少し前の話だけれど、シンクロニシティというサーキットイベントで久しぶりにイースタンユースのライブを観た。
結成から30年を経ても相変わらず吉野さんは今にも血管ぶっちぎれそうな形相で轟音をかき鳴らしていた。

そんな熱狂と轟音のなかで、ふと自分の心に静寂が広がっていることに気づいた。
音楽は常に心を震わせるためのもので、自分は常に心を震わせる音楽を求めているのだと思っていたのだが、音楽によって心のなかにさざ波ひとつたたない状態が訪れることがあり、その静寂を快く思う自分がいることをそのとき理解した。

夕方、駅へ向かって歩いていると、一軒家の開いた窓の向こうからピアニカの音が聞こえてきた。
かと思うと、別の家からは幼児の派手な泣き声が聞こえてきた。
俺はそのサラウンドからもまた、静寂を感じた。

恐らく静寂とは、音のない状態ではなく、音やらなんやらの環境によってもたらされる心の在りようであるらしい。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」ってのも、そういうことなのかねぇ。

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