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「サイクル」から考えるボーリーによる「成功」へのアプローチ

はじめに

 ロシアによるウクライナ侵攻を機に、トッド・ボーリーを中心とした合同投資家グループであるクリアレイク・キャピタル・グループにより、プロスポーツチームの買収額としては歴代最高の£4250m(当時約6843億円)でチェルシーが買収されたことは記憶に新しい。そして買収以降、2回の移籍市場での大型補強、クラブのフロント再編、短期契約でのオールブラックスのメンタルスキルコーチ招聘などに見られる競技の垣根を超えたチーム力向上へのアプローチなど、チェルシーという大型クラブを使ったボーリーによる「壮大な実験」がメディアを賑わせている。これらの大きな変革は、今後のサッカー界においてのスタンダードとなる可能性もあれば、逆にサッカービジネスの特異性を証明するだけの結果に終わる可能性も孕んでいる。莫大な資金、整備された環境、積み上げてきた地位、チェルシーのそれを基に変革を行うボーリーの一挙手一投足に目が離せない。
 この記事では、ボーリーはどのようにプレミアリーグ、そしてCL優勝という「成功」を得ようとしているのか、ということをチームの「サイクル」という概念から考察する。

「サイクル」の重要性

 どのチームでも例外なく、チームとしての盛衰は確かに存在する。主力選手が軒並み脂がのった時期を迎え、戦術浸透度が最高レベルまで達し、中心選手であるが故に出場させないといけない枷となり得る選手の存在がいない、そして通年戦う上での戦力層の質的な厚みがある、そのようなクラブが所謂「ピーク」を迎えたチームの特徴である。リーグ全体の競争力が上がっている近年では、チームとして「ピーク」を迎えていることが必要条件である。そのような「ピーク」を迎え歴史に残る活躍を残したチームでも、必ず「落ち目」が来る。主力の高齢化、戦術のマンネリ化、絶対的な選手が長く君臨していて若手が育っていない等様々な要因から、それは避けることのできないものとして存在する。このような、チームとしてのピークの周期、これが「サイクル」である。

 強さを持続させるにあたって必要不可欠なのは、「新陳代謝」を図り「サイクル」の速度を加速させることである。「ピーク」を過ぎ次の「ピーク」が到来するまでの時間を短くする、これが理想である。これを現在上手く行っている代表クラブがレアル・マドリーとマンチェスター・シティであろう。前者は例えばロナウド、ラモス、カゼミロといった絶対的な存在でも次の「ピーク」を想定した上で躊躇いなく放出して「新陳代謝」を行い、粒ぞろいの選手を毎度まとめ上げチームとしての最大化を図ることで、サッカー界の覇権を握り続けている。後者に関してはペップの下毎シーズン実行される大きな戦術のブラッシュアップ、中心選手であっても試合によってはベンチに座らせるマネジメント能力、莫大な資金を基にしたサブメンバーの質向上で「サイクル」を短い期間で回し続けることに成功し、近年のPLで常にタイトル争いを繰り広げている。

 しかしこの2つのクラブが稀有な存在であるだけで、実際このように「サイクル」を加速し続けられるチームはほぼ無いに等しい。リヴァプール、トッテナム、アトレティコ・マドリー、アーセナルなど、これが上手くいかず落ち目の時期を過ごしている、または過ごしていたクラブの例を挙げれば切りがない。要は「サイクル」をコントロールすることは困難であるということだ。それには単年ごとの移籍市場の成否、戦術熟成度、選手自身のピーク等様々な要因が全て噛み合わさった時に、ようやくチームとしての「ピーク」を迎えるからである。

ボーリーの狙い

 チェルシーの新オーナーである彼のこのクラブに対するビジョンは、「Along with our commitment to developing the youth squad and acquiring the best talent, our plan of action is to invest in the club for the long term and build on Chelsea's remarkable history of success.」という就任時のコメントに詰まっている。ここで語るように、長期投資によってチェルシーの目覚ましい歴史を如何に築き上げようとしているのだろうか。野球のワールドシリーズで7回の優勝を誇るドジャース、米国女子バスケットボールチームのロサンゼルス・スパークス、NBAフランチャイズのロサンゼルス・レイカーズの共同経営者という面も持つボーリーは、スポーツの不確実性を十分認識しており、「強い」チェルシーの歴史を築き上げるために先に触れた「サイクル」の循環の速度を重要視することは想像に難くない。
 それに際してまずボーリーは、数年後に意図的に作り出した「ピーク」を始点とした「サイクル」の構築を見据えているのではないかということが考えられる。何とかトゥヘルがまとめ上げて成功に導いたものの、中心選手の年齢や性質を考えて再度「ピーク」へ持っていくことは不可能と判断し、強制的な数年間のリセット期間を経た後の「持続可能型クラブへの変貌」、これをボーリーは描いたのではないか。こう考えられる根拠を、チェルシーのオーナーに就任した後の移籍市場での動きに着目して考察する。

ドジャースというモデル

 ボーリーも関わるグッゲンハイム・グループへと2012年3月にオーナーが変わってからのドジャースは、2021年を除く全ての年で地区優勝、リーグ優勝3回、2020年には32年ぶりのワールドシリーズ制覇と栄華を極めている。オーナー変更直後の市場での大盤振る舞いと周辺施設への1億5000万ドルの投資から始まった、莫大な資金を基にした大型補強や設備投資のみならず、スポーツ専門サイト「ジ・アスレチック」のキース・ロー記者が30球団のファームシステムのランキングで全体1位に評価するなど、強みであるデータ解析による若手の発掘や育成力を基盤として結果を残し続けている。
この結果はドジャーズにおける「remarkable history of success」を築き上げることの成功を指し示すもので、チェルシーの運営に当たりボーリーがここをモデルとする動きは当然と言えば当然である。

ボーリーのアプローチ

 ボーリー就任後のチェルシーはドジャースの共同オーナーとなった際と同様に、2022年夏に2億6070万£(当時約422億円)、202年冬に3億2300万£(約529億円)という桁違いの資金を費やし戦力の刷新を試みた。レンタルを除いた14人の新戦力は、オバメヤン、クリバリ、スターリングを除き全て20代前半、または10代後半の選手達である。そしてその選手たちの大半の契約は、サッカー界では異例である7~9年という超長期契約である。そしてリース・ジェームス、ブロヤ、チャロバーという25歳以下の若手との長期契約延長。ここから窺えることは3つ。
 まず第一に、これらの選手たちの活躍するまでの猶予期間が長く設定されていること。フォファナ、ククレジャ、契約延長組を除いた若手はプレミアリーグでの活躍以前に、通年での活躍がまだ残せていない選手も含まれているから当然のことではあるが、長期的な活躍を視野に入れた先行投資の意味合いが強い。それこそ選手個人としてのピークを迎えるのは数年後であると予想される。
 そしてピークを迎えた選手たちの売却が想定されているということ。選手たちの超長期契約が切れる年齢は例外なく30歳前後であり、近年スポーツ医学の発展により選手寿命が延びてきているとは言え、選手としての落ち目に差し掛かる年齢である。そして契約が切れる1,2年前の20代後半というのは、最後に高額の移籍金を見込める年齢である。
 3つ目は同年代の若い大量の選手たちは、選手個人としてのピークを迎える時期も等しいこと。これによりチーム全体で見た時に、例えば中心選手に陰りが見られて枷になる、などの心配がない。
 これらの事実は、次の「ピーク」に貢献できる見込みが薄いが高額な移籍金を担保できる30代に差し掛かる選手を差し出して、次の「ピーク」に向けてそれを元手に新たな選手獲得をしようという狙いを示している。これが正にサイクルを加速させる動きであり、意図的に個人としてのピークを重ねて新加入の面々を基に(この選手たちが中心と言ってるわけではなく、売却して新しい選手を獲得する為の素材としての意味を含めての「基に」)数年後に作り出したチームの「ピーク」から、新しい歴史を創出する「サイクル」を始めることを見据えたものであることが理解できる。毎年中途半端な補強を繰り返し、チームとしての構成がばらついている状態を継続させて偶々上手く嚙み合った時にタイトルを狙うのではなく、まずは数年日陰にいたとしてもその「サイクル」のスタートの起点となる「ピーク」自体の最大値を上げて頂点を狙おうという、それこそMLB的な思考が窺える。

まとめ

 チェルシーを永続的に繁栄させる「サイクル」を回し始める為の一歩目としての役割を果たす大型補強。アメリカ人由来の合理主義さえ感じる、数年後の本格開花に向けた丁寧なアプローチ。莫大な資金を使うにはギャンブル性の高かった状態からの脱却、「レアル・マドリー型」とも言うべき「持続可能型クラブ」への挑戦。「サイクル」の基盤を構築した後を視野に入れた、他競技のコーチ招集などに見るサッカーという枠に捉われない画期的な試み、サテライトクラブの選定。ドジャースで評価されているデータ分析とその実践能力が輸入される可能性。私たちはクラブ史のみならずサッカー史に残るチェルシー繁栄の時代の一歩目を目撃しているのかもしれない。

終わりに

 お読み頂きありがとうございました。僕自身はスパーズを応援しているのですが、興味が湧いたのでまとめてみました。如何だったでしょうか。他サポからすると「怖さ」しかない、そんなオーナー変更だったということをこれを書きながら感じていました。
 とは言え、その壮大な「理想」を実現するためのリスクについては、それ相応に大きいものがある。最たる例は分割払いによる長期契約での大型補強。それにより給与を比較的抑えてクラブへの忠誠心が高い選手でチームを構成できる反面、降格という制度があること、選手の質が安定した順位を保証するものではないこと、基本1vs1の勝負である野球と違い、監督やタスクの変化で大きくパフォーマンスが変わるサッカーという競技性を鑑みると不良債権となる可能性が大きいこと、これらを考慮すると非常に大きいリスクであることが理解できるだろう。長期契約を結びながらも不良債権化した選手は、MLBでは他チームのプロスペクト数人とのトレードの弾として使われることで処分できるが、まずサッカー界ではトレードは主流ではない。そして金銭を挟み実質的なトレードを行おうにも、「プロスペクトの価格高騰」が問題となっている今、不良債権化した選手の処分は容易ではない。増してやプレミアリーグと他リーグの経済格差が広がっている現在、売却オペレーションは困難を極める。数年後に不良債権化した選手たちの巣窟となった地獄のような状況に陥ることも可能性としてはあるということだ。
 そしてリスクではなく、ただの「失敗」の可能性について。まず現在進行形である監督問題。野球と比べて監督が結果に与える影響が大きい(と私は思う)サッカーでそこの部分の選定作業が上手くいかないと、ピークを迎えた選手が揃っていてもチームとしての「ピーク」が迎えられない可能性が高い。お得意のデータ分析メソッドで獲得した選手をまとめ上げ、チーム力を最大化することをタスクとして課されるであろう監督として、個から逆算してチームを作るタイプではない(自分が勝手に思うだけ)ポッターの首が変わる可能性もあるかもしれない。ブラジル代表と競合してアンチェロッティ、パリやフランス代表と競合してジダン、トゥヘル再就任とかは噂として出てきそう。
 あとはデータ分析において強みを発揮できない可能性。野球と比べデータを実践に持ち込む難易度が高いサッカーというスポーツ性、そして近年他チームも当然力を入れている分野ということを考えると「強み」とならない可能性も十分に考えられる。

 こんな風にボーリー就任後の期待と不安についてつらつらと書きましたけど、ボーリーは「成功」しすぎない限り、私にとって有難い存在です。何故なら新しい文化の流入によって競技としてのサッカーが一段階レベルアップする可能性があるから。仮にこの実験が成功したら、選手獲得のプロセス、スタッツ分析、育成方法など様々なメソッドが他チームに参考にされることであろう。そしてそれが自分が応援しているわけではないチームで行われていることにより、完全なる観察者としてボーリー事変を楽しめるから。要は「失敗」しても良いということ。壮大な興味深い実験をリアルタイムで経過観察させてもらえることに感謝。

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