見出し画像

置いてきたものを、とりにゆく日々。

1歳の娘をひざにのせて、ブランコに座る。

そのままほんのすこしだけ、後ろに下がって、スッと足をはなす。

ゆら〜、と気持ちばかりに、ブランコが揺れる。


「きゃはははは!」


なにがそんなにおかしいのか、新鮮な刺激に大笑いをする娘。

わたしもわたしで、ブランコが前に揺れるたびに、娘の耳元で「ブーン!」と効果音をつける。


「ぎゃははは!ぎゃははは!」


ほんとうに、なにがそんなにおかしいのよ。

そう思いながらも、そんな娘をみているとこちらまで楽しくなってきて、自然と笑顔になってしまう。


* * *


娘をみていると、ときどきふと、ああ自分は、いろんな場所にいろんなものを置いてきたんだなあ、なんて思うことがある。

公園には、ブランコがほんのちょっとだけ揺れて大笑いすることや、すべり台の階段をよつんばいになってひとりで登れてニッコニコの笑顔になっちゃうことや、すべり台をすべるだけのその行為が、声を出して笑っちゃうくらいおもしろいってことなんかを。

家のなかには、なんでもないペットボトルのふたと容器がとっても魅力的で絶対にとりあげられたくないと思うことや、いないいないばあの動作をすることがもう楽しくて楽しくてしかたがないことや、料理中、調理前の野菜を手に入れるとぱあっ!と目を輝かせて熱心に研究活動をはじめることなんかを。

おとなになった今から考えてみれば、ほんとうにささいな、小さな小さなことが、かつてはとてもとても大切だった。そのひとつひとつが、とっても大きな幸せを生むし、とっても大きな悲しみを生んだりもする。

たしかに自分も、そういうところを通ってきたはずなんだ。


* * *


そうだよ、そうだよなあ。

ブランコがこうやってふわーん、と揺れることは、思わず声をだして「ぐふふふふ」と笑っちゃうくらい、ほんとうは楽しいことだったんだ。

おいしいおやつが食べられることは、泣いていても思わず泣き止んじゃうくらい、とっても大きなハッピーだったんだ。

なんかおもしろいことないかなあ、とか思うような日常は、ほんとうはこんなにも、笑っちゃうくらいたくさんの、幸せなものごとにあふれている。

おとなになるにつれて、いろんなことに慣れきってしまっているだけで。

世界のなかにある魅力のほうは、ほんとうは変わっていない、きっと。

変わったのは、その世界を見る自分の目線のほうで。


* * *


だからわたしは、娘から教わっているのだと思う。

毎日の、なんてことない日常の見方を。

ほんとうはこれって、こんなにおもしろいんだよってことを。「ぐふふふっ」ってなるくらい、楽しめるんだよってことを。

かつての自分がいろんな場所に置いてきた、いろんな感情を、娘に教わりながら、とりにゆく日々である。


自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。