見出し画像

HELLO!note!

こんにちは!ブログを書くのは中学生以来?
1992年生まれの僕は当時、【前略】とか【peps】で当時の言葉を使うなら、ホムペを作りその中でブログを書いてたぐらい。
27歳の今、noteを使いまたブログを書いてみようと思う。

①自己紹介

山形県鶴岡市に生まれ、小さい頃はというと、小学6年間は水泳に打ち込み、中学も水泳をするかと思いきや、部活紹介のポスターに大きく
【ソフトテニス部 ディズニーランドに行けます!】
これを見て即入部。
呆気なく水泳を捨て夢の国へとまっしぐら。
ただその時は知るよしも無かった、自分の選んだ部活が強豪校だったなんて・・・。
代々先輩方は、全国優勝してたりとにかく全国レベル。職員室の前に並べられてるトロフィーや写真はほぼソフトテニス部。
中1の時の僕は本当に下手くそだった。部内でも下から数えたほうが早い。
しかし転機が訪れるた中2の夏。地区大会で何とベスト4に入り表彰。
そこから地区のナイター練習にも呼ばれ、とんとん拍子に僕の青春が始まった。
毎日の練習。週末の遠征。
楽しみにしてた千葉遠征の帰りのディズニーランド。
気づいたら夢の国よりも夢の舞台を目指していた。
そこから高校もソフトテニスで選んだ。(ちなみに顧問の先生は山形では知らない人はいないであろう、あの先生)
ソフトテニスに人生を捧げた18歳までの夏。

そこから僕は上京しファッションの専門学校に3年間通った。
憧れた大都会、東京。1年目はほぼ夜中まで遊び通した。
進級する時は某アーティストのスタイリストになりたい!とスタイリスト学科に進級。

3年生になった時転機が訪れる。ある大物スタイリストが担任の先生になった。
ここから僕のファッションの人生観が変わる。
お金もないから、コレクション誌を見て見様見真似でユニクロや古着をリメイクする。それを似合ってもないのに着てく。でも「好きな服を着る!これがオシャレだ!」と、当時の写真を見ても顔が赤くなる・・・。

しかし先生はそんな僕を褒めてくれた。
そんな生活をしてると気づいたら学内である大きな賞4つのうち3つ受賞してた。

ただ作品を作る事になってた僕は、
気づいたら2月。そう就活を忘れていたのだ。
しかし先生は言った「あんたはそれで良いのよ〜笑」
何が良いのかわからず、卒業式を迎えた。
ある卒業式の練習で「伊藤さん!席が違うよ」何のこっちゃ?となったのを今でも覚えている。

そう僕の席は卒業生の中から〇〇賞と数名選ばれる席だった。
担任の先生のサプライズの仕方がまた上手い。

卒業した僕は、はい。フリーター。
どうしようかと思ってた矢先、先生からアーティストのライブの衣装数着作ってくれと依頼がきた。
テレビで見てたあの有名な芸能人。学生の頃アシスタントとして芸能人は見てきたけど、いざ自分の作った衣装を着て、アルバムのジャケットにもなり、ライブでは〇〇千人?万人?と言う人が見る。もちろんその時のアルバムのジャケットには僕の名前が書かれており、実家に大切に保管している。

その仕事を終え、思い切ってフリーターから【スタイリスト】と
名刺を作り、行く出先で配りまくった。
メジャーデビューしたての男性アイドルの衣装や大物アイドルの神宮ライブの衣装管理、大手アパレル企業のネット広告など色々やらせてもらったが

しかしまだ22?23?歳の若造は舐められ仕事は少ない。アパレルや飲食でバイトもした。
その期間、自分で「1992」というブランドも立ち上げ売れたTシャツが数枚 笑
注文から生産だったのでリスクもないが当時マーケティングの知識も0だった僕の作ったブランドは呆気なく終わった。

ただ、アパレルを通じて出会ったデザイナー志望の子と作ったチェスターコートは本当に楽しかった。企画からデザイン、パターンまで自分たちでやり、売価まで決め、ある意味、会社を作れるんじゃねー!みたいな勢いがあった。

その後も自分で作る事はやめず、友人が買ってくれたり、知り合いが欲しい服や鞄を作って売った。

しかし、25歳になった時、ふと思った。
「このままでいいのか」
だから、ある意味ファッションという仕事に見切りをつける為に親友のカメラマン、一番可愛がっていたヘアメイクをしている後輩と作品撮りをした。

そう、今思えば25歳なんてまだ若い。しかしその時の僕は【夢を追う】事に
疲れていた。結果が出ない。どうしよう。焦りばかりでできて出した答えがこれだった。

【会社員になろう】

アルバイトしていた飲食店も世の中では知名度もあり、安定もしてボーナスもある。
経験もありすぐ社員になった。

2019年5月には一つのお店を任せてもらえる、責任者という立場にもなりブランドの店長会、会社の店長会。勤めている会社はチェーン展開しており僕のお店は直営店。部署は少数精鋭でやっておりブランドを背負う事に楽しさを感じていた。
同時にお店を運営する為、PL管理、FL管理、販促計画、当時ブランドを作った時に無かった経験がたくさん得ることができ、充実していた。

しかし2020年。そう、世の中はコロナ一色になり、会社も危機的状況。
何もかも安定していた当たり前の日常が180度変わった。

休業中、おうち時間を過ごしていた時思った。

「会社が安定は僕が勝手に決めていたこと。世の中は常に変化する。自分のできることをやろう。」

そう考えた僕は、自分の持っている武器でもう一度この世の中を歩いて行こう。
自分のやりたいことで稼いで行こう。


次回→「僕の夢」

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?