見出し画像

(あえて今さら)「あたしお母さんだから」での学び。

今さらですが…
鎮火して温度が下がってからアップしようと思い、下書きに放り込んだままになっていたものを、そろりと持ち出します。

そろり。

少し前に話題になった歌の「あたしお母さんだから」についてです。

ただ、あの歌そのものについて賛否両論のどこかのポジションで何かを言いたいわけではなく…、
また、エラそうになぜ炎上したのか?みたいな分析をしたいわけではなく…、

自分的にはいろいろ学びがあり、考えるきっかけになったので、それをまとめたいというのが主旨です。

2児のお母さんとして歌への感想はもちろんあったわけですが、それはいったん横に置いておいて、マーケティングやコミュニケーションに関わる仕事をするものとして、学びのあった点や考えさせられた点を書いてみたいなと思いました。

--------------------------------

1.お母さんたちのダイバーシティ

まず、この歌を聞いて、

「感動した。」というお母さんもいた。
「いい気分はしない。」というお母さんもいた。
「うーん、別になにも感じないけど。」っていうお母さんもいた。

そのことは重要な学びになると思う。
いや、超あたりまえですけど、忘れがち。

母親、ママといっても、多種多様、それぞれいろんな価値観でいろんな思いで心が動いている。けして雑にひとくくりにはできない
ことを改めて思い知らせてくれました。

マーケティングで考えても、全国の母親なんて括り方は、かつてのF1層みたいに大きすぎてターゲティングにはなってないし、そもそも母親すべてにささるコミュニケーションはかなり難易度が高いということ。(そう考えると、広く受け入れられたコウノドリって本当にすごいなぁ。)

例えば、わたしが育児をする中で感じていることは、すべての母親に当てはまるわけではない。
わたしもママのペルソナづくりやカスタマージャニー作りをお手伝いすることがあるけれど、母親だからこそ同じ立場で想像できることがあるのと同じように、母親だからこそ、どこかこうだろうと決めつけてしまう恐れがあるということも自覚しなくてはな、と思いました。

2.本当の「声を聴く」とは?

「ターゲットの声を聴くとは?」ということについても改めて考えさせられた。

作者があの歌は、実際の母親たちにエピソードを募って作った歌であるとコメントしたからです。

実際に聞いたエピソードなので、たしかにリアルなエピソードになっているのだと思う。でも、やっぱり、その根っこにある、それぞれどんな想いがあるのか、どんな葛藤があるのか?なんでそうなってるのか?そういう深堀をしていくことまで含めて「声を聴く」という作業なんだと思う。

今回は歌詞という表現なので当てはまらないと思うけれど、これがマーケテイング調査やUX調査なら、「ユーザーが実際に言ったんでこうしました」は仕事してませんというのと一緒になってしまうから。

リアルなエピソード募集ならば、簡易アンケートでもいい。でも、実際にどうやったらターゲットを応援できるかという本質はアンケートじゃ難しいんだろうなぁ、と。

その辺の聴くべきところの見極め(どこを聴き、どこは聴かずに観察すべきか?)、聴き方の使い分け(どういうふうに聴くべきか?)、聴いたものからの思考(なぜそんなことを言うのか?)というところがうまくできないと、本当の声は聴こえてこない…ということを改めて感じました。

(コウノドリはめちゃくちゃ取材したんだろうな~。ドラマという形態もよかったんだろうな~)

※ちなみに絵本の作り方として、アンケートやヒアリング調査するやり方への賛否はあると思いますが、主旨とずれるのでここでは触れません。

3、今、受け入れられにくい言葉とは?

そして、やっぱり表現方法としての言葉って難しいなぁということ。

ただ、こうやってどんな言葉が受け入れるのか、受け入れられにくいのか、見ていくことは、社会の流れや空気を感じるのにとても役立つなぁということ。

今回の歌詞の中でひとつの批判のまとになった「お母さんだから」という表現。

今、「A属性だから、B。」という図式に人々はすごくセンシティブなんだろうな、と。

女性だから、男性だから、既婚だから、未婚だから、30代だから、40代だから、日本人だから、そういう固定概念からだんだん離れようとしていってる、離れたいと思っている。そんな流れの象徴のような気がしました。

4、批判ではなく、コンテンツで返す

歌への対抗として、Twitter上で作られた、【あたしお母さんだけど】というハッシュタグ。

この歌詞に違和感を感じた人たちが、「わたしはおかあさんだけど、こんなかんじでやってまーす」というエピソードをこのハッシュタグで書き連ねていくという流れがありました。

「この歌は気に入らないから、流すな!」とか怒り倒すのではなくて、「え?こんなかんじでやってますけど?なにか?」というのを、ユーモアを交えつつツイートして、「そうだよね、みんなそれぞれバランスとってやってるよねー。ははは。」と自分たちで完結するセルフ応援スタイル
なるほど、と思ってみてました。

強い言葉での誹謗中傷に走るのではなく、自分たちでコンテンツを作り出して主張をしていくのは、面白いな、と。
この流れは、コラでちゃかすとかそういう悪意のある感じとも違ってみえて、一種のムーブメントのようで興味深かったです。


5.炎上というラベルが見えにくくするもの。

とはいうものの、ひとたび炎上中というような括りでニュース化されると、
「え?なんでこれで怒るのかまったく分からない!馬鹿なの?」
「あー、また主婦たちが騒ぎ出しちゃったよ!」
みたいなコメントも少なからず出てきているようでした。

実は、わたしがTwitterで一連の流れを見ていた印象では、主流の流れは、ムキーっと怒っているというよりは、「いやぁ、これは…」と冷ややかに突っ込んでいるような感じが大半で、どうしてこの歌詞に嫌悪感をいだくのか冷静に分析したり、前述のハッシュタグコンテンツ化してたんたんと主張していくような感じでした。

「こんな歌流すなー!」「作ったやつ謝れー」とかはあまり見えてこなかった。
たしかに作者のことがもともと嫌いというような発言も見られたし、強い批判表現ももちろんあったんだとは思うけど、それが主流だったのかな?と。

わたしもメディアの中の人だったら、分かりやすくてキャッチーな炎上っていうワードを使うとおもうので、メディアを批判したいわけではないのですが、
この【炎上】というワードにより、「例によって母親たちがヒステリックに燃やしました。」みたいな見え方が強まってしまったように思います。
もちろん燃えたには燃えたのでそうなんだとは思うのですが…。

これは今回の騒ぎに限らず、最近のコンテンツやニュースの消費のされ方をみていると炎上ラベルをペシっと貼られるといろんなことを見えにくくしてしまうという構造がありそうです。

だからこそ、その見えにくいところをいかに解して見せていけるか、みたいなところがメディア求められてるのかなぁ、なんて。

最後のは、ちょっと独り言っぽく、なってしまったけれど…

以上、個人的なまとめです。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?