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記憶の器

 社会人になった娘が、夏に帰省したときのことだ。荷物を置くなり、四畳半の茶の間で足を投げ出し、「あー、ウチは落ち着くねぇ」と伸びをした。

 娘が帰ってくる前に、小綺麗にしておこうと思っていたのに、仕事で忙しい毎日が続くうち、片付けることができないままだった。テーブルの上には、ノートパソコンや読みかけの雑誌、リモコンやボールペンなど、定位置に戻していないものが載ったままだ。

 しかし、娘はさほど気にする様子はない。「この雑多な感じが、実家に来たって気がするわ」と、笑っている。少々残念だったが、そのまま受け止めた。

 先日、豊田市美術館で開催中の「ジブリの立体建造物展」を見てきた。その中に、建築家藤森照信氏の「懐かしさは、人間の心の安定のためには不可欠なものです」という言葉があった。建築は実用以上に「人々の記憶の器」でもあるというのには、心を動かされた。

 築二十年の我が家、私にとってはただひたすら子育てした器だ。四畳半の茶の間に家族四人が集まり、しゃべったりうたた寝したりした。ふたりの子どもにとって、この家はどんな記憶の入った器なのだろうか。

 最近は夫婦ふたりだけで過ごすことの多い器だが、これから何か入ってくるのだろうかと、ひとり思いをめぐらせた。


※Facebookが教えてくれました。4年前の今日、新聞の投稿欄に掲載されたものです。

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