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エッセイはとつぜんに

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つれづれなるままに、ひぐらし、ではないが、ときたまPCにむかひて。役には立ちませんが、何の変哲もない日常を楽しめるようにはなるかもね。
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#日常

しずかな場所がほしくて(定期購読マガジンはじめます)

しずかな場所がほしくて(定期購読マガジンはじめます)

こんなことを言ったらごうまんに思われるだろうなとか、あらぬ方向から批判されたりするんだろうなとか、こんなことをしたらもう取り返しのつかないことになるんじゃないかとか。

そんな思いがぐるぐると脳内をうずまいて邪魔をして、自分のほんとうの欲求や気持ちにうすうす気づきながら、それにしずかにフタをすることがある。「いや、でもこっちもいいもんだよ、これでいいんじゃない?」と、自分に自分でうそをつく。

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297円のサーモン。

297円のサーモン。

午前中に出かけた帰り道、たまの贅沢にひとりでカフェランチでもしてやろうかと思って歩いていた。

ぼんやり店を探しながら、駅から家の方向へ歩く。

よさげなカフェで足をとめる。

サンドイッチセット、950円。

うん、まあありなんだけど。友人と会うわけでもなく、ひとりで950円は、うん……、悩む。

たとえば漁港の海鮮丼とか、出張で訪れた土地の名物とかなら、ひとりでも迷わずいくところ。でも家の近所

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歯医者へ行った日の脳内日記

歯医者へ行った日の脳内日記

歯医者へ行った。

そもそもわたしの歯はどちらかというと虫歯になりにくいタチらしく、そういえばおとなになってからというもの、あまり歯医者のお世話にはなっていないような気がする。ただ20代前半のころ、会社にいるときに親知らずが痛みだして仕事が手につかなくなり、早退して歯医者へかけこんだことだけは覚えている。結局両方とも抜いた。

まあだから、それ以外はさして歯について悩んだことがなかった。しかし娘を

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ひさしぶりだね、超熟。

ひさしぶりだね、超熟。

日常のなかに溶け込んでいて、ほとんど意識すらしないもの。失って初めて、その存在の大きさに気づくもの。

「好きなものは?」と聞かれて、あえて名前をあげるような対象ではないんだ。わかる?わかるよね。そういうのとは違う、無意識の階層で、君はわたしの暮らしのなかにいた。ずっと。

……いてくれて、当然だと思っていたんだ。まさかサヨナラも言えずにお別れすることになるなんて、考えてもみなかった。

あの日、

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エッセイになる気持ち

おなじみ(?)プログラマの夫が、1週間ほど前から突然、エッセイめいたものを書きはじめた。

これはわたしにとって青天の霹靂である。

いや、だって。これまで彼が書くものといえば、技術の話とか、関わっている仕事やプロジェクトの、ものっすごい細かいポイントについて説明したいがための話とか、またはこういう言葉の使い方には違和感があるとか、とにかく「伝えたい主題や思いがはっきりしている文章」が多かったのだ

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白シャツという自由

白シャツという自由

最近、白シャツが楽しい。

少なくともここ3日間、気づいたら白シャツを着ている。

素材やデザインはいろいろだし、たいていキャミソールとかタンクトップとかとあわせてラフに着るのだけれど、とにかく真っ白なシャツがメインというのがいい。とてもいい。とても、なんていうか、気分だ。

朝、ねむい頭のままクローゼットの前に立って、ぼんやりと洋服を見る。

ああ、昨日も白シャツだったなあと思いながら、でもまた

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ぽんぽんのくつした

ぽんぽんのくつした

それは娘がまだ赤ちゃんのころ、ばあばがプレゼントしてくれたものだ。

パイル地というのだろうか、伸縮性のあるタオルみたいな生地でつくられた、ベビーサイズの小さな小さなくつした。足首の前のあたりに、直径2cmくらいある大きめのぽんぽんがついている。

当時はそのくつしたにぴったりの、小さな娘の足にそれを履かせて「あらかわいい」なんてほほえんでいたものだ。なんだろうね、あの時期って親が着せたいものを着

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消えゆくもの

なんでもない瞬間にふと、死について思いを馳せることがある。

病にふしているときや、誰かの死を見送ったときではなくて、むしろ幸せいっぱいな夜なんかに。

たとえばこの前は、日中、友だち家族と子連れで牧場にでかけて、1日めいっぱい遊び、とても充実した時間を過ごした日の夜だった。ひとりでシャワーを浴びながら「ああ、今日楽しかったなあ」なんて思い返していたら、いつのまにか、死のことを考えていた。

楽し

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土曜の夜のだらだら日記

土曜の夜のだらだら日記

頭のなかをたくさんのことが通り過ぎてゆく。

今日は朝から娘の保育園の新歓遠足だった。9時の現地集合に間に合うべくちょっとだけ早起きをし、自分の朝ごはんをキッチンで立ち食いしながらバババとお弁当を準備する。母どっと疲れ、出発前にもう遠足を終えた気分。

毎年恒例の、この時期の新歓遠足。我が家は昨年も参加していたから今年はようすがわかっていたけれど、昨年はじめて参加したときにはかなりのカルチャーショ

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筑前煮が簡単になっても

筑前煮が簡単になっても

干ししいたけをもどす。お湯で。

いや、わかってる。たぶん水からじっくりとていねいに戻したほうが、より上品な味わいになるんだろう。なんとなく、そんな気はする。

パッケージはこう言う。「水もどしで2時間、お湯もどしで20分、電子レンジで4分」。いや、ちょっと待ってほしい。2時間て。2時間前に、よし、干ししいたけもどそっと!ってなるかよ。いや、なるひとも世の中にはたくさんいるのだと思う。計画的なひと

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水餃子は飲みものか

水餃子は飲みものか

先週末は、家で水餃子だった。

前もって考えていたわけではない。その日は夫が料理を担当する日であり、リクエストも聞いてくれるというので、何が食べたいかなあと考えていて、ああ餃子食べたいなあと思ったのだ。

そもそも普段は自分が料理を担当しているというのに、なぜなかなか餃子を作らないかといえば、平日の忙しい夕方に悠長に餃子を包んでいる心身の余裕がわたしには欠如しているからである。

保育園のお迎えか

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床の見える生活

おしゃれなインテリアを楽しんだり、ものを持たない暮らしを追求する方も多くおられるご時世に、ものすごく低レベルな話をするけれど、我が家のリビングは子が生まれてからというもの、ほとんど床が見えていなかった。

何かの比喩でもなんでもなく、文字どおり、ものが散らかっていて床の見える面積が圧倒的に少ない、ただそれだけのことである。

特に子が動き回るようになってからの1年は、いたるところにおもちゃやそれに

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毎日、目にする景色

毎日、目にする景色

ずうっと背景に山があった。

2泊3日の宇和島出張中の話だ。車で移動していても、ほぼいつでも360度、ぐるりと山が背景にあった。

例外はみかん農家さんの畑(つまり山そのもの)に登らせてもらっているときで、そのときは上の方へ行くとぱあっと視界が開け、美しい海が広がった。背景は、青い空と青い海だけになった。それもすばらしかった。

だから山が背景にないのは山にいるときくらいで、それ以外のときはずうっ

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ノスタルジアは突然に

ノスタルジアは突然に

夕方、洗濯物をたたんでいてふと目をとめた。

お弁当をつつむ用の、ちょっと厚手で大きめのハンカチ。ライオンにゾウにトラにと、色とりどりの動物キャラクターたちが、野球のユニフォームをまとって可愛らしくプリントされている。

それは昨年実家に帰ったとき、帰りの飛行機で食べるためのおにぎりを、母がつつんでくれたものだった。ちょうど動物をゆびさして喜ぶようになった孫娘のために、動物がたくさんプリントされて

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