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note運営陣のみなさん、ありがとう。

10月にこんなnoteを書いた。

要約すると、「noteを更新したときに表示されるポップアップ、毎日更新のひと以外にも嬉しいものになったらいいのになあ」という内容だ。

連続更新をしていると「◯日連続の更新!クリエイティブが炸裂してますね!」とか毎日ちがうコメントで褒めてくれるポップアップは、毎日更新組にはとても励みになるのだけれど(わたしも一時期そうだったので)、そうじゃないひとたちには逆にしんどさを感じさせる一因にもなってしまうんじゃないか。

そんな気持ちを、なんだか偉そうだけどいちユーザーとして正直に書いた。

わたし自身もカイゼン目安箱にその内容を送ってみたり、また公式マガジンのピッカーでもあるヤマシタ マサトシさんがnote編集部コミュニティにこのnoteの存在を届けてくれたりもしたので、他の方のいろいろな声と相まって、来年くらいには何か変わるといいなあ、なんてぼんやりちょっと、期待してた。

* * *

それが12月上旬の月曜日、数日ぶりにnoteを更新して、あれ? と思った。

“今回は週末に日が空いたから、今日はまた背景が白に戻って、応援メッセージもなくそっけない……いやシンプルなポップアップに戻っているはず”。

無意識にそんな予想で公開ボタンを押したら、「パッ」と表示されたのはこんなポップアップだった。

おや、これは!? え、週単位で褒めてくれてる……!!

毎日の連続更新と同じように、背景に“色味”があって、応援メッセージもついている。ちなみにその翌週も、翌々週も同じようなポップアップが表示されたのを確認した。背景の色は週ごとにランダムに変化して、2行目の応援メッセージもちゃんと違うコメントになっていた。

とりあえず、1日でも更新が途絶えたら「ゼロ」になってしまうのではなくて、「ゆるいペースでも継続的に更新している層」も応援しようという形が“サッ”とフットワーク軽く取り入れられたことに、とても感動した。

……あの、もちろん、どうだ、自分の書いたnoteのおかげだぜ!とは思っていないのでご安心を(正確に言えば、あのnoteが1ミリくらい背中を押したなら書いてよかったなあ嬉しいなあ、とは思っているけれど、それがすべてとは当然微塵も思っていない)。

そもそもわたしの書いたnoteも、他のnoterさんの記事に触発されて書いたものだし、「noteカイゼン目安箱」には毎日、こちらの想像もつかないほど多くのカイゼン希望が日々寄せられているのだろうし、似たような要望も以前からあったに違いない。それくらいわかる、おとなだもん。

ただその「多くの声のほんのひとり」としても、“声が届いた感”をスピーディに体験できるのは、とてもうれしかったのだ。前々から希望を出していたひともいるとしたら、わたしの場合はたまたまタイムリーに、短期間で変化を受け取ることができたからよけいに、そう感じるのかもしれないけれど。

* * *

ただ……、欲を言えば、いまは3週連続でも4週連続でも「2週連続!」と褒めてくれるのが機械的に感じちゃって、いつもは人間味を感じられるnoteっぽくないのがちょっとさみしい。

と、twitterでつぶやいたら、意外と共感してくださるひともいて、なんだか心強くなってこのnoteを書いている。

じゃあ累積で◯週連続!と週数をほめてほしいかと言われると、別にそこは求めていないなあ、とも思ったり。ただ毎週更新していてもいつも一様に「2週連続!」と言われると、もっと連続しているんだけどなあ、なんて心のなかでちらっと苦笑いしちゃったりもする。

だから逆に毎日更新を目指しているわけじゃない層には、数字で具体的にほめてくれなくてもいいのになあ、なんて、個人的にはちょっと思っている。

以前ヤマシタさんもtwitterのやりとりでまさにおっしゃっていたのだけれど、ひさしぶりの投稿のときは「おかえりなさい」って言ってくれたら、そっちのほうがnoteっぽくていい気がする。

わたしも経験があるのだけれど、こういう場って「はじめる」「継続する」より「一度遠ざかっても再スタートすること」や「やめないこと」のほうが、ハードルがあるんじゃないかと感じているから。

そうはいってもたぶん、いろいろな層のいろいろなことを考慮して、いまの設計になっているんだろうなあ、とは思いつつ。

noteのミッション「誰もが創作をはじめ、続けられるようにする」の解釈による気もするのだけれど「続ける」が「連続」だけじゃなく「やめないこと」も含んでいるのだとしたら、「おかえりなさい」って言ってほしいな。

いまはたまたま高頻度で更新しているわたしも、生活や仕事の変化でいつぱたりと更新をやめるかもしれない、と思っているのだけれど、「おかえりなさい」って迎えてもらえるなら、気が向いたときにフッと、気負わず、戻ってきたいと思えるかななんて。

主要なターゲット層とか収益モデルとか考えてしまえば、自分はそこから外れているだけなのかもしれないけれどさ。期待はしちゃうよね、noteだから。

* * *

さて、ここからは僭越ながら、いちnoteユーザーから、note運営に携わるみなさまへ。年末なので、勝手ながら1年の感謝を伝えさせてください。

今年はnoteを積極的に使わせてもらいながら、実際にnoteを介してリアルでひとと出会ったりして、noteがもつ可能性をぐっと体感した1年でした。

これほどまでにnoteが注目を集めたり、そこに何かを感じるひとたちが集まってきているのは、他のプラットフォームにはない「期待感」をnoteが感じさせてくれているからだとわたしも感じています。

これはすべて勝手な妄想ですが……、日々寄せられる無茶なカイゼン要望と真摯に向き合い続けてくれているカイゼンチームのみなさん、毎日毎日あふれでるnoteたちを、手分けして隅々まで血眼になって埋もれている優良な記事をピックアップしようとがんばってくださっている編集部やピッカーのみなさん、ビジネス視点でnoteの発展を必死に考えて大きな提携を次々と決めてくださっているみなさん、見えない舞台裏で地味な作業を黙々と進めてくださっている縁の下の力持ちのみなさん、ほんとうにありがとうございます。

地味に長くプラットフォームを使わせていただいているいちユーザーとして、この1年ほどnoteの変化を体感した1年はありません。

「みんなのフォトギャラリー」もなく、手描きのヘタなイラストをヘッダーにしていたあのころ。たまにぽつらぽつら記事を書いてみるものの、スキの数なんて2とか3とかで、結局、著名な方や一部の人や一部のジャンルだけが「おすすめ」されるんだなあと一歩引いて眺めていた、あのころ。

でも今年、noteに毎日触れるようになって、おすすめされる記事のひとやジャンルも以前よりぐっと増え、あれ、意識的に多様性を意識して選んでくれているのかな、と実感できるようになって。地味に書き続けていれば、誰かに見つけてもらえることもあるかもしれない、と希望をもてるようになりました。

たぶん、同じような気持ちにこの1年でなれたnoteユーザーは、多いんじゃないかと思います。note酒場で出会った方々や、noteを機にtwitterでお話する方とのやりとりの中で、そう感じています。

変わるって、変わっていくって、こういうことを言うんだなあ。そんなことを思いながら、日々noteを見ていました。

この1年も、ほんとうにおつかれさまでした。そして、ありがとうございました。きっとまだまだ渦中なのでしょうから、「おいおい何勝手にしめくくってんだよ」という感じでしょうが、せっかくの年末なのでひとまず言わせてください。すみません。

来年も、期待していますね。どうかからだには気をつけて、あたたかいものを食べて。よいお年を。

(おわり)

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。