがどんな場所が知っているから、交流の楽しさも知ってしまったから。

だからこそ、仕事や家庭などの環境の変化、それに伴う気持ちの変化、または体調などの変化、つまりいろんな変化でnoteに「あのころ」みたいにのめり込めない自分を感じはじめると、なんだかもやっとしてしまったりする。

周りでわいわいと流れてゆくnoteの華やかな世界に、ついてゆけない。なんだか置いてけぼりになっている気がする。あれわたし、なんでnoteをはじめたんだっけ。何がしたいんだっけ。何が大事なんだっけ。

ああ……、どうしようかな、note。

こんなにもやもやするくらいなら、いっそ、辞めちゃおうかな……。

これ、今年の春から夏にかけてのわたしそのものでもあった。

もう辞めちゃおうかな。

いろいろあって、一時期はわたしもそう思ったりもしたのだけれど、結局は「距離のとり方を変えて、つづけよう」と決めた。

あ。ところで今年の2月に、こんなnoteを書いたのですが。

かんたんにいうと、noteの交流ってシェアハウスのラウンジみたいな感じだなと思った、という話です。

この例でいうと、以前のわたしは「平日ほぼ毎日、シェアハウスのラウンジに入りびたっていた住人」だったと思う。

でもちょっと環境や心境の変化があって、ラウンジで多くのひととわいわいすることに気持ちがついていけなくなって、2ヵ月くらいは完全に引きこもっていた(ほぼ更新なし)。

いまはどちらかというと、基本的には鍵をかけた自室にいて(定期購読マガジン)、そこへ遊びにきてくださる方にマイペースにお話をしている。

最近は少しずつ心が癒えてちょっと落ち着いてきたので、たまに気が向いたらラウンジに顔を出してみたり(お題企画note)、パーティなどの特別なイベントにはまた参加したりするようになってきた(note酒場やオフ会)。でもやっぱり基本は自室にいる(笑)。

交流することにおびえみたいなものを持ってしまった時期があったので、定期購読マガジンなども、これまでは双方向というよりはあえて一方向、を意識していた。でも少しずつ、「一方的にお話する」から、「おしゃべりする」機会も増やしてゆけたらな、と最近はすこし思っている。

そんな感じで「入りびたり」から距離感を再構築しようと、自分なりに心地よい距離感をさぐりさぐり、マイペースに活動している。

ちなみに、ナースあさみさんのこちらのnoteは、長期でnoteやってる方のつづけ方について、とってもヒントになる。

この中であさみさんが書いているのだけれど、「生活がnote中心になりすぎないようにしている」は、つづけるコツとして真理だ!と思った。

わたしのことばで言うとそれが、「入りびたりすぎない」という感じ。

自分にとって心地よいnoteとの距離感を「自覚する」ことは意外にたいせつだなと思う。

前のシェアハウスnoteでも書いたけれど、他のひとがラウンジでわいわいしているとき、自分が望むならもちろんラウンジに行けばいいし、べつに望まないなら無理して行かなくてもいいんだ。どっちでもいい。

ちなみにその距離感とやらは、一度決めても、なんか違うなと思ったら見直して、決め直したらいいと思う。連日ラウンジに行きたいときだってあるし、もうしばらくいいかなってときだってあるし。だいじなのは、そのときの自分にとってのnoteのポジションを、そのときの自分が理解していることなのかなと。

息抜きの場なのか、仕事に結びつけたいのか、趣味の仲間と盛り上がりたいのか、友だちを作りたいのか、たんたんと創作を発表する場なのか、etc.

人それぞれで、なんでもいいけれど、「いまのわたしにとってはこの距離感があってるから、この距離感でいいんです〜」って、言えればいい。だれになんと言われようと、自分が納得していたらいいのだよ。

ちょっと話の方向性は変わるけれど、数年単位でたんたんと続けていらっしゃる方って、実は交流を制限していたりするな、と思ったりする。

たとえばわたしが初期のころからずっと拝見している方でいうと、ニシカワの日記さんとか、ヤミカラスさんとか。

スキの数を追うところとは離れて、基本的に毎日、たんたんと、しずかに更新されている。アカウントも、twitterやFacebookと連携されていない。コメントのやりとりはできるけれど、twitterで流れのはやいコメント合戦に意識を引きずられることもない。

おふたりのような方にとって、noteは明確に「自分と向き合う場」になっていらっしゃるのかな、と思う。そういうポジションが確立しているというか。

わたしはその全部を読めているわけではないのだけれど、タイムラインに流れてくるのをみて、ああ、今日もたんたんと更新されているなあ、とその存在自体に癒やされたり安心させてもらったりしている。

べつに毎日更新をすすめているわけではない。単純に、ご自身にとってのnoteの位置づけが明確で、ぶれないのってかっこいいなあ、と思っている。

自分のことでいうと、基本的にカギをかけた自室にいるようになってから、まわりはたしかにしずかになった。スキ数も減った。さみしいな、という気持ちもないわけではなかったけれど、それ以上に、なんだかホッとしてしまった。

定期購読マガジンで書くnoteは、一時的な評価を求めなくなったぶん、むしろ真剣になった(いや、内容はめちゃくちゃくだらないのだけれど、くだらないことを、ものすごく真剣に書いているのです。伝われ……)。

たたかうべきが、比べるべきが、周りではなくて、自分になった。ほんとうに人それぞれだと思うからどこにも正解なんぞないけれど、個人的には、持久走みたいに「己とたたかう感じ」のほうが向いている気がするので、わりといまの形はしっくりきている。己とのたたかいは、苦しいときもあるけれど、基本的にその状態もふくめて、たのしい。

もちろん、もっと交流したほうがいいのかな、とか、距離のとりかたはいまでもちょこちょこ考えたりするけれど、あーあ、辞めちゃおうかな、という悩み方はしなくなった。距離のとり方は、自分で決めればいいのだとわかったからだと思う。

これからまたnoteとの距離のとり方を変えたりすることはあるかもしれないけれど、つどつど自分の気持ちとむきあって、柔軟にやってこうぜい、という感じ。

なんでもいいけれど、「いまのわたしにとってはこの距離感があってるから、この距離感でいいんですー」って、言えればいいや。

そんな気持ちが根底にあるから、もうちょっとこの場所に、住み続けてみたいなと思っている。

「みんなのnote全然読めなくて……、ほんとみんなすごいと思うんだけど、なんかそこまでかかわれないっていうか……」

うん。とってもわかる。のめり込むようにして、心熱くかかわっていた時期があるからこその、その感じ。みんなできてるのに、自分にはなんでできないんだろうとか。わたしもよくぐるぐるしていて、夫に「たいへんだなぁ」と憐れまれる(笑)。

でもほら、こどもが「だって、みんな持ってるもん!」って言うのと同じようにさ、冷静に考えたらみんなっていうのはたまたま目に入る距離にいる何人かみたいなものだし、なんというか、noteの沼はもっとずっと広いし、自分みたいなひともたっくさん、まだ自分には見えていないだけでたっくさん、いるし。たぶん、わっさわっさいる。

みんながこう、っていうより、それぞれのやり方がそれぞれの形で、それぞれの距離感で、無数にこのnote沼の中に存在しているっていう状態が、わたしは好きだなあ。

だからなにがいいたいかっていうと、べつに、そのままで、いいんじゃないかな〜。変えたいなら変えたいで、だれがどうとかではなく自分の思うとおりに、やってみたらいいんじゃないかな〜。

ってつぶやきを、noteの片隅においておきたかった。

なんだかちょっともやもやを抱えたどこかのだれかの、ヒントくらいになったらうれしいなあとは思いつつ。ならなくても、まあいいんです。わたしにとってnoteはそうやって、どこにも行き場がないようなひとりごとみたいな気持ちを、ふらっと置いておくところでもあるから。

じゃ、そろそろ部屋にもどろうかな。また、ふらっと来るね。

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書き撮るひと@福岡。熱くも冷たくもない常温の日常エッセイを集めた定期購読マガジン『とるにたらない話をしよう』運営中。ライターと家事と育児と。日常、育児、夫婦、食、暮らし、生き方、多様性、旅、ワーホリその後。ただいま2歳児に親育てられ中。