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3歳になった君へ

気づけば1月が終わり、2月も半ばを過ぎてしまった。

目の前のものごとに追われて、ああもう今年は書かなくてもいいかなと少し、思ってしまってもいた。

でも1年前に書いた「2歳になった君へ」を読み返していたら、やっぱり何かを書いておきたいと思ったんだ。ちょっと、間に合わなかったけど。

いま、3歳になりたての君のことを、ここに記すね。この1年で君がどんなに大きく成長したか、どんなに頼もしくなったか、どんなにひょうきんに、どんなにおどけるようになったかを、ここに記す。

おとなになって、もし気が向いたら、読んでみてください。

2歳の君には、とても大きな試練があった。

心臓の手術だ。

父も母も、まだ全身麻酔での手術は経験したことがない。そういう意味では、君は2歳にしてわたしたちよりも先輩になった。この大きなできごとを乗り越えた君のことを、心の底から尊敬している。ほんとうによくがんばったから。

そのがんばりを思い返すと、君を抱きしめずにはいられない。

心房中隔欠損という病気自体は、決してめずらしい病気じゃない。そのことは入院日記にも書いた。

ただひとつの事実として、「いったんわが子の心臓をとめて、人工心肺をつないで、手術をする」ということはわたしの理解を越えていた。

もちろん説明された内容自体は理解ができた。医師たちの中では決してめずらしい手術じゃないということも、何度も聞いた。ただ君の心臓が意図をもっていったんとめられる、という事実そのものをうまく飲み込めずにいた。のどもとがつかえて息が苦しくなるような感覚だった。

手術を終えて出てきた君はたくさんの針につながれていて、それを見てわたしははじめてこれがどれほどの大手術なのかを身をもって実感した。めずらしいものじゃない、めずらしいものじゃない、ということばばかり聞かされていて、そのあたりをうまく認識できていなかったのだと今ふりかえれば思う。

その病気がめずらしいか、めずらしくないかにかかわらず、たしかにそれは君の胸をひらき、骨を切り、心臓をも切って行われる、命をかけた手術だということに変わりはなかったのだ。針と管につながれてかろうじて生かされている手術直後の君をみてはじめて、そのことを痛いほど思い知った。

PICUにいた日々のことを思い出すと今でも泣きそうになる。おかしいよね。手術をお願いしますと決断したのは親のあんたじゃないかと、おとなになった君は思うだろうか。

面会時間も厳しく制限されていたから、数時間の滞在ののちには、たくさんの管がつながれた君をひとり残して帰らなくてはいけなかった。「も、いや! も、いや!!」と叫ぶ君の声は今でも耳にはりついていて、思い出すと苦しい。あのころ、何が正解なのか、まったくわからなかった。

わからなくて、わからなくて、わからないけれどそのときの感情と事実だけは記録しようとnoteに入院日記を書いた。一般病棟に戻って付き添えるようになってからは、夜、君が眠ってからこっそりと起きて、バスルームのほのかなあかりの前でぽちぽちと書いていた。

きっとおとなになった君は、2歳の君が経験したこの日々のことを忘れていると思う。

それはそれで、幸せなことなのかもしれない。だから絶対に読んでね、と言うつもりはまったくない。けれどもし君が、自分が経験した手術のことや、当時の自分のようす、またそのときの母の気持ちを知りたいと思ったら、上の入院日記をひらいてみてほしい。なんと全17回もある(笑)。

手術を終えた君は、少しずつ元気になっていった。

術後3ヵ月ほどは言われたとおりおとなしめに過ごしていたけれど、3ヵ月経つころにはすっかりたくましくなった。ごはんもそれまで以上にもりもりと食べて、身長もぐんぐん伸び、体重もみるみる増えた。周囲がおどろくほどだった。

それまでびっくりするほどひきやすかった風邪も、手術をしたおかげか一気にひきにくくなった。手術を決めた理由のひとつに、「心房中隔欠損があることで風邪をひきやすかったり肺炎になりやすかったりする」という話を医師から聞いたこともあるのだけれど、その影響を実感した。

体はもともと大きめだったけれど、手術でがくんと落ちた体重や食欲は、その後もりもり食べて食べて、食べるうちに一時期18kgを越えるほどまでになった。むしろやや太り過ぎという指標になっちゃったから、ちょっと母も炭水化物のあげすぎに気をつけて、いまはほどよいバランスを取り戻しつつある。とにかくがっしりとした、頼もしい体つきになった。

0歳のときから毎週のようにお世話になっていた常連の小児科に、術後免疫力が回復してからひさびさに行ったら「大きくなったわねえ!」と看護師さんたちにものすごく驚かれた。母は「腰が限界です」と笑った。その苦笑の根本にあるのは喜びだ。

PICUでの日々、何が正解なのかほんとうにわからなかった。幼い君にこんな試練を、ほかでもない自分たちが与えているという状況が苦しかった。

自分の意志で他人の人生を左右すること。しかも自分よりよほど未来のある君の人生を左右する決断を、別の個体である自分がくだすこと。ほんとうにこれがよかったのか、これでよかったのか。疑問に思いたくないことを何度も疑問に思った。

でもそれから半年を経たいま、ようやく「これでよかった」と思えるところにいる。

胸にのこる傷のことを、すこし盛り上がった骨のことを、これを読んでいるいま、君はどう受け止めているのだろう。「これでよかった」じゃないよ勝手に美談にするな、と思うだろうか。

たとえばもし君がこれからおとなになって、そういったことをコンプレックスに感じてしまうようなこともないとはいえない。願わくばそうならないように、あなたががんばった証だよと言って、誇れるものとしていまは君に話しているけれど、そうはいってもわたし自身が10代だったころの感情の振れ幅を思い出すと、なんで、どうして、といろいろな感情にふれることもきっとあるんじゃないかと思う。ああ、こうやって先回りしてわかったようなことを言うおとなも、きらいだったなあ(笑)。

ときにはふとした悪意に接して傷つくこともあるかもしれない。もちろん心の底では、君のまわりにいるひとびともそんな表面的なことじゃなくて、君自身の中身と対話してくれるひとばかりであればいいなと願っているのだけれど。この社会を生きていれば、たまに思わぬところから矢が飛んできたりするのはさけられないとも思う。それでも君が、いまの笑顔のまままっすぐに生きていってくれるにはどうしたらいいんだろうと、いまの母はよくそんなことを考えている。

もしどうしても、おとなになった君自身が気になるようなことがあれば、形成的な処置について専門家に相談してもいいと思う。ただそこは、君自身の意志にゆだねたい。「こんなのしかたないじゃん、それでわたしは元気になったんでしょ!それよりおいしいもの食べよう!」なんて、母のうじうじを跳ね飛ばすくらいのひとになったら最高だなと思っているけれど、おとなになってまで親の意志を押しつけたくもない。

とりあえず、3歳になったばかりの君を前にしていま言えることは、これだけだ。

手術を経て、君はほんとうに元気になった。たくましくなった。頼もしくなった。

それだけで、親としてはもう十分すぎるほどに、十分で。君の存在そのものに深く感謝している。

元気になった君は、ますますパワフルになった。

なかなかできなかった両足の浮くジャンプも、ついにできるようになった。

数ヶ月前からじわじわと、保育園の先生たちになんて言われるか知っている?

「最近よくおちゃらけてますよね」とか「最近ひょうきんですよね」とか、そんなことを言われるようになったんだ。

母は、いいぞいいぞ、どんどんやってくれと思っている。

どうかそのまま、自らひとを笑わせることができるようなひとであってほしい。

ひとを笑顔にできるひとは強い、と思うから。

この半年くらいで、君が持つ表情は格段に増えた。

顔をくしゃっ!としてあごを突き出す、おどけたような顔。

唇をタコみたいにして、あごも突き出したひょっとこみたいな顔。

「ニコッとして」と言われたときにする、目をつむったような作り笑顔。

ほんとうにおかしくって仕方がないときに見せる、最高の笑顔。

はさみを持ってちょきちょきと紙を切っているときの、真剣な表情。

余裕のない母が「ダメッ!」なんて思わずどなってしまったときの、唇をぎゅっと結んで、泣くのをこらえたような表情。涙をためて、こちらをじっと見つめるその目。君の意志がこめられた目。

自分の意に反する行動をされたとき、むすっとして首と手をぶんぶんとふる、ちょっと怒った顔。

「○○ちゃんがやる、から!」と強く主張するときの、断固たる顔。

喜怒哀楽のどれもを、君は表情であらわすことができるようになった。

やあやあ、そんなたくさんの表情、1年前の君にはなかった。うれしい、楽しい、おもしろい、悲しい、いやだ、怒っている、疲れた、おどりたい、あそびたい、うたいたい。数えきれないほどの気持ちを、君はこの1年で習得してきたんだなと思う。そうしてそれを表情を通して伝えることで、まわりとかかわってもきたんだなと。

最近の君の好きなことを書いておこうか。

まずはジグソーパズル。ひとりで完成できるパズルがどんどん増えてきた。まだ文字は読めないけれど、何度かやった五十音のパズルをひょいひょいとはめていて、記憶力はもうすでにかなわないなあ、と母は感心している。

それからはさみを使うこと。少し前までは形も何も気にせず、ただただ紙に切り込みを入れるのを楽しんでいたはずだったのに、気づいたら線を意識してそれに沿って切ったりもするようになった。

あとは何はさておき、レゴブロック。1年前はそれこそ単純につないで遊ぶだけだった気がするけれど、最近はめきめきと作れる形が増えてきた。組み合わせ方を変えてみたり、強度を高めるような構造をさりげなく作っていたりして、おお、と思う。自分の脳みそをつかって、自分で考えることが目に見えるようになってきた。

そうそう。

この前、3歳になった君をひざにのせて「お母さんのお腹の中にいたときのこと、覚えてる?」って聞いてみた。

この質問、一度しかほんとうのことを答えないって聞くからさ、ある程度しゃべれるようになるまで待とう、と思ってうずうずしながら待ってたんだ。3歳になったから、いま聞かないともう忘れちゃうかもしれないと思って、どきどきしながら聞いてみた。

すると君は「にやっ」と口の端をあげ、ちょっと照れたようにはにかみながら、即座に「うん」と言った。

「覚えてるの? どんな感じだった?」と聞いたら、勢いよくこう言った。

「おおきかった。おひざがこーなって(手を顔の横あたりにやる)してて! まるかった。おくちをこーやって、くち! こーやってしてた!(手で何やら口のあたりをもじょもじょしながら)」

なんだか普段とは違う雰囲気で、たたみかけるようにそうやって話し出す君をみて、母はどきどきした。ああ、うれしいとくべつな記憶として残っているのかもしれないな、それならばうれしいなと都合よく解釈した。

おひざを顔のあたりまで曲げた姿勢で丸まっていたということかしら。そんなこと、こちらからは話したこともないから、ほんとうに覚えているのかもなあと思ってとても感動した。

でも第一声が「おおきかった」はだいぶ予想外だったよ。君は母のお腹の中でよく、足をぐいー!と伸ばすようにしていたから。母はそれを外からさわって「あ、足伸ばしてる。狭いのかなぁ」なんて思ったりしていたもんだ。でも、もしかしたら空間的にというより、気持ちのなかで宇宙みたいな広がりを感じていたのかもしれないね。

ほんとうにおもしろい。そのときは君の顔も何も知らなくて、それから自分が、君と出会ってどんな感情を得るのかもまったく知らなかった。

君はこの3年間で、わたしが30年以上知らなかった感情をたくさんくれた。涙がでるほどうれしくてあたたかい感情も、胸が押しつぶされるくらいに苦しくてしめつけられる感情も。

知らなかったこと、ばっかりだ。

最近の君は、洋服を自分で脱げるようになったよ。

母が書こう書こうと思いながら、この記事の下書きを寝かせているひと月のあいだにも、毎日毎日変わっていった。

保育園で覚えてきた歌も、よく家で歌ってくれるようになった。君は君の世界を、母の知らない君だけの世界を、もう確実に持っているんだなと思う。

これからはきっとその世界のバランスが逆転していって、母はそれを寂しく思うこともあるんだろう。かつての自分がそうだったみたいに、君が親のことをめんどうくさく思うことも、たくさんたくさんあるんだろう。

未来のことはわからないから、いまできることをするしかない。

そう思ったから、なんとかこれを書き上げた。

いまでも発達の経過観察で病院には通っているし、まあいろいろと考えるところはあるけども。

スタンダードなんかじゃなくてもいいから、おもしろく、楽しく生きられるように、そんな考え方が土台にあるような家族になっていきたいね。母も父もきっとまだまだ途上だから、いっしょにさ。

3歳おめでとう。これからもどうぞ、よろしくお願いします。

母より。


追伸:ヘッダー写真で君が着てるセーター、わたしが君くらいのころに着ていたものだって。しかも、ばあばの手編み。君が3歳になるタイミングで、30年ひそかにしまっていたそれを送ってくるなんて、やっぱりばあばにはかなわないなあと思ったよ。サイズ、ぴったりだった。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。